と言いながら(^_^;)サルトルの嘔吐をタイトルだけだが知ったとき、なぜ哲学で嘔吐なのだろう?と疑問に思った。伊藤亜沙さんのTwitterから「緑色の光がある」展示作品を見た。主体と客体、不快。表現方法の嘔吐を、はっと思うことができた。そして、ここのところ私の日常は「嘔吐」なのだ