ヨルシカ盗作レビュー本編

多少ネタバレを含むかも。

...というわけで盗作のレビュー本編である。何回も聴いて、過去作まで聴いて、小説も読んでレビューを書いていたらこんなに長くかかってしまった。以前書いたタイトル詐欺の番外編ではなくちゃんと(?)楽曲やその周辺について思ったことを書き連ねていこうと思う。かなり長くなる。ちなみにカセットテープは聴ける環境にないのであいにくまだ聴けていない。

個人的に思うヨルシカあるあるとして、夏の匂いがしがち、夏草が邪魔しがち、茜色になりがちというものがある。今回も夏の匂いはめちゃくちゃしたし茜も出てきたが、珍しく春の匂いもしたしなぜか夏草は邪魔しなかった。あと今回でもう一つ、あるある4として曲数揃えがちを加えることにした。インストの曲数も全部揃えているが、ここにメッセージ性を見出そうとするのは考えすぎだろうか。単にこの構成がやりやすいだけなのかもしれない。

先日、ヨルシカさんのラジオを聴いた。suisさんの歌声は本当に綺麗だ。美しい。どこまでも突き抜けていきそうな透明感も持ち合わせていながらもどっしりとした芯のある歌声だと思う。女性にしては低めの声だと思うが、そこがいい。n-bunaさんが作る楽曲に本当によく合う。歌ってみた系の動画を見ることもたまにあるけれど、やっぱりsuisさんに敵うものはない。

今回のアルバムは自分にしてはよく聞きこんだ。先日愛用の有線イヤホンが壊れてしまったので買った新しいワイヤレスイヤホンがとても良く、嬉しくてついずっと聞き続けてしまっているのもあるが、楽曲すべてが本当に好きでもはや何度でも聴かざるを得ない。

いつもはかなり聞き流してしまいがちなタイプな僕だが、ちょっと意識して聞いてみるだけでこんなにもピアノやギターの音が鮮明に響いたりn-bunaさんのコーラスの声が聞き取れたりするものかと驚いた。僕は音楽への造詣は激浅だが、これを機に家にある電子キーボードの練習を始めてみた。

...そろそろ楽曲本体のレビュー、もとい僕個人の感想の本編に入ろう。

01.音楽泥棒の自白

ヨルシカさんのアルバムにはインスト曲が欠かせないし、このアルバムにも四曲収録されている。受験期に勉強していて周りの音がどうしても気になる時は過去作のインスト曲だけを集めたプレイリストをひたすら聞きあさっていたのを思い出す。

この曲は「盗作」という作品におけるアペリティフとして本当に最高の一曲だ。独特なおどろおどろしさを持っていながら、これから始まる物語の幕開けにむけてドキドキさせられてしまう。インストなのにsuisさんの声が入っているのはやや意外だが、妖しさすらあって背骨がぞくぞくする。小説とよくリンクしていて、それに気づいたときはあっと驚いた(音楽への造詣が浅いのですぐには気づかなかった)。次の曲との間に隙間がないからするりと作品にのめりこめて、気が付けば目を閉じて聞き入ってしまう。

02.昼鳶

調べてみると、
1 昼間、人家などに忍び込むこそどろ。
2 掏摸(すり)のこと。
とある。初回盤の小説中でも昼鳶という言葉は出てくるし、小説の主人公である泥棒の家出後の生活そのままを切り取った曲だと思う。「夜景、ダイヤの光~お幾らばかり?」の部分は完全に小説にあった部分だ。男の負の感情を映すようなベースの低音が一曲を通してかなり長い間主張していて良い。

ここに書けていない歌詞についてもいろいろと考えてみたけれど、いままであまり考察したことがないからうまくいかない。最初の一説に出てくる価値観というのは誰の、何の価値観なのかがよくわからない。価値観が妬ましいという感覚を味わったことがないのでここはよくわからなかった。

あとこれは余談だが、さぁ幸せはお幾らばかり?のところで60000円だってこの前言ってたじゃんとつい思ってしまう。もちろん家賃が引かれて4000円だ。

03.春ひさぎ

この曲も昼鳶に続いてなんとなく暗い、低音がよく主張する曲だ。ダ・ヴィンチのインタビュー記事にもあったが、自分も歌詞を聞いたとき妖艶さが際立っているし言葉遣いも遊廓をイメージしているのだと思った。suisさんの歌い方もそうだ。そもそも昼を鬻ぐ(ひさぐ=売る)ということで、春ひさぎという言葉自体売春の隠語だ。最初は春の楸??と思ったがこれは的外れだ。

でもこれが商売としての音楽創作に対するメタファーというのはちょっと思いつかなかった。これを踏まえて考えると聴き手や音楽を受け入れる世間を遊廓を利用する男性に、商売音楽をする創作者側を娼婦に例えたということだろうか。詮のないことというのが受け手側の批評で、この憂いは売れる音楽を作る作者の悩み。こう考えればそれなりに暗喩として意味が通るかと思うが、何度も出てくるかげろう、これは何だろう。わからない。しかも蜻蛉と陽炎という二種類の表記で出てくる。何かを意図しているのだと思うが、何を意図しているか。儚いものの例えとしてならよく使われるだろうが、どんどん消費されていく楽曲のことだろうか。

04.爆弾魔

これ。これだ。一番好き。アルバムの中で一番聴いた。もはや考察なんかしなくていいだろうという気になってくる。ヨルシカさんのアルバムは全部初回盤で持っているが、これは最高だ。負け犬にアンコールはいらないからの再録だが、そのときにはなかったアレンジが利いていてすごく良い。好き。

所々で挟まってくるピアノの音は前にはなかったし、細かいことを言えば、「風が吹けば花が咲く」のところのピアノがものすごくいい。suisさんの歌い方も違う。n-bunaさんのコーラスも良い。というか彼の高い声が好きで、YouTubeにあるn-bunaさん本人の夜明けと蛍はよく寝る前に聴いている。全体的に厭世観と疾走感がすごく感じられるが、男の感情とよく一致するしアルバムの中でもぴったりしていて、最初からこのアルバムのために作られましたみたいな顔がどこか憎らしい。

ここまでべた褒めだが、一か所だけ歌詞で百日紅が出てくる。なぜここで百日紅をチョイスしたのか不思議だ。夏の季語だし、花の咲き始めも初夏だからちょうど季節感はアルバムやn-bunaさんの好みに合うが、花言葉など調べてみても曲に合いそうなものは見当たらなかった。ちょっとした謎だ。

05.青年期、空き巣

さっき爆弾魔を一番聴きこんだと書いたが、あれは正確には嘘だ。すみません。曲として楽しむという意味では爆弾魔を一番聴いたのだけれど。本当に一番聴いたのはこの曲だ。この曲はインスト曲だが、前作エルマの湖の街的な、アメリカでDJでもやっていそうな男性の声が聞こえる。しかも今回はなにか意味のある英語を話している。この英語の部分が何と言っているのか分からなかったので何度も聞き取りをしていたのだ。

受験終えたての大学生なのである程度リスニングはできるが、得意というほどではない。英語を専攻している友人の意見を参考にして導き出した結論は、This is the end of side one of this record. Please not turn it over before second time.である。しかし、たぶん違う。一文目はおそらく合っているが、そのほかは聞き取れない。timeもroundかlap、もしくはsideのように聞こえなくもないし。turn it overのあたりは完全に友人の意見だが、その彼も自信はないらしい。

で、肝心の意味だが、「レコードの片面はここで終わり。2周目に入るまで(裏面に入ってから)レコードを裏返すんじゃないぞ」くらいでどうだろう。要は、この先に進んだら最後まで聴き終わるまでアルバムの前半4曲は聴くんじゃないぞ、ということだ。

(※結局この部分の正解は分かったのだけれど正解が分かる前に自分で考察した歌詞と解釈だけ載せています。なので上記の歌詞と解釈はある程度誤りを含みます。)

アルバム全体が音楽泥棒の人生になっているなら、ここまでの暗い破壊的な過去は最後まで振り返るんじゃない、という意味になるのだろうか。確かにここまで低音が響く曲が多いが、ここからは比較的明るいというか、一つ視点が高くなって悟ったような雰囲気になっていく。外側を向いていた破壊衝動が自分自身という内側に向き合うようになっていく。

小説の中でも、空き巣をやめたのは彼女と再会したからと言っていたか。このへんが小説で彼女と再会したあたりと対応しているとすれば、この流れも納得できる。カモメのような鳴き声と軽快な音楽も心地いいし、最後のほうに流れる音楽も闇が濃かった男の人生に光が射したような気持ちになる。自分は夕暮れ時に下校するような懐かしさや童謡の赤とんぼのイメージを感じたが、人生に光が射すという意味では夜明けや朝のイメージかもしれない。

06.レプリカント

調べてみると、映画「ブレードランナー」の中で人造生物、特に人造人間みたいな意味らしい。他にもいくつかヒットしたが、要するに人間という神様の作品(?)を盗んで作った人造人間ということか。クローンと何が違うかよく分からなかったが、まあ違いがあってもなくても人間によって作られるという点で同じだからこのくらいの理解でいいだろう。

ということで僕は歌詞で出てくる映画はブレードランナーのことで、音楽泥棒は自分をレプリカントとして映画の中に見たという解釈をした。まあ僕はブレードランナーの要約しか見ていないので違う映画のことか、架空の映画なのかもしれないが。というかつまらないほどに薄い映画なんて失礼が過ぎるから、架空の映画なのだと思っておこう。

それより、神様だって作品なんだからという一節のほうが気になった。僕は神話とか伝説の類はただの物語でしかなく、その物語のスケールが大きすぎたから宗教という名前で生活に取り込まれているだけだと思っているので神様もしょせんは人間の創作物だという考え方は共感できる。人間は自分の力ではどうしようもないことがあったとき、架空の上位存在に助けを求める。その対象として神が生み出されたにすぎない。

曲自体は、歌を歌うのに理由もないわの歌い方とn-bunaさんのコーラスがとても良い。なぜか彼の歌声が入っていると感情が溢れてくるようで、本当に好きだ。

07.花人局

まずタイトルの意味がよくわからない。美人局をもじって何を表現したかったのだろう。調べてみると美人局はもともと筒持たせで、博打でいかさまをするために細工がされた筒を使わせたということらしい。しょせんそのへんのサイトからの引用で出典が弱いから大した参考にはなっていないが。

これが正しいとすれば花人局はむしろ男に花を持たせてくれる、男にとってなくてはならなかった存在である彼女をイメージしたということだろうか。時系列的には小説で彼女が死んだあたりに相当するから、男に大きな穴が開くことになった最大の喪失を直視できないでいる、そういう曲なのだろう。

この曲を聴いた感想としては、後半何度かある空白で曲が終わるとみせかけて終わらず少しいらいらしてしまったが、曲を何度も聞き返すと男の心の空白ややりきれなさ、信じられないという気持ちがよく表現できているように思えてうまい構成だと思った。最初に違和感を感じる曲のほうが聴きこむうちにどっぷり魅力にはまってしまうのはよくあることだ。

08.朱夏期、音楽泥棒

最初聴いたとき、硬質なピアノの音が冬の寒さが刺すような夜という感じがして、孤独な印象を受けた。咳の音が入っているのも、冬の夜に一人で足早に家路を急いでいるような情景が見えた。彼女を失った男の喪失感やそれを超えた無を感じるようだ。

しかし、曲の後半になっていくにつれて前半のような寂しさは薄れていくように感じる。守るものもなくなりどうでもよくなって盗作を繰り返すようになるまでの心情変化をたどっているようで面白い。こんなに美しい曲にまとめられるn-bunaさんはやっぱりすごいと思う。

ところでネットをつらつらと見ていたら、咳の音は尾崎放哉の咳をしても一人という俳句を模したものではないかという考察を見かけて納得した。僕にはその俳句を連想できなかったが、それでも孤独は感じた。考え方は逆だが、この曲を通じて今まで意味不明だと思っていた尾崎放哉の句も実は上手いのではないかと思った。

09.盗作

これと次の思想犯が、コンセプトが全面に打ち出されていてすごくヨルシカらしいと思った曲だ。シンプルに聴いていて心地いい。n-bunaさんの声もsuisさんの声も吐き出しきれないほど感情が溢れていて聴くときは全力で聴きたいと思える。

特に、売れたなんて当り前さ、名作を盗んだものだからさぁ!の心の底から気持ちよさそうなあたりと、何一つなくなって、地位も愛も全部なくなって。のあたりが本当に目を閉じて集中しないと聴けない。きっとライブで聴いたら泣いてしまう。

歌詞について言えば、全部句読点がついているのが強烈な違和感がある。まるで音楽泥棒が自分で語っているような、その語りを文章に書き起こして一つの文学作品にしたような。おそらくそういう作品に仕立てることが目的だったのだろうしそれも成功していると思うが、あんなに感情一杯に歌っているのに歌詞が詩ではなくどちらかというと文章になっているのが、すごくズレを感じる。そのズレも男の思想の捻じれを表現するためだというのだろうか。

ちょっと気になったのが、かぎかっこの終わりのほうには句点がついていない。普通「僕は盗んだ。」みたいにつけるでしょと思ったが、調べてみるとそうでもないらしい。一つ賢くなった。

あと個人的に、わざわざ盗作というタイトルをつけたのだから、この曲の全部がすべて何かの盗作であってほしいと思う。なんならアルバム収録曲の全部が端から端まですべて盗作であってほしい。

10.思想犯

曲調が大好き。爆弾魔に匹敵するくらいには好き。サビ前の一節から烏の歌に茜にかけてのところが楽器の音も歌い方もすごくヨルシカらしいと思った。言葉の雨に打たれからのところもだ。なぜそう感じるかは自分でもよくわからないし、n-bunaさんにもヨルシカらしいってなんだよとか言われてしまうかもしれないが、そう感じた。

絶望感からくる破壊衝動全開、という感じを受けた。アルバムを通してガラスが割れる音がけっこう頻繁に出てくる気がするが、硝子を叩きつける音、ビール瓶で殴る街路灯のところがそれにあたるのだろうか。硝子が割れる描写は小説内にも出てきたしつながっているのだろう。ガラスが割れる音が美しいのは同感だ。包丁を研ぐ音や紙を破る音、ギターが折れる音もアルバムのどこかに出ていたかもしれないが今のところ見つかっていない。

そう、包丁を研ぐというのは何の比喩だろうか。単純に人殺し用の包丁なわけはないし、世間に対する刃ということだろう。盗作した楽曲群を磨いたり世に放ち続けたりすることだと思う。

n-bunaさんにしては珍しく、夏だけでなく季節が四つとも出てくる。言葉の雨に打たれからの四行だが、ここの言い回しもなかなか思いつかないものばかりだ。最初冬に落ちるって??と思ったが、言葉にできないが季節感的にわからなくはないかもしれない。春の山のところは尾崎放哉そのままだが。そもそもYouTubeの概要欄に尾崎放哉の晩年の盗用と書いてあるし。あと、烏の歌に茜この孤独も今音に変わる、は種田山頭火の模倣だろうか。

さよならが口を滑るという言い方も好きだ。彼女がいなくなった現実をいまだに受け止め切れていないのにさよならと言ってしまうと喪失を認めてしまうようだということか。最終的にこの曲の最後に向かうにつれて喪失さえも受け入れたように見える。ここまでで盗作を明かすという自己破壊も終えたと思えば、なにかに抗う必要もなくなり、すべて受け入れて逃亡してしまえと思ったのかもしれない。

小説はここまでで終わっている。

誰かの考察で見かけたのだが、青年期、空き巣でここまででレコードのサイド1は終わりといっているならこのへんが曲数的にサイド2の終わりに当たる。前曲の盗作までなのかもしれないが。そしてこの先は小説には書かれていない男の人生の続き、もしくは余生といったところか。

11.逃亡

おだやかで優しいメロディがすごく良い。今までの感情が激しく動くような曲とは違って安らげる。夜に一人で目を瞑って聴くのにちょうどいい。思いっきり今の季節の曲でもあるし。僕は真夏生まれなせいか夏は大好きだ。

男が彼女と行った夏祭りの回想が多いが、全部成し遂げたあとに逃亡したらいろいろ思うところがあるのだろう。というかこの男は逃亡せず今まで通り暮らし続ける胆力があるのだと思っていたのでなんか意外だ。少年との出会いと別れがそうさせたのかもしれない。

歌詞の名詞を羅列していく書き方は花人局やBUMP OF CHICKENのR.I.P.を思い出すが、こういう書き方は好きだ。名詞しか使っていないのに情景が目に浮かぶようだ。歌詞というと、祭り屋台の憧憬のところは最初曲を聴いたときは道化に聴こえて楽しい思い出なのかと思ったが、歌詞を読むともっとしっとりとした懐かしい思い出だったようで解釈を180°間違えていた。

12.幼年期、思い出の中

ピアノの音がとても心地いい曲だ。いや、心地いいような、悲しさがあるような、どちらでも受け取れると思った。むしろアルバムの流れ的には後者のほうで受け取るべきなのかもしれない。すべて捨て去って逃げた男の背中が見えるようだ。この曲もつい聴きいってしまって、気が付けば目を閉じて聴いている。寝る前に聴きたいような曲だと思う。

なんかメロディーは過去に聴いたことがあるような気がすると思ったが、ヨルシカの過去作からの引用だろうか。まさかのセルフ盗作?と思って聴いているが真相はわからない。

13.夜行

これも逃亡と同じですごく穏やかな曲だと思う。suisさんの歌い方もなんだか儚くていい。つい聴きいってしまう。それにサビのメロディーと歌詞がすごく独特で、口に出して歌うと詩を読んでいるようで、そして韻を踏んでいるようで気持ちがいい。はらはらと晴るる、波立つと涙尽きぬ。何かの俳句の盗作になっているのだろうかと思うが、そうだとしても何の盗作なのかそもそも本当にそうなのかわからない。けれどなんか心地のいい曲だ。

なんだか懐かしい気持ちにもなってしまう曲だが、これも過去の彼女と一緒に過ごした日の回想なのかもしれない。きっと彼女がいなくなるなんて夢にも思わず将来どうなるのか語り合ったのだと思う。最後のほうでそうか、大人になったんだねと言っているのはすごく哀しく聞こえる。時間軸が今に戻ってきているのか、これからも人生が続いていく男と早くに亡くなってしまった彼女との距離感がとても感じられる。彼女からすれば男はずっと向こうへ往ってしまうのだろうし、男から見てもここに残っているだけで相対的に彼女はずっと向こうへ往ってしまう。涙尽きぬまま泣いても、どうしようもない距離がある。

14.花に亡霊

歌詞だけみればどこか「言って。」のような雰囲気を持つ曲だと思う。これが主題歌になっている映画を見たわけではないので曲のイメージというか全体像はつかめないが、これも儚さや懐かしさがとても滲み出している。suisさんはかわいいと感じたそうだが、自分もそう思う。しかしそれよりも郷愁のほうが強いように思う。suisさんの歌い方からはそう感じた。

この曲でもやっぱり夏がよく出てくる。さわやかな、記憶の中だけの夏だ。アルバムのディジェスティフとして、過去の回想だけで描かれている。今も花に見る夏の亡霊というのはきっと彼女のことだろう。最初と最後で同じフレーズを使っているあたりからも深い切なさを感じてしまって、もう言う言葉がなかなか見つからない。無理に言葉にしようとするのも野暮だろう。

00.小説 盗作

以前のヨルシカさんは心に穴を空けていたが、今回は本に穴を空けてきた。小説を読み終わってページをめくってみると空いた穴に月光ソナタのカセットが入っている。これだけでくううう~~ってなってしまってしばらく絶句する。もちろんいい意味でだ。カセットを聴く機械は注文しているので届き次第すぐに聴きたい。

盗作というテーマについて思うことが少しあるので、ここでは小説の内容よりも僕個人の思想について少し喋りたい。

まず、n-bunaさんは作品の価値は楽曲自体にしかないという旨のことをおっしゃっていたが、それは間違いない。しかし、それを受け止めるのは人間だ。彼は楽曲の価値だけで評価されるべきだというし僕もそれが理想なのだと思うが、人間の価値基準は楽曲の良さだけではないことがしばしばある。曲の良さが理解されても、作った人間が犯罪者であれば聴き手側の価値基準にそれがあったとしたらそれは仕方のないことではないか。理想とは離れた受け止め方ではあるが、どうしても排除しきれないという人も多いに違いない。

あと、盗作とオマージュの違いとは何だろうか。これについてはn-bunaさんもいろいろな雑誌やインタビューなどでよく答えている。僕もこれらを読んだが、一つ疑問に思ったことがあった。それは、n-bunaさんは盗作元となった作品や作者に対してどのくらい敬意があるのだろうかということだ。この作品を鑑賞していろんな人のレビューや感想を見ていくことでアルバム収録曲が様々な作品の盗作になっていることは分かったが、日本語では敬意をもって元となる作品を参考にして新たな作品を作り上げることは盗作というよりオマージュのほうが近いはずだ。当然、本人がどの程度作品や作者に対して敬意を持っているかということは大きな判断基準の一つとなるだろう。

僕はn-bunaさんのインタビュー記事はそこそこ読んだが、どうも敬意はきちんとあるように思われる。特に尾崎放哉に対しては。以上のことを踏まえると、盗作して作った曲だといくら作詞・作曲者が主張したとしても、出来上がった作品はどこまでいってもオマージュにしかならないのではないだろうか。少なくとも盗んだということはその作品を良いと思って自分のものにしたいという意図があるに違いないから、すごく意味を広くとるとすべての盗作品はオマージュだと言えるのではないだろうか。逆もしかりで、盗んだのは事実だからすべてのオマージュは盗作と言えるかもしれないが。

僕はまだ大学一年生だが理系で、できることなら将来は研究もしたいと思っている人間なので学術論文における盗作には絶対反対だ。剽窃とも呼ばれ、ただの盗みにしかならない。しかし引用元を書けばそれはただの引用で、メインで書きたいことが別にあれば全く問題にはならない。明確な違いがある。

しかし、芸術における盗作とオマージュの違いは上にも書いたように不明瞭なものだ。すべての盗作はオマージュで、逆もしかり。n-bunaさんは境目がないという言い方をしていたが、僕はむしろ突き詰めて考えれば両者はまったく同一のものと呼んで差し支えないという立場にある。

そういえばこんな話を思い出したので書いておく。僕は囲碁が好きで長いことやっていたのだが、そのつながりで藤沢庫之助という昔の棋士の存在を知った。彼はよくマネ碁を打つ人だったそうだ。マネ碁とは自分が後手番になったときに、先手番の着手を盤の中央を中心として点対称の点に打ち続けるものだ。打破する方法もあるものの、一応は相手の打ち方を完全にコピー、すなわち盗作できる。彼は別の棋士にプロなんだからマネ碁なんてやめたらどうだと言われたそうだが、彼は、今の棋士が打つ手はすべて先人の手法を真似しているだけでそれも一種のマネ碁と言えるのではないか?ならば棋士としてはマネ碁にも真剣に向き合うべきではないかと言ったそうだ。

この話も芸術における盗作についての興味深い意見の一つだろう。少なくとも聞く価値は大いにある。いままで自分はこんなこと考えもしなかったし、n-bunaさんの思想に触れていなければこの話を今思い出すこともなかっただろう。「盗作」という作品を通じてとてもよく考えさせてもらった。もちろん楽曲自体が自分の好みドストライクだったことも含めて、お礼を言いたい。ありがとうございました。

ところで、彼はこのアルバムを通じて逆に大衆と距離を置きたいと言っていた。しかし、曲自体が僕は好きだからあえて嫌う理由はない。彼にとっては不本意かもしれないが、その思想も含めてより興味が出てきたこともあるので、彼が自分で音楽を完全にやめてしまうまでは一人のリスナーでありたいと思う。

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