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ウ・ヨンウになれないまま、自閉スペクトラム症を生きている。

ドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を観たとき、一人の自閉スペクトラム症(ASD)のとして、私はウ・ヨンウを羨ましく思った。そのことを、鮮明に覚えている。

ウ・ヨンウが羨ましい私

自己紹介をしておこう。私は言語理解とワーキングメモリが高く、知覚統合と処理速度が低い、ASDの当事者だ。

ASDの他にも、二次障害のうつ病や、遺伝疾患であるアルビノ(医学的には眼皮膚白皮症)を抱えている。

仕事は個人事業主のライター。わかりやすく言うとフリーライター。

一日の中で目まぐるしく変化する体調や、適性を考えて、それでも働けて、やりたい仕事と考えたときにフリーで書いて生きていくことを決めた。

私とウ・ヨンウの共通点、そして差異

タイトルには「ウ・ヨンウになれない」と書いたが、ある意味では私はウ・ヨンウに近い側のASD当事者だ。そしてまた別の意味で、私とウ・ヨンウは、遠い。

韓国初のASDの弁護士となったウ・ヨンウは、凄まじい記憶力と視野の広い法律解釈を武器に、新人弁護士として、ASDの女性として、生きていく。

ウ・ヨンウと私の共通点。それは学業成績が優秀で、それでも集団には馴染めないところ。

ウ・ヨンウと私の差異。生育環境、職場環境、本人の性格、など。

私には、ウ・ヨンウの父のような親はいなかった。私は、幼い頃から、一人で問題を解決するしかなかった。

精神科の診察室に駆けこむまでに、保護者や教員から有効なアドバイスを受けた記憶はない。勿論、身を挺して守ってくれるような保護者でもなかった。

むしろ、保護者は嫌がる私に他人との接触を課した。クリアしなければならない課題と思えば思うほど、思うようにならない他者が憎らしくなるのは道理だ。

チェ・スヨンのような優しい同僚に恵まれることもなかった。職場の同僚が冷たい人ばかりだったと言うのではない。

ただ、私の今後のことまで考えて言葉を発する人には出会えなかった。障害者である私を腫れ物に触るように扱う人や守ろうとしてくれる人はいたし、当然冷たい態度の人もいた。

つまり、職場で、真に私のために何かを言う人間はいなかった。でも、職場だからそんなものだと思う。ドラマだから、『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』にはチェ・スヨンがいるのだ。

何より欲しいのは、“才能”

ウ・ヨンウと私の差異は、生育環境や職場での出会いがほとんどを占める。学業成績の優秀さの程度の差なんて、大まかに見れば大したことじゃない。

でも、私がウ・ヨンウを羨ましいと思うのは、娘のために献身的なまでに生きてきた父親でもなく、ウ・ヨンウのことを放っておけない優しいチェ・スヨンの存在でもない。

「だってあの子は天才だ」とそう言われるだけの弁護士としての圧倒的なまでの才能を、眩しく思う。

私は知っている。ウ・ヨンウがウ・ヨンウであれる最大の理由は、圧倒的なまでの才能だということを。

だから、私もそうありたいと思う。圧倒的なまでの才能と結果で、自分の道を切り拓く人間になれるよう、研鑽を積みたい。

“才能”がなかったら道はないのか

ウ・ヨンウ弁護士にとっての法律家としての適性、私の書くことに特化した適性――つまるところ、“才能”と呼んで差し支えないものがないとか、それだけで生き延びるまでにはいかない、ASD当事者はどうなる?

肌感覚だけれど、そういう人達は私やウ・ヨンウよりずっと、人生の自己決定を侵害されているように思える。

職業選択や暮らす場所、一緒に住む人など、多くのことを制限されたり、支配されたりしてはいないか。

ASDの当事者の自己決定を最大限尊重することが、できているか。

執筆のための資料代にさせていただきます。