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人生で初めて英語のメニューを渡された話。

ハロー、アルビノの雁屋優です。梅雨と夏に体調を崩されている。このnoteの話題にした"英語のメニューを渡された"日もとても体調が悪かった。

それはもう見事に崩され、体調は最悪である。夜寝ているのに眠いし、めまいはするし頭痛はするし乗り物酔いもしていたかもしれない。最悪だ。ふらふらのくらくらで、よく外に行って帰ってこられたなと思う。用事も完遂したので私は頑張った。

そんな状況なので、家に帰ってもごはんなんて準備できるわけもない。でもお腹はすいている。とにかく何か食べたかった。

それで、ふらりと居酒屋に入ったのだ。お酒は飲めないけれど、ごはんが食べたくて、居酒屋に入る。私はこういうことをよくやる。お酒は飲めないけれど、おいしいごはんが食べたいのだ。今はお酒が飲めないし飲めた頃にも量が飲めるわけではなかった。そんな私だって居酒屋のごはんが食べたくなる。

ふらりと一人で訪れた私は4人用の卓に案内され何にしようかなとかそんなことをぼんやり考えていた。そこに、店員さんがおしぼりと共に「どうぞ」と英語のメニューを渡してくれた。

最初私は渡されたものが何だかよくわからなくて、近づけて見て、やっと気づいた。あっ、これは英語のメニューだ……! と。そう、つまり私はアルビノの人から体験談としてたまに聞く、"英語のメニューを渡される"を現在進行形で体験しているのだ。そう、遅れて気づいた。

えー本当にあるんだ。まず思ったのはそれだった。今までそうされたと話す人達を疑うわけでは勿論ないが、自分が体験したことのない聞いた話と、自分の体験にあるのと近い他人の経験した話とでは全然重みが違う。全く違うものだ。日常と地続きのところに、"英語のメニューを渡される"話は存在した。私を"外国人"と判断する視線は確実に存在する。そのことが明らかになった。

マックでもスタバでも私は日本語のメニューを顔を近づけたりメニューを近づけたりしながら読んできたので、今まで自分は"染めている日本人"に見えるのだと思っていた。

私自身も飲食店でのアルバイト経験があるので、ブロンドのお客様が来店したら英語のメニューを手渡すことは間違っているとも悲しいとも私は思わない。マニュアルとして間違っていないし、マニュアル以上の接客を求めるならもっと価格の高い店へ行くべきだ。その辺の居酒屋でなく、ホテルのバーとかレストランとか、そういう場所だ。

だけどその一方で、行く先々の店で英語のメニューを渡されたり、ハローと話しかけられたりすることに、その積み重ねに疲弊していくというのも、わかる。私は飲食店でのアルバイト経験からまあそんなものと割り切ってしまえるが、そうもいかない人もいるのかもしれない。特に見た目問題としてのアルビノを気にしていればなおのことだ。

私が片言でない日本語で店員さんを呼び、注文した時にさっと英語のメニューは片付けられていった。いらないということが伝わったのだろう。

初対面で英語のメニューを渡すべきか見極める要素はおそらく容姿と話している言語だろう。しかし私は一人だったので、ろくに喋らずに案内されているし容姿はブロンドだ。念のためと渡しておくのもおかしなことではない。正確な判断ができるはずもないし店に入る度に国籍を明らかにするわけにもいかない。ただこういうことが積み重なれば、疲弊する人はたしかにいるだろう。そこに対応するマニュアルなどは作りようもないし根深い問題だと言える。

難しいけれど、結論はなかなか出ないけど、どうしたらいいのかと考えていく必要はある。


執筆のための資料代にさせていただきます。