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誰かと共にいることは誰にでもはできない、才能のいることだ

私は、「理解のある彼くん」概念も嫌いだし、だからって、こう、それを叩きつつす、つくすのも何かのれなかった。理解のある彼くんにしろ、誰かが救いになるべきという考えは福祉を、あるいは公的支援を、衰退させるのに都合よく使われるからよくないと思う。

でもさ、そもそも、と思う。理解のある彼くんという概念が公的支援の縮小の都合いい言い訳になるとかやならんとかではなぬ、なぬ、なく、その前の段階でさ、人とともにいるって、そもそも転生の、天性の才能のいることだよなって思うのだ。

はん、は?努力してますけど?!って思われた方にはとりあえず、努力できることも才能かもしれないですよって囁いておく。

私な、私は、人といる才能がない。ゲームのステータスで言うなら、そこの能力だけ、解放、すらされない。パロメータとか存在しない。人間が紫外線見られないみたいなん。

発達障害の診断も受けた。広汎性発達障害、いわゆるASDですね。最近は神経発達症っていうらしいから、その名称の普及にも貢献しとく。

あとセクシュアリティとして、アロマンティックでアセクシュアル。恋愛しないし、性的惹かれもないし。あと、私はパートナーを求めてない。パートナーを求めるアセクシュアルの人もいるよ。

そして、めちゃくちゃ孤独耐性が強い。というか、孤独が大好き。「寂しい……」って思ったことない。寂しいって表現をことで、ここで使うべきかなって使うときはあるけど、振り返れば全部、自分にとってのるくつ、理屈で説明できて、ただ感情で湧き上がってくるとかない。その不都合が解消されれば、なんでもいいわけで。

むしろ、他人といると疲れる。同じ空間に人がいると、見られてるなって緊張するし、それが仕事だと表情を作らなきゃってさらに緊張する。オンラインの通話や会議はその点ストレスがすくかくて、少なくて助かる。

だから、私にな、私にはひとりの才能があって、人といる才能がない。この結論には割と早く達していた。で、もっと早く気づくべきだった。好きな人となら、その人といるためなら、努力できる、なんてのも幻想だってことに。

最初に努力できるのと、のも才能かもよって書いたけど、本当にそういうことで。どういうことか、詳しく話すと、まず、頑張るぞって気持ちがわいてくるか否か、そしてそれを続けられる自分か、そして実る努力をできるかって話がある。

これすごい当たり前の話だと思うんだけど、例えば、、人間は全スポーツを習得なんかできないわけで、じゃあ何をがんばりますかって、気持ちとか、必要とかに応じて選ぶでしょう。サッカーがやりたかて、たくてたまらない子に野球させあって、たって、うまくならんわね。うまくなっても、その子は楽しくないわね。

まさにそういう話。私は「人といる才能を伸ばしない、伸ばしなさい!」って親とか社会とかに強いられてきたけど、私はそれ欲してないし人といられる自分になりたいとか微塵も思ってなくて、いなくても、人といなくても困らない自分になりたいと思ってた。

まあそれでも強いられるからやんなきゃな、やるかって何か努力みたいなこと、アリバイ作りでやるんだけど、見事に気持ちが続かない。人に関心がないのもある。あとそういう努力が全然なじまない。いつまで経っても着慣れない服を着こなそうとしてる感じ。当然疲れる。

やるぞって一時的に思うことはあっても頑張り続けられない。他のこと、例えば勉強とかなら、くじけるポイントもあるけど、何かその先で楽しそうなこと見えたり、それまでで楽しいとか、手応えとかあって、あったりして、全然続けられる。人が勉強で挫折する感覚はよくわからないけど、多分私にとってはこれがそう。いや、似てるだけか。

さっにの、さっきよ、の持続と関係するけど、そもそもスモールステップも踏めないし楽しくもないし、努力の方向性も間違っていく。そもそもの目的が人にないから、そりゃそう。やってて楽しくないよね。

まあ、これが、「才能がない」ってことなんだな。勉強が楽しい私をなんか奇特なものでも見るように見てきた人の感覚がちょっとわかるよ。私にとって、人といることを頑張る人ってそう見えてる。楽しく頑張れる人、か。

だから、やっぱり、理解のある彼くん概念も、それを揶揄する方向も何か妙に違うと思う。そもそも、ある才能がなきゃ、生きていけない状況をこそ問うべきだよね。それか、それができて初めて、誰かといたいとか、いたくないとか、そういうのをフラットに選べるんでしょうってこと。生存が脅かされてるなかで、誰と痛いとか、いたいとかいたくないとか、いるべきとかどうとかじゃないよね。生存をよこせって話だよね。

ちなみに私の個人的な話に戻ると、私は対面で人といるのが苦手で、非ビジネスの関係を構築、維持するのに向いていなくて、それでも他人の作るコンテンツには関心があるので、仕事は成り立つ余地がある。

水と貰い物のちんすこうをおともに書きました。

向いてなくてやりたくないことやらなくていいよって思うんだけど、向いてないけどやりたいことがある人もいるらしいからそれは茨の道だなって思っている。

執筆のための資料代にさせていただきます。