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現代社会で死を考えること

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、死を考えることについて。

 先日、書店に行ったところ、目立つところに平積みにされている本の3分の1くらいが死に関する本だったので、驚きました。そこで、今回は死について考えることについて、考えていきたいと思います。

 書店に並べられている本は、死について哲学的に考えたものから、あの世についての本、老後の暮らし方に関するエッセイ、名言集、老いや死をテーマにした小説まで、様々なジャンルのものがありました。
 このような死についての本が、以前から沢山売られていたけれど、私が気付かなかっただけなのか、最近になって増えてきたのかは分かりません。ですが、どちらにせよ、沢山の本が売られているということは興味深いことだと思います。それだけ社会から求められているということではないかと思うからです。

 以前、佐伯啓思『死と生』を読んだ際に、現代社会では、まだまだ経済成長が重視されているけれど、本当は経済的に成熟した社会になってきていて、「いかに生きるか」などの精神的な問題に取り組む段階だ、といったことが書かれていました。
 確かに、ほとんどの人が毎日の食事や住むところを確保するために、必死に働いていた時代に比べると、余暇を楽しむことのできる人がかなり多くなってきたのではないかと思います。だから、以前に比べて「死とは何か」といった哲学的な問題に取り組みたい人、取り組む余裕のある人も増えて来たのかもしれません。

 また、現代では、科学の発展により、死や生についての信仰に対して疑問を持つ人も増えてきたのではないかと思います。しかし、人がいつか死ぬという事実は変わりません。死について、分からなくても幸せに生きていける人がいる一方で、何も分からないことで強い不安や恐怖を抱く人もいます。
 だから、「人は何故生まれてきたのか」「死んだらどうなるのか」といった精神的な問題についての本も売れているのかな、と思います。

 そしてやっぱり、高齢化が進んだことも、死についての本が売られることに繋がっているのではないかと思います。
 死について考える中で、私が強く感じたのは、人生は一度きりだということです。人生が一きりだということは、すべの人が初めて「今」を経験しているということになります。
 私はずっと、長い人生を生きてきたお年寄りは、何でも詳しく知っているように思っていました。しかし、全ての人が初めて今を経験していると思ったときに、お年寄りも、今初めてお年寄りになったのだと気が付きました。確かに、若い頃どうやって生きてきたかという経験は沢山あると思いますが、老後を生きるのは、年を取ってからが初めてではないかと思います。
  もっと言えば、生きている人のほとんどは、自分が死ぬときに初めて死を経験します。臨死体験をしたという方もいますが、少数派です。

 子供の頃、若い頃は、身近に居る人生の先輩に分からないことを訊くことができますが、自分が年を取ったとき、自分がいざ死ぬというときには、それを先に経験した方が亡くなっていることが多く、身近な人に質問するというのも難しいように思います。だから、老後の暮らし方についての本や、「どうやったら良い死に方ができるのか」といった本が必要とされるのかもしれません。

 今回は、死について考えることについて、考えました。経済成長や、科学の発展、信仰への疑問、高齢化など、現代社会の様々な側面から、今、死について考えることが求められているのではないかと感じました。死に対して暗いイメージを持っている方も多いと思いますし、私もそうなのですが、死は全ての人にいつかは訪れるものなので、これからも考え続けていけたら良いなと思います。

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