大鳥あいという人物【夢現Re:Master感想】

はじめに

 7月末日、さる発表会の締め切りに追われ精神的な疲弊を痛感していたわたしは、癒しを求め、一つのゲームをプレイしようと思った。掲題の作品「夢現Re:Master」(ゆリマスター; https://yuremaster.kogado.com/)である。SHIROBAKOやNEWGAME!といったお仕事系作品は私の英気を養うものであるし、なにより「白衣性恋愛症候群」を出した工画堂スタジオ・しまりすさんチームの作品だ。私の心を満たすに違いないと。結論から言えば、こころは満たされつつも大きく揺れ動き続けている。あいが分からなくなったのだ。そして全部のエンディングを読了した後も、必死になって描写を見直し、その結果なんとなく納得の行く、恐ろしい答えを見い出すことができた。
 この恐ろしい世界観を構成した制作チームに敬意を表すため、ここに一つ、感想記事を書くことにした。なお、真っ当な感想ではなく、掲題の「大鳥あい」がどのような人間であるかを中心に記述する。実際さきルートなどにも熱烈に感動したのだが、私の抱いた感想なぞ月並みであるし、他の人が既に共感できる感想を書いているからだ。一方で大鳥あいの特殊性に触れた感想はあまりないため、これを取り上げることにした。なるべく作中の情報をスクリーンショット(物理)で引用し、正確さには注意を払う。なお、ネタバレしかない上に、作品を純粋に楽しめなくなるため、未だプレイしていない方はやくそくのばしょに是非たどり着き、ニエ魔女を完成させてから読んでほしい。作品そのものの解説が最小限であるからだ。これだけを見ても多分ゆリマスターの魅力は伝わらないと思われる。だが、ゆリマスターをプレイした諸氏になら、鼻で笑われるか、もしくは少しくらい共感をしてもらえたら幸いである。

魂の交換について

 ゆリマスターの主人公はあい、ということになっているが、正確には彼女は物語終盤にしか登場しない。あいとその妹であるこころは、三年前に2人で作中作「ニエと魔女と世界の終わり」(ニエ魔女)をプレイした際、あいはニエと、こころは魔女と魂を交換されてしまう。

図1 「やくそくのばしょ」での対話。魂の交換という本作の心臓部を示す。

この魂の交換は、現実世界では次のように作用している:あい(こころ)の肉体には、肉体の記憶を保持しながらニエ(魔女)の魂が入っている。魂はこの作品では記憶と独立した、いわば演算装置である。記憶があい(こころ)であるため、自分自身をニエ(魔女)だと気付くことが出来ずに3年経過し、物語は始まる。

図2 物語終盤、魂が元に戻った際の記述。この作品の心臓である。

こころの身体に入った魔女は、その魔力からか、あいが"あいではない"ことに気づき、ニエと距離を置き、場合によってはあいを取り戻すために奔走する。一方あいの身体に入ったニエは愛する妹に拒絶される理由が分からないでいる。要するに物語の主人公はあいではなくニエ、正確には自分をあいだと思い、あいの記憶からその人格を演算しているニエの魂である。

大鳥あいとニエの人格の違い

作中では、あいとニエが全然違う人間性であることが明示されている。

図3 終盤、意識を取り戻したこころの言

ニエの人格は作中大半の地の文で描かれているように幼く、まっすぐで純朴である。また、声を演じた吉岡麻耶さんが言及しているが、やや人間性が希薄である。ニエの設定を考えると妥当である。一方であいの人格は独占欲や独善性がつよい。愛する人と永遠に一緒に居られることを何よりも優先し、そこに他者への配慮がない。

図4 上はあいが魂の交換に応じた理由である。ニエは愛する魔女が呪いにより殆ど死んでいること(ニエ魔女には少なくともどちらかが死ぬエンドしかない)を嘆き、他の世界への移動を望んだ一方、あいは両親の離婚により愛するこころと一年に一度しか会えない状況から、ニエ魔女のエンディングに憧れを持った。そこにこころの生死は関係ない。下は作中終盤でゲームがリメイクされ、エンディングが変わってしまうこと、そしてニエと魔女が戻ってきてしまうことを危惧し、本気で制作チームを殺そうとしていることを示している。

作中でニエはあいの人格を演じているが、ニエが時折自分らしさとあいとしての記憶情報の食い違いに戸惑う描写がある。

図5 共通ルートにて。ニエ魔女の世界観は西洋であるため。(他にも、こころルートにて、ニエに自分らしさの意識が芽生え、あいが大事にしていた髪の毛をバッサリと切るシーンがある。)

この魂と記憶の齟齬、ニエとあいの人格の違いが、このゲームのエンディングの分岐に関わっている。端的に言えば、ニエの人格があいの歪んだ愛性に侵食されるとバッドエンドである。

あいの侵食とゆリマスターのバッドエンド

 ゆリマスターのバッドエンドはいずれも陰鬱であり、プレイヤーの心を抉る。実はこれらのバッドエンドで、当の「あい」本人は幸せを感じている。これにおいて、それまでの性格がガラリと変わる様子から、ニエの魂があいに侵食されている様子を見出せる。まずは顕著にあいの愛性が示されている、ななルートバッドから見ていく。このエンドはななが疑心暗鬼になりあい達の元を離れた結果、借金を抱えた義母により「酷い場所」に売られ、心的外傷からななが喋れなくなってしまう。心配する仲間たちは、ななと一番仲が良かったあいと同棲させ、回復を待つのだが、

図6 物言わぬ人形となったななを病院に連れていかず自室に軟禁し、耽溺するあい。

このエンディング手前で、あいはななを手放してしまったことを酷く後悔する。その後、ニエの人格はあいの過去を読み取り、その結果、あいの愛性に侵食される。その回想は、あいが幼少から孕んでいた狂気を明示している。

図7 幼少期の回想と人形遊びをしているあい。もはやニエの魂は融けあい、あいになってしまっている。

この独善的な愛は、回想より間違いなくあいの生来有するもので、ニエのものではない。同様の侵食が、さきルートバッドでも確認できる。特に以下のシーンは、そのスイッチングが示されている。

図8 さきルート最期でさきを甘やかしてしまった場合。途中からさきのことではなく自分の欲を優先し始める。以下に続く。

図9 己の内からくる欲求に押し負け、さきにシナリオを書かせなくする。そしてゲームは完成しなかったが、それを「関係ない」と切り捨てる。あいは幼児退行したさきを実家に軟禁し、赤ちゃんごっこに耽る。

図10 あいの狂気はさきを取り込み、堕落させる。もはやさきに自由意思はない。なお、夜はあいの性的玩具にされている描写がある。

さきルートバッドでは、ニエが欲望に屈服して発露したあいの狂気がさきに伝わっていく様子がうかがえる。これはあいが外敵に射殺されてしまうマリールートバッドでも伺える。あいの死後、精神病棟に隔離されたマリーは"夢と現の区別がつかなく"なり、頭の中のあいと会話をし続ける。基本的にマリーが脳内のあいのセリフを発音するのだが…

図11 下のシーンは唯一、マリーの声にあいの声が混ざる。あいの魂か、あいに侵食されたニエの魂がマリーの元に伝わっていった可能性を示唆する。この可能性は些か突飛だが、以下の根拠に基づく。

1.ニエの魂は夢と現を行き来し、他人の体に入り込める。
2.マリーは夢と現が混同しているが、本物のあいの魂のいる「やくそくのばしょ」も夢と現が曖昧になるという記述がある。
3.さきルートで見られる狂気の伝播。

以上が最終ルートであるこころルート以外で確認できる、あいの発露である。大鳥あいの生来の狂気が、いずれのルートでもバットエンドを発生させ、しかしあいに取り込まれたニエは幸せを享受できる終わり方で一貫している。

こころバットエンド 本当に消えたのはどっち?

 残るこころルートでは、こころの中に魔女が入っているせいか、ニエの自我が強く目覚める。それ故にこころ(魔女)は「あいの中にいるニエを追い出す」ために暴走するが、その過程であい(ニエ)は「自分の中にニエが居る」と気付く。しかしこれは当人たちの誤解である。最初に記述した通り、魂は入れ替わっているため、あいの中にはあいはおらず、ニエしかいないからである。そしてこころの中にもこころはおらず、魔女しかいない。この誤解を考えながらこころルートバッドを読み解くと、ニエがあいに侵食される様子が生々しく描かれていることに気付く。
 発端は最終盤、ニエ魔女の真ルート(実装されなかった「やくそくのばしょ」が現れる)の追加が確定して以降届き始める謎のメールである。これは図4下の通り、あい(とこころ)による妨害工作である。あいはやくそくのばしょへのリンクからニエと魔女が戻ってきてしまうことを本気で嫌がっている。そのため、こころの体に入っている魔女をそそのかし、現状維持を提案させたのだ。

図12 こころ(魔女)の提案に対してかすかな違和感を覚えるニエ。大切な魔女様といられることは自分にとって幸せであるが、そちらを取るとニエ魔女のリマスターが完成しないという板挟みである。

この提案を受け入れようとする自身に対しニエは僅かな違和感を抱く。これはまさにあいの侵食である。これに屈してこころ(魔女)を受け入れると、こころルートバッドが始まる。

図13 ニエはあいを演じることをやめ、内から湧いてくる欲に従う。興味深いのは、ニエ自身はそれを「あいではなくなる」と思い込んでいるところである。実際は逆であり、むしろニエの人格はあいに侵食され、ニエでは無くなっていっているのである。それを明確に示すのが以下。

図14 こころルートバッド終盤。ニエ魔女の聖地にて服毒し、心中する。これは原作ニエ魔女のエンドの再演である。美しく、いかにも当人たちは幸せな結末を迎えたように見える。しかし、ニエはこのエンディングを当初嫌がって、魂の交換を起こしたはずである。ゆえに、このエンディングを是と受け入れている時点でもはやニエでは無くなっており、あいによる侵食の完遂を意味する。

こころルートは、あいが実際にニエと魔女、そしてユリイカチームに攻撃を仕掛ける唯一のルートであり、明確にニエ魔女真ルートの完成を嫌がっている(=ある意味でラスボスである)こと、そしてその侵食にニエが屈するとバッドエンドになるという、ゆリマスターのルールを明示している。

幸せなエンディングへ向かう条件

 以上ですべてのバッドルートの考察及び、その発生条件が「あいの侵食にニエが屈すること」であることを確認した。いずれもあい(ニエ)自身は幸せを感じる結末であるため、物語としてグッドエンディングを迎えるためには、ニエ自身がその「見かけ上の幸せ」を否定する必要がある。ななルートでは「後悔する前に行動に移し、ななを寸での所で救出する」こと、さきルートでは「さきを甘やかす誘惑に負けないで、さきを叱咤し、ゲームの完成へと導く」こと、マリールートでは「マリーを信じること」でグッドエンディングを迎えられる。これらは一見、あいの侵食への抵抗という描像が見えにくいが、こころグッドエンディングでは、メールを通じてニエとあいと直接対決するため、非常に明確である。

図15 こころ(魔女)に届いたあいからのメールを見て、その返信を書いている場面である。これはニエのあいとの決別を示す重要なシーンである。ニエは目前の近視眼的・停滞的な幸せではなく、前に進むことを選ぶ。それを選ぶことは非常に怖いことであり、様々な感情が入り混じるものでありニエはついに泣き出してしまうが、それでもその決心をメールにし、叩きつけるのである。そしてこの涙が、ゲームの完成の最後の欠片となるのだ。

図16 数日後、やくそくのばしょのイメージをさき、マリーが描写できずに苦しむ中、やくそくのばしょに実際にいるあいからメールが届く。そこにはあいが描いたやくそくのばしょのスケッチが添付されていた。なぜここにきて態度を急変させたのか? その答えは、ニエの涙を見たことである。そしてニエの涙をあいに見せたのは、やくそくのばしょで死にかけていたこころである。(メールを実際に送受信していたのもこころである。こころは魔女の体に入っているため、魔法が使えたのである)

かくしてニエ魔女は完成し、その真ルートをプレイしていたニエと魔女は、やくそくのばしょにたどり着く。

図17 やくそくのばしょでの再会。水面に映る肉体と、それを眺めている魂の対比が示されるこの絵は、「夢現Re:Master」を象徴するイラストだと考えられる。

やくそくのばしょですべてが語られ、あいとこころ、ニエと魔女、奇妙な魂の入れ替わりは元に戻る。

図18 こころの思惑が語られる。重い腰を中々上げないあいに、ニエの涙を見せることで、ついにあいの心が動いたのであった。

図19 しかしここに至っても、あい自身には恐怖が残っていた。しかし恐怖から逃げた停滞が本当に幸せなのか? 恐怖を踏み抜いてでも進んでいく未来をこころと歩むこと、それを他ならぬこころが望んでいるのだということから、元の世界に戻る決心をする。

魂は全て元に戻り、ユリイカソフトのニエ魔女チームは新作をまた作っていく……という形でエンディングを迎える。あいはニエの記憶を有するためか、思考が若干ニエに寄っていることが、エンディング前後およびエピローグから示唆される。ある意味でこころルートは勧善懲悪的というか、停滞という誘惑の打破が主題の王道的エピソードであり、最後にはあいも成長するものとなっている。

結論 あいの変化と夢現:Re:Master

 あいは全てのルートである意味バッドエンドの牽引役を務める、ラスボス的位置づけであることが確認できた。その本質は永遠を求め、ある意味独善的であった。しかし、こころルートにおけるニエとの直接対決でもって成長し、最後には現実に帰還する。これをまとめると、ゆリマスターの主題がどこにあるのか、という点について、「大鳥あいは停滞を求め、こころと共にゲーム世界に引きこもった。しかし入れ替わったゲームの人物であるニエの成長を見て、自身も変わる勇気を持つことができた」とまとめることができる。もちろん、各ルートでそれぞれのヒロインが抱える主題はあるし、他にも要素が沢山あるが、一つ「大鳥あい」という人物に焦点をあてるとこのようにまとまるのではないだろうか。

蛇足 真実とは、虚構とは

 エピローグのあいの上京1周年記念にて、ある奇跡が起こり、最後の問いかけがなされる。

図20 最後の問いかけ。

作中の答えは、あいによって以下のように続く。「なんて、どうでもいい。ただ一緒にいたいこころがいて、ユリイカのみんながいて」これは、独善的であったあいの成長を感じることにできる一文である。
しかし一方で、この問いかけは、畑は全く違うものの「うみねこのなく頃に」を思わせる。作中の幻想描写をどこまで受け入れるのか、読者目線で見てそれを「超展開だ」と断じるか、全く考えず「ファンタジー」として受け入れるか、それともその世界におけるルールを見つけ出すか、深読みのしすぎかもしれないが、そのあたりの問いをシナリオライターに投げかけられているように感じさせるものである。
 夢現Re:Masterの世界での回収しきれない超常描写は実は結構ある。例えばHiPS細胞などによって示される「男性不在」の世界観。これについては実は疑問点がいくつかあって、例えば、会社のトイレには女性用であることを示す赤いプレートが2つ見える。一見するとそれは男性が居ないことを示すが、そもそも男性が居ないのであればプレートが赤色である必要なんてないように思われる。また、要所で「女子会」であったり「女」と性別を意識させるものがあるが、性別というのは複数種の「性」があるからそれを「区別する」ためのものだ。女性しかいないのであればそこまで強調する言葉は文化的に生まれうるのか? という疑問である。これに対する答えは、「なんらかの原因で男性が消えた世界」である。これならば、作中の描写に矛盾しないし、HiPS細胞の利用などについても合理的に説明できる。。
また、栃木などは言葉としてそのままである一方で、東京は一貫して「帝都」だったりなど。これが何を意味するのか。描かれてはいないものの間違いなく一貫した設定の下でゆリマスターの「世界」は構築されているはずで、その考察材料は間違いなく作品に眠っていると思われる。が、多分それを全てゆリマスターで明かしてしまうとおそらく主題がブレてしまうのではないか。ゆえに言及がされないのではないか。
 まだまだ楽しめそうである。ほんとうに、この世界は恐ろしい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?