死を想う2

「死を考えることの意味」ってなんだろう

日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
今回は、「死を考えることの意味」について。

私は、毎日のように、死について考えています。
友人知人と死について語り合うこともあります。

元々、死について考え始めたきっかけは、幼い頃から死ぬのが異常に怖かったので、その気持ちを何とかしたい、というものでした。
でも、誰かとお話したり、死についての本を読んだりするうちに、こうやって死について語ったり、考えたりすることには、どのような意味があるのかを考えるようになりました。

「死」についての話題は避けられることが多く、周りの人と面と向かって死について語り合うことは、あまり多くないように思います。

でも、本屋さんに行けば、死に関する本が目立つところに平積みにされてます。
死についての話題が避けられることとは反対に、死について無関心な訳ではないのではないかと思います。

死について語られる本の中には、現代の人々が死について考えないことや、死に触れる機会が減ってきたことが問題であると書かれています。
そういうものを読むと、死について考えることは、大切なことのように思えてきます。

では、死について考えることは、どのような意味があるのか。

私が、死について考えてみて良かったと思うことは、自分にとって本当に大切なものが何か、考える機会を得たことです。
死について考えると、日常の小さな不満(パソコンが壊れかけで、すごく起動が遅いとか……)はどうでも良くなります。

そんなことよりも、今、家族と離れて暮らしていること、大切な人に感謝の気持ちを伝えていないことが悔やまれます。
「いつ死ぬか分からない。いますぐ実家に帰って家族と一緒に過ごさねば……!」
という気持ちになります。

このとき改めて、自分が家族を大事に思っていることに気が付きました。

自分の死を想像したとき、生きている現在、自分が何をしたいか、誰と一緒に居たいかは人によって違うと思います。
でも、「死ぬ前に、これだけはやっておきたい!」と思うことは、きっとその人にとって、とても大事なものだと思います。

だから、「自分が死ぬ前に、何をしたいか」を考えれば、そのときの自分にとって、本当に大切なものが分かるかもしれない。
これは、死を考えることの意味になり得るのではないかと思います。

でも、死について考える中で、嫌なこともあります。

まず、とにかく怖い
これは人によると思いますが、私の場合は、死について考えることが尋常じゃなく怖い。
できれば考えたくない。

でも、考えようと考えなかろうと、死は必ず訪れます。
それなら、死ぬときに後悔しないように、考えてみるのも悪くないか……?
でも、やっぱり怖いものは怖い。

次に、挑戦するのが難しくなる
これも人によると思いますが、私の場合は、「明日死ぬかもしれない!」と思うと、どんどん保守的になっていきます。
「実家に帰って、家族と一緒に過ごしたい。他に何も要らない! どこにも行きたくない!」
何か新しいことをしようという気が起きなくなります。

1日なら良いかもしれませんが、何年もずっとこれでは物足りないだろうし、何より働かなければ生きていけません。
だから、常に死を意識して生きるのも難しい。

じゃあ、どうしたら良いのか。

……どうしたら良いんでしょうか?
よく分かりません。

普段は、目の前の用事に集中して、時々、人生に終わりがあることを意識して、「私の人生はこのままで良いのか?」と問い直してみるとか?
脳内の、生と死のバランスが大事なのかもしれません。

私はすぐ死の側に振り切れるので、悲観的になり過ぎないように、これからも死と生について考えていきたいと思います。


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