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今朝、私の心が伝えてきた2つの幸せに生きるヒント。

実はみんな、お医者さん📋🩺

今朝、いつもなら鏡を見ながら顔にスチームをあて、その後マッサージをするのだけれど、
妹が鏡を使っていたので、まあなしでもいっか!と思って、手の感覚を頼りにやってみた。
いつもは浮腫とか見た目のために流れ作業でやっていたけれど、ふと思った。
“自分の顔を見る手段(鏡とか窓ガラスとかカメラとか)がこの世から無くなった時、この作業って必要なのか?”と。
そんなこと(見た目)よりもマッサージをした時に、『今日の顔のコリ具合』とか、『肌の硬さ、滑らかさ』とか。そっち(今の自分の状態)の感性の方が、生きていくうえで本当に大事にすべきことなのではないか?と。
だってこの世から自分を映すものがなくなったら、
今やっていることの意味が全く分からなくなってしまうから。
自分の今日の、今の調子を診て、向き合って、知る。
実は自分自身が1番のお医者さんなのかもしれない。

ハートの信号が始まり🚥

昨日購入した『北欧のあたたかな暮らし 小さな愉しみ』という一冊の本を、出かける直前に今朝も開いた。
この本は北欧暮らしに精通した12人の人が、日常で見つけた《小さな愉しみ》が、365日分写真として切り取られている。その1日1ページを見ていくような本である。
今朝はアイスランドの『ハートの赤信号』が切り取られた瞬間の写真だった。撮影したその人が、それを見た瞬間に“良い!!!”と思ってカメラに収めた1枚。それを時間を経て私が見て、ほっこりしているという世界線が、もはや素敵で人生が尊く感じる。
その日外へ少し出るのに、ウォーキングの練習も兼ねて普段履かない高めの艶のある黒色ヒールを履いて出た。
空は雲ひとつなく、空気を全て吸い込みたくなった。まだ冬のひんやりした感じが残ってるのも心地良かった。
なんだかいつもより気持ちが落ち着いて(物理的にヒールだから早く歩けなかったのだろう)、心に余白ができたように感じた。おまけに背筋も伸びて、話すテンポもアルデンテに感じた。
用事を終え、帰り道少しだけ遠回りをしようという気持ちになった。
ゆっくり歩いた。ちょっとまだ家に着きたくないなという気持ちにもなった。
信号で待っている時。ふと横目に電車が通って行った。その瞬間、
“自分だったら、日本のどこを切り取って写真に写すだろう…?”と考えた。赤信号が緑に変わり、歩道を歩き出した時、
“あぁ。きっちり左側通行(日本の地域によって左右は変わるが)で歩く人々を写すだろうな。”とか、“建物と緑の隙間に見える、どこまでもスカーっと広がる青空を写すだろうな。”とか。頭(心)に浮かんで1人で話してた。

“うわぁ〜…写真(その人の人生の見え方)って面白いかも。カメラハマりそう。”

少しだけ写真を撮ることが好きな人の気持ちが、理解出来た気がした。
次の瞬間には、また興味のあること増えたあああ大変だあああ(ワクワクMAX)と思ってた。♩



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