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「日本を前に進める」の感想文

1996年に衆議院議員に初当選後、外務大臣、防衛大臣、行政改革担当大臣、防災担当大臣、ワクチン担当大臣、規制改革担当大臣等を歴任された自民党の河野太郎広報本部長。
25年にわたる政治活動において、政策だけでなく実績やエピソード、生い立ちなどについて述べられており、あまり政治に興味がなくてもライトな読物としてとっつき易いです。
現在の日本の課題や河野先生の政治姿勢、人柄などが分かる良書。
多くの方に本書を読んでいただき、第一線で日本のためにご尽力されている河野先生への理解を深めていただければ幸いです。

目次
1.タイトルについて
2.河野先生の好きなところ・尊敬する理由
3. 河野先生が考える保守主義
4. 本編の感想
【第一章 政治家・河野太郎の原点】
【第二章 父と私 ― 生体肝移植をめぐって】
【第三章 新しい国際秩序にどう対処するのか ― 安全保障・外交戦略】
 ★安全保障
 ★外交
【第四章 防災4・0】
【第五章 エネルギー革命を起爆剤に】
【第六章 国民に分かる社会保障】
【第七章 必要とされる教育を】
【第八章 温もりを大切にするデジタル化】
5.まとめ

1. タイトルについて
日本を前に進める
初めて聞いた時、常に前向きにひたむきに努力をされてきた河野先生らしいフレーズだと感じた。これまでも政治の世界でキャッチーなフレーズはあった。小泉元首相の「痛みに耐えてよく頑張った」「自民党をぶっ壊す」「ガリレオは、それでも地球は動くと言った」。安倍元首相の「日本を取り戻す」「美しい国日本」などが思い浮かぶ。

河野先生はこのタイトルに、随分長くなってしまった失われた10年から、日本人が自信を取り戻し、日本が世界の最先端をいく分野を一つでも増やして欲しいという思いを込められたとのこと。
日本を取り戻した上で更に前に進める、どんどん前に進めていく、先進的で素敵な響きだ。これまでライフワークのように改革に取り組み続けてきた河野先生が発すると、とても説得力がある。自分自身も前に進もう、自身の小さな世界の中であっても日本を前に進めるために頑張ろうと思える、力強くてキャッチ―なフレーズである。


2. 河野先生の好きなところ・尊敬する理由
真っすぐで誠実、発信力、実行力、突破力が高く、強い信念と情熱、先見性や広い視野を持たれている。いつもどんなお立場でも前向きに全力で取り組まれ、圧倒的な実績を残し続けてこられた。ユーモアのセンスが抜群でコミュ力が高く、ツイッターのフォロワーは240万人超え。クリーンでフットワークが軽く、国民目線の希少な政治家。

いつも日本のためにご尽力されている河野先生のお姿からは、いつもやる気と元気をもらっている。自身の価値観や行動基準が河野先生のお考えと近い(と勝手に感じている)。現状に満足せず進み続けるところ、向上心と知的好奇心が旺盛、自分で考えて自分で判断する、すぐに動く、新しいことにチャレンジする、努力家、文武両道、相手が誰でも正しいことを言うところに共感。こうなりたい、こうあるべきと思う理想が河野先生そのもの。

河野先生の応援を始めたのは自民党が下野した後の2009年の総裁選。
小泉元首相以外にもこんな政治家がいるのか、自民党はもう一度立ち直れる、国民のための改革をどんどん進めてくださる方だと期待した。実際に二度の行革・規制改革担当大臣就任で多くの改革を実現。入閣時期以外でも、行革・ムダ撲滅に精力的に取り組まれてきた。
改革はやればやるほど党内や既得権益集団、官僚等から反発され、評価にもつながりにくい。大勢に流されず、信念に基づいて実行し続けてきた姿勢を尊敬している。

2015年の初入閣で防災担当相を兼務。
熊本地震の対応で有事に強く高い実務能力を発揮。

2017年の外相就任後は国民人気が急上昇。
「極めて無礼でございます」韓国徴用工問題での大使への毅然とした態度。このお言葉を聞いた時は、弱腰外交が伝統だった日本にこんな外相が現れるとは!と嬉しく思った。
党内野党的に歯に衣着せぬ発言を繰り返されていた頃の河野先生も大好きだが、閣僚として国益のために尽力されるお姿を見て、将来総理になって日本を変えてくださるに違いないと思った。

2019年に防衛相就任。
各国防衛相との会談や全国の基地訪問を精力的に行い、また積極的な情報発信で自衛隊への国民の関心と理解を高めてくださった。ミサイル防衛に関して「なぜ中国と韓国の了解がいるんですか」真っすぐ正論を語るお姿を心強く感じた。
イージス・アショア撤回では、他の政治家みたいに先送りすれば楽なのに、党内外から批判されようと正しいことをご自身の判断で実行された。この時絶対に総理になるべき!なってもらわないと困る!この方しかいない!と確信した。
外相防衛相時代を通じて、対中強硬、対北朝鮮包囲網の形成に大きく貢献。

菅政権では、一丁目一番地として行革・規制改革担当相をつとめられ、2021年1月からはワクチン担当相も兼任。
強いリーダーシップと実行力でワクチンの早期接種を実現。保身に走る政治家がほとんどの中、「責任は全て自分がとる」と言い続け、猛烈な批判の中やり抜いてくださったお姿からは、強い信念と突破力を感じた。日本の救世主といっても過言ではないだろう。

総裁選後、広報本部長に就任。
総裁選後すぐに行われた衆議院選挙では、150を超える応援演説に全国を飛び回られた。総裁選での対立陣営の応援も精力的にこなされ、常に前を向き全力で取り組まれるお姿に敬服した。地方選挙で、応援演説だけでなく朝早くからチラシ配りを手伝われているお姿には、驚くと同時に何事にも一生懸命な河野先生らしいと感じた。

閣僚を代わられてからも、帰国者のために空港へAmazonBox配置、沖縄離島でのPCR検査無料化、撤廃されていなかった不合理な大学のローカルルールの是正など、政府からこぼれがちな意見にも広く対応してくださっている。現状を少しでもよくするために動き続けてくださり、多くの国民が救われている。河野太郎総理大臣の誕生、そして問題山積の日本を前に進めてくださることを切に願う。


3. 河野先生が考える保守主義

平等な機会が提供され、努力した者、汗をかいた者が報われる社会であり、勝者が称えられ、敗者には再び挑戦する機会が与えられ、そして競争に参加することができないものをしっかり支える国家を目指すのが保守主義です。

この本の中で一番好きな文章。日本が向かうべき方向性を的確に示されている。
出身地や家庭環境によらない機会の平等、努力が結果につながる社会(みんなが努力することが当たり前の社会)、敗者復活の機会があり、諦めずに頑張れば報われる仕組み。さらに、諸般の事情で努力や競争に参加できない場合でも、誰一人取り残さずに支える国家。
完全に同意するとともに、こういう世界になって欲しいと願う。


4. 本編の感想

【第一章 政治家・河野太郎の原点】
小中高時代のエピソード、ジョージタウン大学留学、ポーランドでの投獄経験、富士ゼロックスでデジタルに開眼、衆議院議員初当選、行政の旧弊などについて、自身の生い立ちから政治家になるまでについて述べられている。

迷子の思い出
小学1年生の時、小田原の祖母の家から平塚の自宅に向かって徒歩で帰宅。
走り去るお父様の河野洋平先生の車を見て置き去りにされたと思い(その前に叱られていたから)、泣きながら自力で自宅に向かった。
小学1年生の頃から行動力ありまくりの大物であった。

箱根駅伝を目指して
慶應義塾中学に進学し、毎朝平塚駅6時34分発の電車で通学。
競争部(陸上部)に所属し、中学3年生のときには秋の運動会の4000M競争で歴代最高記録を大幅に上回る新記録で優勝(この記録は未だに破られていない)。

アメリカ留学、ジョージタウン大学へ
慶應義塾高校に進学し、アメリカ留学を決意。
なかなか洋平先生の許可が下りなかったが、遂に留学の許可が。その条件は慶應義塾大学に籍を残さず(この時点で既に大学に進学済)退路を断って留学すること。
まずコネチカットの全寮制の私立高校に入学し、1年間英語の力をつけた。ここでもクロスカントリーやクロスカントリースキー、陸上競技で大活躍。
その後政治学の名門ジョージタウン大学に入学し、学士号を取得。
大統領選対事務所のボランティアや議員のインターンを経験し、選挙の原体験となった。ポーランドに交換留学した際には、ワレサ議長に会ったことで投獄されたというユニークな体験をされた。

河野先生は超名門河野家4代目のサラブレッドである。
だが、決して楽なコースに乗らず、退路を断ってアメリカに留学。英語の勉強もそうだが、海外の名門大学の学士号取得には大変な苦労があったと思う。また、勉強だけでなくスポーツにも全力で取り組まれ、文武両道の鑑。若い頃から将来を見据えて目的意識が高く、その実現に努力を惜しまない方。普通の世襲政治家とは全然違うと感じた。

富士ゼロックスに入社しデジタルに開眼
アメリカから帰国後は富士ゼロックスに入社し、翻訳に従事。
自宅でもできると考え、通勤時間がもったいないと在宅勤務を申出た。徹底的な合理主義者の河野先生らしいと思った。
その後、サテライトオフィスの実験の現場責任者に就任。
技術的には可能であったが、「そんなことできるわけない」と社内で取り合ってもらえず難航。消費者庁を徳島に移転しようとしたときも「そんなことできるわけない」という声が上がった。コロナ禍の現在ではテレワークは拡充したが、結局は技術の問題でなく人の心の問題であると述べられている。
私自身もコロナ禍でテレワークが導入された際は、「効率も落ちるし無理だ、打合せも会議も満足にできない、同じ成果が出せるわけない」と思い込んでいた。確かに出社した方が作業効率は高い(通信速度や複数のモニターなど)ので、その意味では正しい。しかしオンライン会議が今や当たり前となり、出張することなく気軽に全国の支店と打合せを実施することが可能となり、効果も大きかった。

人間は初めてのことに抵抗や戸惑いを感じがちだ。河野先生は常識や前例にとらわれず、人に否定されても信念に基づいて推し進める実行力をお持ちの方。
国民一人ひとりが、目の前に突き付けられた状況に仕方なく従うのでなく、問題意識をもって現状を良くする試みを、絶え間なく続けなければならないと感じた。

初出馬・初当選の新米代議士
1996年、洋平先生の猛烈な反対にあいながらも、小選挙区制の導入に伴い衆院選に初出馬・初当選。
洋平先生に応援に来てもらってはどうか、という後援会の声もあったが、「河野太郎の選挙だ。河野洋平は関係ない。」と突っぱねられた。自立心旺盛で楽な道を選ばず、自分で道を切り拓かれてきた河野先生らしいと感じた。

私はやるかやらないか悩んだ時に、「やらないで後から公開するよりも、やってみて失敗したら反省するほうがよい」と考えています。アメリカに留学したときも、選挙に出馬したときも、存続の危機に直面したベルマーレの代表取締役を引き受けたときも、のちに肝臓移植のドナーになったときもそうでした。

このお考えが河野先生の行動力の源泉。自分も見習いたいと思う。​


行政の旧弊を正す
2002年に総務大臣政務官就任。
行政の旧弊である外務省流の国名、地名表記の全面改定に着手(当時の外務省は日本人の常識に反する表記を使用していた)。当初外務省は応じなかったが、外務省に関する稟議が回ってきた際に存在しない国名が書かれていることを理由に否決し、改定させることに成功。
反対意見があっても正しいことを貫く、多少強引でも突破する。河野先生らしい対応である。


【第二章 父と私 ― 生体肝移植をめぐって】
お父様の河野洋平先生への生体肝移植の実体験、臓器改正法などについて述べられている。

洋平先生は河野先生が小学生の頃(1970年代)には既に肝臓が悪かった。そんな中、1998年に外務大臣を拝命。

あんな身体で世界を飛び回る外務大臣などをやったら死んでしまうかもしれないと思い、個人的には、親父の外相就任には反対でした。ところが、親父は「総理大臣から外相就任を打診されて、健康を理由に断るぐらいなら議員を辞めた方がよい」と言って指名を受けました。

自分のことより国を優先する使命感に感動した。河野先生も洋平先生のことは心配だが、自分が同じ立場になれば引き受けそうだと思った。政治姿勢や人柄は異なるが、こういう政治家としての本質は父子で同じだと感じた。


生体肝移植
2002年、洋平先生の症状が急激に悪化し、ドナーになることを決心された。洋平先生は子どもからの移植を嫌がった(健康な臓器を切るというリスクがあるため)。しかし、お母様が亡くなられたときに何もしてあげられなかったので、お父様にはできることは何でもしたい、という河野先生の強い想いがあり、洋平先生も移植手術に納得された。

河野父子の生体肝移植の話は有名なのでご存知の方が多いと思う。
本書では、当時の心情やできごとが詳細に描写されており、臨場感が伝わってくる。ドナーになる厳しさ、準備の大変さ、仕事との両立、術後の猛烈な痛み、なかなか戻らない体力。
是非多くの方にご一読いただき、臓器移植についての理解を深めていただければ幸いに思う。

マスコミにはこの生体肝移植を「美談」として取り上げないよう要請。
ドナー候補者の社会的なプレッシャーが高まらないための配慮である。
政治家なのに自身の人気や知名度上昇に利用しない姿勢、そんなことよりもドナー候補者に配慮する姿勢は立派の一言である。


臓器改正法
自身の経験も踏まえ、臓器移植法に関して宗旨替え。
それまで反対していた臓器移植法改正に尽力された。命を助けるために脳死移植を増やし、生体移植を減らすことが重要だと考えられたからである。
河野先生をはじめ多くの政治家のご尽力があり、臓器改正法は可決され、日本の臓器移植は新たな時代を迎えることになった。

河野先生は外圧に屈しないという意味では信念の方である。反対意見や批判があっても正しいことをどんどん進める方。と同時にリアリストであり、現実を直視し現状をより良くするために行動される方でもある。課題解決のためには柔軟に考えを変えることができる。自身の考えや信念に固執せず、バランス感覚がある。これが河野先生のすごいところだと思う。


【第三章 新しい国際秩序にどう対処するのか ― 安全保障・外交戦略】

★安全保障
日本の置かれた現状や中国の脅威、日米同盟を基軸とした目指すべき安全保障の枠組みなどが分かりやすく述べられている。

中国の台頭とアメリカの新戦略
日本のこれからの外交戦略を考える上で重要なのはアメリカと中国の関係、そして台頭する中国の振る舞い。
中国は経済成長を背景に、急速に軍事力を拡大した。防衛費は日本の4倍以上、近代的な潜水艦や駆逐艦は日本の2~3倍保有。宇宙空間やサイバー空間でも軍事的な動きを強化。
国際法や国際秩序を無視し、日本への領空侵入や尖閣諸島への領海侵犯を繰り返している。
また、「一帯一路」を活用し、経済的な影響力を世界に広げつつある。
アメリカは、中国の国際秩序への挑戦を防ぐため、これまでのアメリカ中心の「ハブ・アンド・スポークス」から、多国間のネットワークである「地域機構」形成へ転換。共通の価値観を持つ国々と団結して国際秩序を守ろうとしている、などと述べられている。

防衛費や戦闘機など、日本と中国の軍事力の差は確かに大きい。ただし、最も大きな差は核の有無であると感じる。核を保有している国に対しては、いくら防衛費を上げて装備を拡充しても、軍事面での対抗は個人的には無理ではないかと感じる。核を保有しない限り、尖閣有事も台湾有事も、何をしても対抗できないのではないか。核は落とされたらそれでもう日本は終わり。日米同盟があったとしても、アメリカが自国民の命を危険に晒して、本土に核を落とされる覚悟で応戦してくれるという甘い考えは抱きにくい。もちろん核の使用は、中国にとっても大きなリスクがある。武力制裁の可能性や、ほぼ確実にある各国からの経済制裁、国際社会における信用の著しい喪失、孤立。日本を始め世界各国との互恵関係(特に経済面における)の破壊。
しかし、それを上回るメリットが中国にあれば、起こり得ることではと個人的に感じる。だからといって核保有を希望しているわけではない。日本は核保有を許可されていないし、イスラエルのような年中テロが起こっている国とは事情が違う。
中国に対抗するためには、日米同盟や日本の軍事力強化ではなく、経済的に強くなって中国にメリットのある国になるしかないのではないかと考える。これは中国に隷属するという意味でなく、国際常識の通じない中国が手出しすることのできない、中国が必要とする国になるということ。
現状ですぐにどうにかできることではないので、日米同盟を大事にすることが今できる一番の抑止力だとは思う。根本的な解決のためには、経済力をつけることでカウンターパートナーになることだと個人的には思う。


これからの安全保障の枠組み
日中間の軍事格差が広がる中、日米同盟の維持、強化が最も現実的な選択肢。軍事面だけでなく、経済面でも協力関係を密接にする必要がある。
アメリカを含め、自由や民主主義といった共通の価値観をもつ経済大国とも連携し、経済的な圧力(経済制裁など)を可能とする戦略も重要である。友好国とのサプライチェーン構築も必要である。また、アジア内で自由や民主主義といった共通の価値観をもつ国々と同盟組織を作り、中国の軍事的な行動に対抗することを検討することも有効である。

戦略的不可欠性とは、世界各地に拡がる様々なサプライチェーンや産業構造の中で、日本の存在が不可欠であるような分野を戦略的に拡大していくことによって、日本の長期的・持続的な繁栄と国家安全保障を確保することです。

これは非常に有効だと思う。中国とこの関係になれれば理想的。それが無理でも、多くの国にとってこの存在となって、中国が手出ししにくい状態、包囲網を敷く。中国の軍事的行動への時間稼ぎができるし、その間に国際秩序を守らない現体制が運よく崩壊するかもしれない。また、中国に限らずこういう存在になることは国益にかなうので、積極的に進めて欲しい。

*2022/2/24のロシアによるウクライナ軍事侵攻を受けて2/28に追記
核を保有することは現実的ではないが、議論自体は行った方がよいのではないかと思えてきた。核保有は無理でも、核シェアリングを真剣に検討できないか。
力による現状変更を行ったプーチン大統領であるが、ウクライナが核を保有していれば、このような流れにはならなかったと感じる。ロシアは本土を攻められたら核を使用すると脅している。これでは、ウクライナはロシア本土を攻めることができず、防戦一方である。
核は最大の抑止力である。
1994年、世界第3位の核保有国であったウクライナは、アメリカ・ロシア・イギリスによる安全保障などと引き換えに核を放棄した。このブタペスト覚書は、今回の軍事侵攻で全く機能していない。もちろん、ウクライナは核を保有していたと言っても運用管理はロシアが行っていたので、放棄せざるを得ない(自国で維持できない)という事情はあった。ただし、このような未来が待っていることが分かっていれば、何としても核を保持し続けようと努力したのではないかと思える。
強固な日米安全保障条約があり、米軍基地も複数ある日本とウクライナでは、状況は全然違う。アメリカが日本を見捨てる時は、アジアを明け渡す時。世界のリーダーであることを諦める時なので、それなりにハードルは高い。しかし国家間の同盟など、いざという時には当てにはできないだろう。
また、G7が協調して強い経済制裁を行ったとしても、どこまで効果があるのかも疑問である。国際法や国際秩序を守らない大国が助ければ、切り抜けられる可能性もある。(SWIFTから排除されてもCIPSに移行する。中国にエネルギー資源を輸出するなど。)
現状でできることは、力による現状変更には大きな代償があることを分からせること。一時的に占領できたとしても、その後の経済や国家運営が立ち行かなくなるということである。当事者のロシアだけでなく、中国に対しても強いメッセージを発しなければならない。この軍事侵攻を、決して成功モデルにしてはならない。


★外交
外務大臣が自ら外交を行うことの重要性、そのための体制整備、ODAの意義や目指すべき姿、ミャンマーのロヒンギャ難民の問題、中東外交などについて、実体験を交えて日本が進むべき方向性を示してくださっている。

外務大臣に外交を
外交に軍事力を使わず、ODAも減少している日本。効果的な外交展開のためには「外務大臣が外交をできる」体制構築が必須。
外相在任770日の間に、延べ123ヵ国・地域を訪問。歴代最多の驚異的な記録。これまで日本の外相が訪問したことのなかった国や国際会議にも積極的に参加され、各国外相との信頼関係構築、日本のプレゼンス向上に大きく貢献された。
河野先生の外相時代では、韓国徴用工問題が支持と認知の高いエピソードかと思うが、個人的に最も好きなのはこの歴代最多の外遊である。実際に現場に足を運ぶフットワークの軽さ、並外れた体力と情熱。国益のために休みなく尽力してくださった河野先生には感謝の気持ちで一杯である。
この外遊(や国際会議出席など)は、国会出席で多くの時間を拘束されながらこなされたものであった。外相は多くの委員会に出席・陪席しなければならず、しかも多くの時間は答弁もないのに座っていなければならない。重い責任を背負う大臣が、非効率に国会に縛られるのは、外相に限らず国家の損失である。慣習にとらわれず、国益を第一に今の仕組みは見直して欲しい。

何のためのODAか
ODA予算はピーク時から半減。お金を提供する「無償資金協力」と技術を教える「技術協力」が中心。
ODAを行う理由は3つ。
・「困っている人がいる」難民・避難民や食料にも困窮する人たちに、その人たちよりは困っていない日本が手を差し伸べる必要がある。今はまだ先進国である日本において、当然の責務であると感じる。
・「恩返し」日本も戦後の荒廃の中、ODAで助けてもらった。今度は次の国に手を差し伸べるべき。この恩返しという理由は、とても心に響いた。
・「情けは人のためにならず」貧困対策がテロ防止となり邦人の安全確保につながる、感染症支援をすれば日本への伝播を防げる、オリンピックや万博誘致で支援されやすくなる。巡り巡って日本を資することになるというロジック。

日本のODAの理念の一つの柱は、「人間の安全保障」という考え方です。「戦争に巻き込まれない」「戦争になっても勝てる」といった国家の安全保障を考えるだけでなく、さらにその国に住んでいる一人ひとりの人間が、本当に豊かで尊厳のある、意味のある健康な暮らしを送れるようにしよう、という考え方です。国家の安全保障が確立していても、実はその国の中で健康的な生活が送れない、幸せな生活が送れない、ということではいけないのだと思います。こうした日本が提唱する「人間の安全保障」という考え方が、SDGs(持続可能な開発目標)につながってきたのです。
だからこそ、絶対的貧困をなくす、生活に必要な安全な水へのアクセスがきちんと確保できる、子どもたちが常に必要最低限の栄養を摂れる、必要最低限の保健サービスを受けることができる、基礎的な初等教育を全員が確実に受けられる。こうしたことを、日本のODAが実現しなければならないのだと思います。

これは本当にその通りだと思う。財政赤字が増大し、経済も停滞している現在の日本。社会保障費増大や少子高齢化、格差の拡大、貧困の垂直化、生活保護受給者の増加、雇用が不安定な非正規雇用者など、国内にも問題は山積。できる支援は限られるだろう。
それでも日本には相対的貧困はあっても、安全な水を確保できて、必要最低限の栄養も保健サービスも初等教育も全員が受けられる。世界中の人々が平和に暮らせるよう、先進国としての責務を果たさなければならないと思う。

ODAも結果にコミットする時代
限られた財源で、その効用を最大化するため、どうやったらその結果が達成されるのか、知恵とイノベーションで前に進むべきと述べられている。


【第四章 防災4・0】
熊本地震の対応、人材育成など防災体制の強化、新しい災害復旧のあり方、感染症対策の課題やワクチン担当大臣としての経験などについて述べられている。

熊本地震の対応やワクチン担当大臣としての対応で有事に強いイメージを抱いていた。
実務能力が高く臨機応変な対応も得意なので、実際に非常に有事に強い。
ただ、当たり前ではあるが、みんなの力をあわせて対応するので、計画的に人材育成をすることが大事。また、普段から体制を整えておくことも大事。想定され得る課題を明確化し、優先順位をつけておく。


感染症対策
感染症は地震などの災害と違って収まるまでに時間がかかるので、いかに国民からの信頼を維持するかが大事。

そのためにいかにして正しい情報を発信するか、といったことが重要になります。誤った情報やデマが流布されたときに、速やかにそれを打ち消していくための手段を持たなければなりません。マスメディアだけに頼るのではなく、政府や自治体が自らSNSでタイムリーに情報を発信していくすべを身につけなければなりません。国民がどんな情報を必要としているのか、何を心配しているのか、何に困っているのかなどを把握するためにも双方向性が重要です。

ワクチン担当相として、マスメディアでさまざまな情報が飛び交う中、政府内の情報発信の一元化を実行。はっきりとした情報をご自身の責任で発信し、間髪入れず、自治体にその旨を通知された。また、官邸のHPとツイッターで正確な情報をいち早く発信し、そこに注目を集めるようにされた。

発信力は河野先生の代名詞である。これを単にパフォーマンス型とかポピュリズム的に見ている人もいるようだ。河野先生の発信力の本質は、話し方や伝え方が上手い、人気があるということでなく、国民に対して真摯に向き合うところだと改めて思った。
国民が何を知りたがっているのか、何に困っているのかを把握し、自らが責任をもってタイムリーに正確な情報を発信する。国民参加型の双方向性の政治を実現されているのだ。
また、衆議員初当選後すぐに創刊開始し、25年間続けてこられた「ごまめの歯ぎしり」。その他にも毎月のニュースレターや、2カ月に一度の生放送「たろうとかたろう」、ツイッター。
河野先生がその時々にされていること、お考え、国民が知りたいと思うようなことを、分かりやすく発信されてきた。継続して行われてきたこれらの国民参加型の政治活動によって、結果的に人気が高くなっているのである。人気があるから発信力があるのでなく、真摯に国民に向き合って、発信し続けた結果としての人気。今ではその人気も発信力の高さの重要な要因となっており、好循環ができている。


【第五章 エネルギー革命を起爆剤に】
大臣を歴任された中で取り組まれたエネルギー問題、事業レビュー、再生可能エネルギー、核燃料サイクルなどについて述べられている。

行政改革の一環として
2015年に行政改革担当相として初入閣。
エネルギー・原子力分野を重点的に取り上げた行政事業レビュー。このレビューで、初めて原子力発電に関する予算が精査された。
また、東電の原子力発電所事故の求償がなかなか進まなかった問題。求償の迅速化に粘り強く取り組まれ、具体的なルールを設けた結果、改善につながった。
省庁が東電に対して求償を行っていなかったケースもあり、利権の闇なのかと個人的に感じた。河野先生が大臣でなければそのまま求償されなかったのかもしれない。
国民目線で見れば素晴らしい対応であるが、党内からは良く思われないのかな。自民党には、正しいことをする人が評価される組織であって欲しい。

気候変動に関する有識者会合
2017年に外相就任後すぐ、諮問機関として気候変動に関する有識者会合を立ち上げ。
あんなにも外遊して国会対応もして異常な激務であったのに、気候変動問題にまで取り組まれていてすごいと思った。バイタリティーの塊。

再生可能エネルギーと安全保障
再生可能エネルギーは国産エネルギーであり、自衛隊が輸入エネルギーに頼らなくてよくなるので、安全保障への大きな貢献となる。
全く知らなかったがこういう観点は大事だと思う。必需品はなるべく内製化したい。

エネルギーの地産地消と地域経済
再生可能エネルギーは基本的に地産地消の資源。再エネ開発が進めば、地域内経済総生産の5~20%が流出しているエネルギー料金が地域の経済循環に残り、地域経済活性化につながる。
日本で化石燃料やウラン燃料にかかっている費用は4兆8000憶円(2018年度)。太陽光発電などの再エネならこの国富の流出を防げる。もっと再エネ技術を発展させれば、海外に出して資金獲得も可能となる。
再エネには経済面ではマイナスのイメージを持っていたが、無限の可能性を秘めたすごいものだと知ることができた。

エネルギー政策は河野先生の重要政策だと認識はしていたが、自身がエネルギーや環境問題にあまり関心がなく、よく理解できていなかった。正直なぜここまで熱心なのかとさえ思ってしまっていた(河野先生申し訳ありません)。2011年の原発事故以後でさえ、経済面の観点から原発は推進すべきだと思い込んでいた。ここ数年SDGsが注目され、弊社でも積極的な取り組みを行うようになり、自身の考えも変化した。世界の中で日本の責任を果たしていかなくてはならない。今の日本のためだけでなく、地球の未来のために行動しなければならない。
日本の再生可能エネルギーの外交を宣言しスピーチ。今読むと本当にその通りだと感じる。当時はできるわけない、という固定観念で視野が狭かった。
再エネの現状や課題、メリット、何となくしか理解していなかった核燃料サイクル、再処理の問題。知らないことばかりだったエネルギー政策の知識。本書のおかげで多くを学べた。
また、関心のない分野もちゃんと勉強しないといけないと痛感した。この本だけでは分からないことも多く、いろいろと疑問がわいたので、自分でもっと調べようと思った。
すぐに原発廃止は無理であっても、リプレイスも新設も日本では非常に難しいだろうから、再エネ議論をしっかり進めて未来を切り拓いていただきたいと思う。このエネルギー分野については、時代がやっと河野先生に追い付いてきたと感じる。

*2022/2/24のロシアによるウクライナ軍事侵攻を受けて2/28に追記
ロシアへの経済制裁により、ロシアからエネルギー資源を輸入することが不可能になった。日本に限らず、全世界がエネルギー高騰に直面している。家計へのダメージにとどまらず、企業におけるダメージも計り知れないだろう。しかも、中国のような国際秩序を軽視している国は、ロシアからエネルギー資源を輸入し、安価に確保している。
エネルギー資源というのは、安全保障を考える上で、軍事力・経済力に次いで重要なものだと思う。
再エネは無限の可能性を秘めたものであるし、長期的には取り組まなければいけないものだと理解はしている。ただ、現実的にはやはり、原発を再稼働せざるを得ないのではないかと思えてきた。再エネへのシフトはペースダウンすべきではないかと。
核燃料サイクルや再処理の問題、原発の安全性よりも、眼前に差し迫っている問題に人間は弱い。原発再稼働容認論が活発化しそうに思える。


【第六章 国民に分かる社会保障】
医療保険制度の見直しや、新しい年金制度など、社会保障制度の抜本的改革について述べられている。

この章の率直な感想は「厳しい」。いろんな面で厳しいと感じた。河野先生の政策の実現可能性、日本の社会保障制度を改革するということ、日本が直面している問題。
正論だと、そうしていくべきだと思う部分も多かったが、これまで多くの改革を実現された河野先生であっても、かなり厳しい闘いだと感じた。


社会保障制度の議論を取り戻そう

社会保障制度が大きな問題だという認識は、広く国民に共有されています。また、社会保障制度全体の抜本改革が必要だという問題意識もやはり共有されています。
(略)
政治の場では、なかなか抜本改革の議論が始まりません。年金記録問題であれだけ連日、報道したマスコミも、年金制度の抜本改革の議論にはなかなか食いつきません。
しかし、人口が減少し、高齢化が進む日本では、社会保障制度の抜本改革が遅れれば遅れるほど、のちの世代につけが回されることになります。また、貴重な地域の医療や介護を担う人材も疲弊するばかりです。今こそ国民一人ひとりが政治に社会保障制度の抜本改革の議論を求めると同時に、その議論に加わらなければなりません。
そのためには、国民一人ひとりが理解できるような、わかりやすい議論をしなければなりません。

この問題に真剣に取り組んでくださるのはありがたい。マイナーチェンジならまだしも、抜本改革は「触らぬ神に祟りなし」みたいな問題だと感じる。

社会保障制度の抜本改革は急務であるが、負担が増える、あるいは保障が減るという話は国民が嫌がりやすく、議論が進みにくい。国民が嫌がるような、支持を得られにくいことであっても、将来において必要であれば断行するのが真に実力のある政治家であると思う。そういう意味では河野先生に非常に期待している。
では、議論を進めるために(国民一人ひとりが参加するために)、国民が分かりやすい議論をするためには、どうすればいいのか。河野先生は税と保険料を明確に区別することが必要だと述べられている。多くの税金が投入されている医療保険制度(保険給付が保険料だけでなく税金を原資として行われている現状)や、介護保険制度や後期高齢者医療制度に対する制度間の拠出金制度が、医療費のコストを国民に見えにくくしている。これらを廃止し、各制度における給付金を保険料のみで賄う。現状で所得再分配の機能を持っている税金投入を社会保障制度から切り離し、その分増加する保険料負担ができなくなる世帯に直接支援する(保険料を利用した富の再分配をやめる)、という方法をとる。これにより、社会保障制度がすっきり分かりやすくなり、国民一人ひとりが社会保障のどの制度のために、いくら負担するのか分かるようになる、と述べられている。
なるほど、自分で文章を書いていてもよく分からない。現状の社会保障制度の複雑性を解決する方法を、分かりやすく説明して示してくださっているが、基礎知識がない状態で本章を読んで、どのぐらいの方が河野先生の真意を理解できるものなのか。聞きなれない単語も出てきているのではないか。国民の議論が進まない理由がよく分かる。
率直な感想としては、実現はかなり厳しいのではないかと感じた。と同時に、このぐらいでないと国民の理解が得られず、抜本改革が進まないのか。税金投入を廃止することが、社会保障制度の改革そのものでなく、国民に分かりやすくするためのものであるならば、無理にしなくてもいいのではないかとも感じた。専門家や政治家が理解して、持続可能な制度に改革してくれればとも思う。ただ、社会保障という国民生活と密接に関わりのある制度、そうもいかないのか。
後期高齢者医療制度(75歳以上が加入)や国民健康保険(主に自営業者などが加入)には、約50%の税金が投入されている。これを全て保険料で運営するとなると、単純に倍の保険料負担となる。後期高齢者医療制度については、制度間での拠出金制度があるため、実際にはさらに負担が増える。もちろん税金投入がなくなるので、そのぶん国民の税金負担が減少し、負担総額は変わらないはずである。しかし、借金がかさむ今の日本において、医療保険への税金投入を廃止するからといって、その分減税されるのであろうか。保険料負担が増えるだけで、税負担も現状のまま、と連想する人が多いのではないだろうか。
実際に減税されるかどうかはともかくとして、このような連想に至ってしまう時点で、国民には受け入れられにくいもの。社会保障制度の抜本改革の議論を進めるために、国民に分かりやすくするための制度改革であるのに、かえって議論を遠ざけてしまうような気もする。ともすれば、目的と手段が逆になってしまう可能性も。
特に負担増が想定される後期高齢者医療制度の加入者。投票率も高そうな75歳以上。この層の負担を大幅に増やすことが自民党にできるのか。国民健康保険の主な加入者である自営業者も、大企業の健康保険組合加入者と比べて、経済的に厳しい人が多いのではないか。
再配分は税金で別に、直接行うと述べられているが、同じ割合で行うなら結局同じことではないのか。結果が同じでもプロセスが大事なのか、社会保障制度の見える化を目指すための最良の策なのか。
社会保障制度の議論が進まない理由として、国民から見て分かりにくい制度であるというのは当然あると思う。確かに各医療保険制度の仕組みや言葉の意味、制度の意義などをしっかり理解するのは難しいだろう。
しかし、もっと大きな問題として、負担が増えるのでは、と警戒してしまう国民感情があるのではないかと個人的に感じる。国民が議論の前に立つことさえ忌避されてしまうような制度になってしまうのであれば、例えすっきり分かりやすい制度であっても、現状の複雑な制度の方がマシかもしれないと感じた。国民が分からない部分は、政治家や専門家がしっかり議論していただく方がマシかと感じてしまった。(河野先生の先進的なお考えに追い付けておらず申し訳ありません。)

医療保険制度の職種間制度の見直しを
現在の医療保険制度は、大企業の組合健保、中小企業の協会けんぽ、自営業の国保、公務員の共済、75歳以上の後期高齢者医療制度など、いくつかの制度が混在している。このような職業別、年齢別の制度を将来的には一本化すべき(医療費コスト削減のインセンティブを与えるために、職種でなく地域別の保険者を作り、医療コストに応じた保険料を決定する方法も考えられる)。職業や年齢を問わず、同じ地域に住み、同じ所得なら、同じ保険料を負担すべき、と述べられている。

率直な感想としては、斬新なお考えだと思った。
気になった点としては、組合健保の付加給付で独自色を出している企業が多いが、それができなくなってしまうのか。傷病手当金の付加給付(給付額及び給付期間)や高額医療費制度の限度額など、実質的に福利厚生の一環となっているもの。また、企業文化として健保組合でいろんなイベントを開催させて健康経営に力を入れるなど。ただ、この辺りの問題は、企業本体が行っている制度、例えば互助会などに移行すれば解決するかもしれない。大企業の組合健保に加入している人からは嫌がられそうな改革ではあるが、恩恵を受けている層は、社会全体を考えてマインドチェンジすべきなのかとも思った。

健保は、職場を一つの単位として、そこで働く者がお互いに支え合っていくためにつくられたものです。しかし今日、一つの企業の中でも、同じ職場で、健保に加入している社員もいれば、国保に加入しているパートやアルバイトもいるというように、医療保険のあり方が混在し、職域での共助といった健保本来の目的も果たせていません。

職業別の制度を廃止し、一本化する理由の一つとして述べられている。
組合健保の適用事業所において、国保に加入しているパートやアルバイトは確かに存在はしている。ただし、数としては本当に極わずかだと思う。組合健保の被保険者となっていない人の多くは、扶養に入るために(配偶者などが加入している保険の被扶養者となり、自分で保険料負担をすることを回避するために)年収を130万円未満に抑える、また労働時間を通常労働者の4分の3未満におさえる働き方を意図的にしている。
いずれにしても、今の法律では、健保組合適用事業所において、フルタイム労働者の4分の3以上の労働をすれば、強制的にその健康保険組合に加入しなければならない。501名以上の企業にいたっては、週の労働時間が20時間以上(他にもいくつかの条件はあるが)、今年の10月には101名以上の企業にこの条件が適用拡大される。2024年10月には51名以上に拡大が決定済みであり、多くの労働者を被扶養者でなく、自身で保険に加入させようとする(保険料を負担させようとする)この流れは加速するであろう。毎日4時間の短時間労働でも週に5日の労働で20時間となり、適用除外はそれ未満の時間しか働いていないパートやアルバイト。
このような状況で、極わずかに存在する国保加入の、健保適用事業所で労働するパートやアルバイト(更に言えば自身の都合で短時間労働を選択している可能性の高い人達)の存在によって、職域での共助が果たせていない、医療保険制度を一本化すべきとなるのだろうか。どちらかといえば、昨今の法改正の流れは、職域での共助が果たさせる方向に向かっている気がする。

職域を廃止したと仮定して、本章で述べられている地域別の保険者単位は導入して欲しいと思う。医療費コストを削減しようとするインセンティブはよい考えだと思うし、現在の協会けんぽも、このような仕組みになっている。年齢による医療費負担への対応(地域によって高齢化比率に差があり、高齢者の多いところには負担調整を行う)には、賛成である。現在の協会けんぽでも行われている仕組みである。
気になる点としては、地域による所得格差。地方在住者よりも、東京などの都会在住者の方が平均所得が高い。これを調整しないと、同じ所得であっても、東京などの都会は保険料が安くなり、地方の保険料が高くなる。本来余裕があるはずの高所得者層の負担が減少し、余裕のない層の負担が増える仕組みは、共助の考えに反する気もする。
現在の協会けんぽの保険料は、この地域間格差による所得の偏りを調整している。本章では記載がないが、この所得の偏りをどのようにお考えなのか気になった。調整すれば、「同じ地域に住み、同じ所得ならば同じ保険料を負担する仕組みにすべき」という考えに反しないか。「地域ごとに」所得の偏りを調整するので、反しないという解釈なのか。調整するとして、どのように行うのか。税金を投入すれば、保険料負担だけで給付を行うという、分かりやすい社会保障制度の仕組みに反する。地域間の調整(地域間の拠出)で賄うならば、介護保険制度や後期高齢者医療制度の制度間の拠出金を、分かりやすくするために廃止することに反しないのか。
限られたページなので記載できないのは仕方ないだろう。いつも将来を見据えていらっしゃる河野先生なので、当然このあたりをクリアする政策をお考えだと思う。何らかの機会に発信してくださることを期待する。

新しい年金制度
少子高齢化が進む日本に必要な年金制度は、自分の世代で完結する積立方式。そして三階建ての年金制度。
一階部分は、老後の最低限の生活を保証するためのもので、財源は消費税(一定以上の所得、資産のある高齢者には支給しない)。二階部分は、現役時代の生活水準を維持するためのもので、自分が現役のうちに自分の公的年金口座に積立て、一定のルールのもとで運用し、その金額に比例して政府から保証される積立方式の公的年金。三階建て部分は、個人が加入する民間の私的年金、などと述べられている。

率直な感想として、そもそも一階部分だけでいいのではないかと思った。
消費税を財源にするかどうかはともかくとし、本当に一階部分が老後の最低限の生活の保証をする金額なのであれば、それ以外の部分は自身の責任で、貯蓄や投資(本章で述べられている三階部分の民間の私的年金も含む)を行えばいいのではないかと思った。
二階部分は現役時代の生活水準を維持するためのものであるが、それを政府が管理する意味は何なのか。最低限の保証が既に税金で行われるのに、よりゆとりのある生活の実現のために、追加で強制的に政府が保険料を徴収するのか。高齢者全員に最低保証の一階部分の年金が支給されたら、生活保護などの問題も発生しないので、そもそも二階部分を政府が行う必要性がよく分からなかった。
三階部分を行いたい人だけが積立NISAなどを行えばいいのではと思った。
いずれにしても一階部分と二階部分を並列する必要性は低いと感じるので、二階部分の政府が徴収する保険料制度を作るなら、これを一階部分の最低保証の役割にすればいいのではないかとも思う。現行の基礎年金額を生活が最低保証される額に引き上げ(当然国民年金保険料も増額、基礎年金を拠出している厚生年金保険料も増額)、現行の厚生年金は、現行のまま報酬に比例して徴収と給付を行えばいいのではないかと感じた。
現行の厚生年金保険料は、事業主が半額を負担しているが、本章で述べられている河野先生のお考えでは、本人が積立てた額を将来受給するとなっているので、企業負担がなくなるのだと推測する。これは企業の人件費負担を抑えて企業競争力を高める効果があると思う。また、雇用へのハードルが下がり、人材の流動化により労働生産性が高まる可能性もある。現行の厚生年金加入者であるサラリーマン目線では、事業主負担の部分が享受できなくなる改悪制度に思えるが、日本全体での効果は高いかもしれない。
ただし、保険料は未納の人が多いので、将来的に年金が受給できないという問題は発生する。その意味では、一階部分を完全に税金で賄うという仕組みは、未納問題と現行の賦課方式の問題を解決する、斬新で画期的な方法だとも感じる。消費税の大幅増税や移行措置の問題などでいかにして国民の理解を得るかがポイント。

公的年金は廃止できない。若い世代は年金の必要性への切迫感がないため、私的年金のみにすると無年金者が増えてしまい、税金による生活保護者急増、財政の圧迫が懸念される。また、民間の保険会社による私的年金は、支払期間があらかじめ決まっており、長生きのリスクに対応できないので、政府の公的年金が必要、などと述べられている。

個人的には公的年金は必要だと思っている。限られたページで河野先生のお考えを伝えてくださっているが、自身の知識不足により、理解が追い付かない部分も多い。私的年金のみにすると無年金者が増えて、税金による生活保護が増えるというのは、その通りだと思う。
ただし、一階部分の最低保証(それだけで健康で文化的な生活がおくれる現在の生活保護と同程度と仮定する)を全て税金(消費税)で賄うのであれば、廃止して、最低限の生活ができない層に生活保護として税金を投入するのと、どう違うのか。税金が原資というところは同じである。むしろ、生活ができない層にだけ保証する生活保護の方が、財政負担は少なくすみ、効率的ではないだろうかという率直な疑問が沸いた。
では、なぜ公的年金制度で最低限の生活保証を行うのか。モラルハザードの問題なのか。(今の年金制度でも、国民年金保険の受給額は生活保護よりも少なく、真面目に年金を収めた方が、年金未納者よりも少ない年金で生活せざるを得ないという、捻じれ現象が起きている。)累進課税である所得税や、法人が納める法人税でなく、消費に対して一律に納税する、ある意味で公平な消費税を財源とすることがポイントなのか。(消費税も所得に応じて消費するので累進課税の側面はあるが、所得の多寡に関わらず最低限の支出は発生するので、所得税よりは緩やかな累進課税である。)予め消費税などで、決まった額の必要な財源を確保できるかどうかの問題なのか。政府や自治体の会計が理解できていないので、これを機に勉強したい。
民間の保険については、確かに10年保証(定年後年金受給までの保証を目的としている商品)のものは多いが、現在も終身保証の商品はある。さらに、年金制度が変わって終身のニーズが増えれば、民間保険のラインナップも変わる気がする。個人が自由意思で加入する任意の保険であるため、一階部分の最低保証の代わりとなるのは難しいと思うが、二階部分の現役時代の生活水準を保証する役割として機能するのではないかと感じる。

*河野議員の年金に関する発言を受けて3/23追記
①厚生年金の事業主負担を廃止するかどうか
今後の移行措置の中で検討しなければならない。すぐに廃止したら現行の年金受給者の原資がなくなってしまう。
⇒事業主負担廃止、企業の人件費負担軽減、人材の流動化による生産性向上、を勝手に予想していましたが、そんな簡単な話ではなかったようです。

②一階部分をなぜ消費税で賄うのか(法人税や所得税など他の税金ではないのか)
消費税だとみんなが負担するから分かりやすいから。
法人税だと全員が負担するわけではないから、給付の方に目が行きがちで、給付の要求が高くなる可能性がある。(国民が望む給付水準に対して、共産主義国家的に、国が強制的に法人税を徴収するわけにはいかない。)
消費税だと、給付水準に対してどれだけの税負担をする必要があるか、自分事として国民一人ひとりが考えるため、現実的な議論ができるとのこと。
⇒河野先生が目指されている、国民一人ひとりが議論に加わる、分かりやすい信頼される社会保障制度を構築するために、消費税だけで一階部分を負担する構想をお持ちのようです。
確かに負担と給付の関係がすっきり分かりやすいという観点で、消費税は最適な税金かと思います。分かりやすさを重視するか(消費税)公助の精神を重視するか(所得税などの累進課税の側面がより強い税金を財源とするか)はまた別の議論です。
社会保障制度が大きな問題であることが広く国民に認識されていながらも、なかなか議論が進まない現状では、分かりやすさ(消費税)を選ばざるを得ないのかもしれません。


公的年金制度を続けるためには、これまでの年金制度に対する不信をきちんとぬぐい去ることができるような抜本改革が必要です。そして年金制度が信頼されるには、自分が将来、年金をいくらもらうことができるのかがはっきりわかる制度でなければなりません。
(略)
年金制度は、超長期にわたって維持されていかなければなりません。政権が交代するたびに年金制度を作り直します、というわけにはいきません。年金制度を抜本的に改正するためには、政府・与党だけでなく、与野党がしっかり協議した案を国民に示し、国民投票で決定するようなプロセスが必要です。

仰る通り、国民に信頼される制度であることが重要だと思う。社会保障制度改革の議論を進めるためには、国民に分かりやすくすることが重要、そのために医療保険制度から税金を切り離してすっきりした制度にする、などの方法を述べられています。
その一方で、年金制度では、税金(一階部分の消費税)と社会保険料(二階部分)を混在させることを不思議に感じた。年金制度においては、原資がどこから出るかでなく、将来貰える年金額をはっきりさせることが国民の理解を得るために必要(つまり給付に着目)であって、医療保険制度では負担をはっきりさせることが必要ということだろうか。
確かに国民皆保険で、充実した医療が当たり前のように受けられる日本においては、年金制度の受給額の方が注目されるのは当然かもしれない。医療は日常的とまでもいかなくても、現役時にも給付を受けられる身近なもの。かたや年金は老後でないと受給できず、制度に対する不信感や不安はより大きくなってしまう。将来的に持続可能な制度、老後の生活がきちんと保証されていると国民に理解される制度を構築することが重要。

国民投票というのは斬新なアイデアだと感じた。今の年金制度は、100年後も存続するように設計されているが、国民にそれが信じられていないことが問題。理屈上はマクロ経済スライドなどの仕組みで存続したとしても、老後の生活において十分な保証となるかは別問題。個人的にも、現行制度の微修正では、平均余命や少子化による年金受給額の減少に対応しきれると思えない。
国民投票で決定するプロセス、国民の政治や社会保障制度への関心を高めるには良い方法だと思った。国民投票の結果責任は国民が負う。世代間の人数も考え、若者に不利にならない制度ができればよいと感じた。
改革は遅くなりそうだが、国民の生活に直結する重要な年金制度、国民に納得してきちんと保険料を納付(または税金を納付)して貰うためには最適な方法かもしれない。少子高齢化が進む一刻の猶予もない状況で、政治主導で強引に進めるスピードをとるか、時間がかかっても信頼関係構築を一番に考えるか。

この章を通して、社会保障制度の抜本的改革は非常に大変なものだと感じた。多くの国民も同じようなことを感じるのではないだろうか。まだ時代が河野先生に追い付いていない。河野先生の政策やお考えに全般的に賛成で、影響を強く受けている私自身であっても、まだこの分野では河野先生のお考えに追い付けていない。
ただし、時代を変えるのはこういう方なのかなと思う。あれがダメ、これはムリでは全然何も進まない。河野先生のお考えなら、国民が時代に追い付けていないだけで正しいのかもしれない。なかなか理解されなかったエネルギー政策が徐々に浸透してきたように。

このままの制度では崩壊することは事実であり、議論を進めなければいけないことも事実である。
給付が減る話や、負担が増える話は国民に嫌がられるが、避けては通れない。河野先生みたいに選挙が強く、国民からの信頼が厚い政治家でないとできない改革なので、とても期待している。自民党にも責任政党として、下野するぐらいの覚悟をもって抜本的改革に取り組んでいただきたいと願う。対抗馬たる政党が支持を広く集められていない今がチャンスだと思う。
国民に嫌がられようと、批判されようと、将来のために正しい仕組みを構築するのが真の政治家だと思うので、河野先生と自民党に頑張って欲しい。


【第七章 必要とされる教育を】
所得格差や地域による教育格差、英語教育の必要性、教育のオンライン化、習熟度別の教育の充実などについて述べられている。

教育が目指すべきもの

教育を考えるときに、まず最優先しなければならないことは、親の所得格差が子どもの受ける教育の格差につながってはいけないということ、そしてまた、住んでいる地域や障碍の有無によっても、子どもが受ける教育に差が出てはいけないということです。

これは本当にその通りだと思った。文字通り最優先、最重要事項。日本の教育制度は、中学校まで義務教育で、高校進学率も非常に高く、大学進学率も過半数を超えており、奨学金なども充実している。親の所得が低くても本人の能力と努力次第で、どんな地域に生まれたとしても、望む大学への進学が可能な国だとは思う。ただし、同じ能力、努力の場合、親の所得や地域によって進学先に違いが出るのは事実である。そして、学歴と所得に相関関係がある以上は、貧困の連鎖が続くことを意味する。

本書では公立学校の教育水準を上げることの必要性が述べられている。親の所得により私立学校に通うことができない子ども。さらには、地方在住でそもそも通学可能範囲に私立学校がない子どもにとっても、有効な方法である。地方に目を向ければ、人口が少なく需要が生まれにくいために、大手予備校や大手進学塾などが存在せず、都会と比較して教育機会に恵まれない。
公立の進学校も、人口が少ないために習熟レベルに差がありすぎて、習熟度別の同じクラス内であっても、東大に進学する学生もいれば、日大や近畿大学などのレベルの私立大学に進学する学生もいる。(※日大や近大がどうこうではなく、地方の高校の習熟度の差異の問題の例え話。いずれの大学も、立派な教育理念や教育カリキュラムがあると認識している。)
オンライン教育などで、どの地域に生まれたとしても、満足のいく教育が受けられる環境が整備されて欲しい、と地方出身の私としては強く望む。

また、地方(田舎)特有の異常なほどの国立信仰も問題だと個人的に感じる。トップレベルの私立大学であっても、私立は落ちこぼれという風潮が地域全体にある。教師もそのような発言を平気でしており、情報量の少なく世界の小さい高校生は簡単にそれを信じてしまう。慶応や早稲田(トップ私立校)よりも岡山大学(中位国立)に進学すべき、というような論調の教師が珍しくない。(※偏差値を無視した教師の押し付けを表現しており、それぞれの大学がどうこうという話ではない。全て立派な大学だと思う。)
県内の複数の進学校でこのような傾向があるので、教育委員会の問題なのか、国立大学の進学数になんらかのノルマでもあるのかと疑問に思う。高校生が変な思い込みで進学先を選択しない環境を作って欲しいと感じる。
指定校推薦を、習熟度別の下位クラスに優先的に割り当てる(上位クラスに国立大学に行かせて進学成績をあげるため)などの理不尽なルールも異常である。「平等な機会が提供され、努力した者、汗をかいた者が報われる社会」と真逆である。
教師もOBだらけで、独自ルールがまかり通っている地方の公立高校。闇が深いと思うので、政治主導でメスを入れて正常化して欲しい。


英語教育の必要性
日本の英語教育を抜本的に改め、義務教育を卒業したら英語である程度のコミュニケーションができるようにするべき。大学を卒業したら、英語できちんと議論できるようにするべき。英語は今日の世界では、自分の可能性を広げる上で欠かせないもの。英語を学ぶためのソフトウェアの活用、英語のネイティブスピーカーと日常的に話せる環境作りも大切。
熱意ある高校生や大学生の留学を支援する仕組みも必要、などと述べられている。

英語の重要性を早くから認識し、40年前のまだ留学が一般的ではなかった時代に、強い意志でアメリカ留学をされた河野先生。言葉に非常に説得力がある。本書で述べられている英語教育が全て実現して欲しいと思う。
日本人は英語で読み書きはできても、話すのが苦手という人が多い。また、業務の必要性から勉強したり、海外赴任したり、その時は使えるようになっても、日常的に使わないと忘れてしまう。大学までの教育期間だけでなく、生涯にわたって持続する環境が必要だと感じる。
留学を支援する仕組みも拡充して欲しい。


習熟度別の教育の充実

学力格差を固定化させず、わからない子どもをすくい上げ、学力の高い子どもの意欲をさらに高めるためには、わかる子どもを先に進め、分からない子どもには分かるまで丁寧に教えていけるように、習熟度に応じたクラス分けを小学校から始める必要があります。

全面的に賛成。学力の高い子どもを先に進めて意欲を高めることは、高度人材の確保につながる。分からない子どもに丁寧に教えることは全体の教育レベルの底上げ、国力の底上げにつながる。この先に飛び級制度の拡充があればよいと個人的に感じる。



【第八章 温もりを大切にするデジタル化】
菅内閣での規制改革担当相としての取組み、デジタル化が目指すもの、デジタル化で温かく信頼される政治、デジタル再配分、人への投資、地域経済の活性化などについて述べられている。

2020年規制改革担当相に就任。
ハンコ廃止はマスメディアにも大きく取り上げられ、記憶に新しい方も多いだろう。ハンコは身近なものなので注目されがちであるが、他にも多くの規制改革を実現してくださった。オンライン教育やオンライン診療、行政への支払いのキャッシュレス化など。
デジタル化によってデータ連携することで、支援や情報を必要とする人に届けるプッシュ型サービスを実現できる。


シンガポールに学ぶこと
シンガポールでは行政にデジタル技術を活用している。国民ほぼ全員が、自分のスマホから行政手続き用に統一されたサイトにアクセスし、そこからパスポートや運転免許証の更新など、さまざまな行政手続きができるようになっている。個人のスマホが国民のID番号に紐付けされている。
日本でも、行政のさまざまな手続きをオンラインに移行中。自分にとって必要な手続きを、行政、民間問わず一つのサイトでできるものが、マイナポータル。今はマイナポータルでできることは限られているが、提供される行政サービスが増えて利用者が増えると、民間のサービスも充実するはず、などと述べられている。

確かに今の時点では、一般人がマイナポータルを利用するメリットはほとんどない。マイナンバーカードももっと便利なサービスが増えれば普及が加速するはず。今のポイント付与施策で所持者が増えれば、いろんなサービスが拡大するのかな。
法人の行政手続きは、健康保険組合加入事業者のマイナポータル、協会けんぽ加入事業者のe-Gov、納税に関するe-tax、eLTAXなど。電子申請の義務化範囲がどんどん拡大しており、行政の効率化、特に大規模法人においては提出する側の事業主の作業効率に寄与している。
個人の行政手続きがシンガポールレベルに拡充するにはほど遠いのだろうが、プッシュ型サービスが実現できる素晴らしい仕組みなので、是非実現して欲しいと思う。


デジタル再配分も重要に
デジタルデータを活用して、個人の状態(貧困や苦境に陥っている支援が必要な人々)を把握。それをもとに、その人の状況に応じた支援をしていく。所得の高い人には所得税を課して、所得の低い人には給付する「マイナスの所得税」による直接給付が世界の潮流となっている(日本にはこの仕組みはなく、非課税世帯への税制面の対応はできていない)。
所得税は累進課税だが、金融所得は一律課税。金融市場に配慮しながらも税率引き上げの対応を検討するべき、などと述べられている。

金融所得の税率引き上げ。岸田首相がよく言っている政策。河野先生もこのお考えなのは、ちょっと意外である。(※本書では検討すると述べているだけで、引き上げるべきとは述べていない)。
金融所得の多い富裕層から徴収するというのは感情的にはよく理解できる。ただし、個人的には、市場競争力を損なう恐れのある金融所得や法人税の引き上げは反対。消費税や所得税、住民税などを引き上げるべきという考え。ただ、いつも将来を見据えていらっしゃる河野先生なので、この方法の方が良いのかもしれない。この分野ももっと勉強しようと思った。

デジタル時代の人への投資
現在の労働市場は、正社員と非正規社員で給与面の格差が大きい。同一労働同一賃金の導入が大事。
新卒一括採用、年功序列システムから、内部での人財育成よりも即戦力の中途採用へ移行。企業内で行われてきた職業訓練や自己啓発の支援が低下している。教育支援が重要。
人件費を増やした企業への法人税減免や最低賃金のゆるやかな引き上げなど、賃上げが重要、などと述べられている。

個人的な意見としては、訓練や自己啓発は与えられるものでなく、個人が目的意識をもって主体的に取り組むべきと考えている。一方で、人的資本の低下が将来の生産性と賃金の停滞、すなわち国力の低下につながるという現実も理解している。感情的には個人の問題と思うが、マクロ的には社会全体で人材に投資する風潮を作り、全体の底上げをすることは重要だと思う。

正規雇用社員と非正規雇用社員との格差(特に給与面)については、同一賃金同一労働で無理に同じにしたり雇用を保護するよりは、解雇規制緩和などを実施して、その差を少なくしていけばいいのではないかと個人的には思う。
日本は労働者の権利が守られ過ぎなので、雇用する側のハードルが高い。労働者側で言えば守られていることで真面目に働かない社員もできあがってしまう。労働者が市場価値の高い人材となるよう自己研鑽すれば、生産性向上に寄与することとなる。解雇規制が緩和されれば労働者に危機感が生まれて、この傾向が強制的に生まれると思う。
事業主側も年功序列で若い年代の賃金を抑えず、能力と成果に対して適正な対価を支払うべき。これが労働者の成長と努力、自己投資のモチベーションとなって好循環が生まれ、経済が活性化するのではないかと考える。

人件費を増やした企業への法人税減免。税金をたくさん納めるぐらいなら人件費を上げようとするインセンティブが働く仕組み。この所得拡大促進税制は昔からあるが、実際に効果があるのか非常に疑問。
令和3年度は賃金要件が緩和されたが、来年度以降もこの傾向が続くのか。要件緩和はともかく、税額控除をもっと増加して(今のような賃金増加額の15%や25%でなく、少なくとも50%以上とか)抜本的な制度改革をしないと事業主にインセンティブを与えられないのではないだろうか。今の控除額では賃金を抑えた方がメリットがあるが、この制度を意識して運用する企業(結果的に要件を満たしたとかでなく)がどれほどあるのか。
体力のない小さな企業はこんなこと気にしていられないだろう。大企業はベアなどすると給与規程改訂や人事給与システムの設定、一時金で支払っても賞与支払届の作成などが発生する。法人税減免のメリットが少ないのに、労力もかかってデメリットが大きすぎる。この制度を活用するなら、もっとインセンティブを大きくする必要性を感じる。

最低賃金の引き上げは賛成、最低限のセーフティネットは必要。河野先生が考えられている保守主義「競争に参加することができないものをしっかり支える社会」を体現するものだと思う。全国一律の最低賃金というのは斬新な考えだと思った。

地方経済の活性化
人口減少と高齢化が予測される地方の経済を維持することが大きな課題。東京圏への人口一極集中の是正が必要。
東京から地方に移転する企業の法人税に軽減税率を適用し、企業を地方に分散させる。テレワーク拡充。中央省庁や独立行政法人の地方移転などが有効、などと述べられている。
地方は大阪や名古屋などの都市を除いて、企業が少ないので移転は非常に有効だと思う。公務員以外だとインフラや地銀、極わずかな上場企業しかないので、Uターン・Iターンが難しい。企業を地方に分散させて雇用を創出して欲しい。
コロナ禍で進んだテレワークも、やってみたら意外とできたという企業は多いと思うので(弊社もそう)、もっと拡充して定着して欲しい。


5. まとめ
生い立ちや生体肝移植、外交・安全保障のところが特に興味深く、何度も読み返した。河野先生の人柄や、行動の源泉への理解が深まる。改めて素晴らしさを実感することができた。
また、エネルギー政策など、関心の低かった分野の知識に触れることができて良かった。社会保障やデジタル化など、急務となっている政策に触れられたのも良かった。

河野先生に中学生や高校生のときに出会っていたら、人生が変わったかな、とふと思った。
もっと理想や目標を明確に持って、それを実現するために努力をできたのかなと。「水は低きに流れ、人は易きに流れる。」
河野先生はもともとの能力が高い上に、明確な目的意識をもって、ひたむきに努力をし続けてこられた。易きに流れてしまった普通の人間である私には、とても眩しい存在。
ここから大きく人生が変わることはないが、自分の狭い世界の範囲であっても前に進みたいと思う。向上心と知的好奇心を忘れず、できることを増やす、知識を増やす。現状に満足せずに進み続ける。もっと、もっと。いつか日本を前に進めることにつながれば幸いに思う。
若い世代(特に中学生や高校生)には、河野先生のことを知ってもらって、自分の将来を考える際の規範にして欲しい。

河野先生はなぜここまで日本のために頑張ってくださるのか、不思議に思うこともあった。マスメディアや国民から批判されながらも(中にも悪質なデマによる誹謗中傷もある)、なぜ国民のために休みなく頑張ってくださるのか。盤石な地盤で選挙が安泰な政治家。改革などせずに、流れに乗っていれば楽なのに、なぜここまで。
本書を読んで河野先生の人柄が分かれば、その答えも理解できる。知れば知るほど、そういう方なのだと。自分を批判する国民も含めて、いつも国民の幸福度をあげるために、日本を前に進めるために尽力してくださる方なのだと。

河野先生のような素晴らしい政治家と同時代を生きられることを幸運に思う。近い将来総理大臣となって、日本の停滞感、閉塞感を吹き飛ばし、日本を前に進めてくださると信じている。

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