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書きたいことは溢れているのに溢れすぎて言葉にならない。

水を注ぐと、容器から溢れることもある。私は今まさにそういう状態なのだろう。

本当は今日のnoteは社会人をしながら大学院生をしようと思っている話か、アルビノの交流会に初めて行った時の思い出になる予定だった。そうしたくて、いくつも書き出しを考えては消した。考えては消して、考えては消して。他のスキルには多分とかそれなりにとか言っておいて、書くことが得意と先日の面接で言いきってきたくせに、私は醜態を晒していた。情けない。

だからもうテーマは決めずに書いてみよう。そう思った。

本当に、脈絡のない話になると思う。それでもよければ読んで欲しい。

今日は、昼を過ぎた辺りから原因不明の吐き気に悩まされていた。あたるようなものを食べた記憶もない。ただしくしくとお腹が痛くて、何か吐きたいものがあるような気がする。吐きたいものは、胃の内容物か、それとも、言葉か。最初は前者に違いないと思っていたけど、今思い返せば、後者のような気もする。

書かねば吐き気がするんだとしたら、何て面倒な性質だ。私は、書くための装置になる他ないのだろうか。まあそんな装置になれるだけ、私の書くものの価値があるなら、それでもいい。というか私は高次精神生命体になりたいと常日頃から言っているのだ。インプットとアウトプットがあれば、書ける。それには人間である必要なんて、ない。

そういえば昔は長い日記を小学校の先生に提出する子どもだったな。今は手書きで何かを書くと疲れてしまうからできないけれど。

社会人をしながら大学院生、なんて難易度が高くて、とても体力のいる道を選ぼうとしている自分がいる。やれるだろうか。まずは受かる学力を取り戻さなくてはいけないのだけど。

キラキラと私の美しい髪が落ちている。何かよくわからないけど、すぐ落ちるので、本当に潜入捜査とかする職業には就けない。

明るい話をしようとして、思い浮かんだのがピザがおいしかったことだった。父の燻製ベーコンをのせて、母が焼いたピザ。おいしかった。

ピザを食べながら低迷の研究室生活のことを思い出してしまったので、封印する。あの過去は、なかったことにしよう。昨日自分でもツイートしてるじゃないか。何よりも大事なものは私の人生と私の心の平穏です、と。

大事なものを思い出したところで、終わりにする。おやすみなさい。

執筆のための資料代にさせていただきます。