死を想う2

私が「死」について考え始めたわけ

ここでは、日頃私が死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
今回は、私がなぜ死を考えることにしたのか。

物心ついた頃から、死ぬのが怖くて、なるべく考えないように、考えないようにと思って過ごしていました。
大切な人の死など、何か大きな出来事があったわけではありませんが、
ニュースとか、虫の死骸とか、古い家とか食べ物とか……
全部を死に結びつけて考えていたような気がします。

死ぬのが嫌すぎて突然泣き出したり、
色々なアクシデントを想像して避難経路を考えたり、
今日会うのが最後かもしれない……
と家族の声を録音したりしていたのが小学生の頃。

人はいつか死ぬのに何で生まれてくるんだろう?
死んだらどうなるんだろう?
消えたくない。
生まれ変わりたくない。
と思っていたのが中学生の頃。
人を見れば死ぬ瞬間を想像して、電柱とか家とか、何を見ても壊れてなくなるところばかり想像してしまう。
どうせいつか地球もなくなるのに、何で生まれたり作ったりするんだろう?
生まれなければ死ぬこともないのに、なんで生き物は存在するんだろう?
死後のことは絶対に分からないのに、死が絶対に訪れることが、ひたすら怖かったです。

それからしばらく、死をそこまで意識しない時期が続いていたのですが、この前久しぶりに、死ぬのが怖すぎて、何も手につかないということがありました。

死んだらどうなるんだろう?
無って何だ?
分からないのが怖い。
痛いのが怖い。孤独が怖い。寒いのが怖い。
風が冷たいとか、思わなくなるのが怖い。
記憶が全部なくなるのが怖い。
何も残らないのが怖い。
こんなに色々怖いと思っているのに、私にはまだ何の問題も起こっていない。
死ぬときっていうのは、一体どれだけ恐ろしいんだろうか。
この怖さを上回る恐怖が怖い。

それで、どうやって死について考えないようにするか、というのをずっと考えていました。
でも、死について考えないでいることも恐ろしくなってきた。
考えないようにしたからといって、死を避けられるわけではないからです。

そこで、いっそのこと納得いくまで考えてみることにしました。
いずれ死ぬという事実は変えられなくても、死に対する私の考え方は変えられるはず。

というわけで、ここでは、私が日頃死について考えたことを書いていきます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?