見出し画像

【RX遠藤】2023.11.12ツール・ド・おきなわ 100kmオープン 26位

今年は挑戦者

過去6回(50km5回、100km1回)の優勝はもう過去の話。家にはツール・ド・おきなわのチャンピオンジャージが6枚あるが、2019年を最後に勝てていない。
2009年の50km優勝時は水色一色でシンプルなもの、それ以外は現在と同系統の黄色いジャージ。7枚目のジャージ獲得を目指しているが、最近は獲らなければならないものから、獲りたいものに変わりつつある。
ギラギラした欲望が低下したというわけでなく、年齢相応に自転車の楽しみ方が少しずつ変わってきたからだろうか。特に今年は13年ぶりの100kmということで挑戦者として臨んだレースだった。

レースに向けた練習や準備

今年は6月のニセコクラシックと11月のツール・ド・おきなわの2回ピークを作るように調整していた。
ニセコクラシックでは思った以上にレースを楽しめる状態まで仕上がったが、7月の落車、8月のコロナ罹患、9月の夜だけ高熱(10日間程度)と、苦しんだ夏だったが、10月は3,000kmオーバー(ローラー含む)、CTLでは130超えまで乗り込むことができた。また、毎週決まったトレーナーにマッサージをしてもらい、日に日にパフォーマンス・体の状態が上向きなのが実感できた。
レース1週間前に子どもから胃腸炎をうつされたが、木曜日の試走では程よい暑さで過去一に近いくらいで絶好調。感覚よりも30W〜50Wくらい高い出力が出ていて、坂が短く感じた。もっと踏みたいという気持ちを抑えながら試走だった。

試走後にオーチャンと

スタート前の認識合わせ

RXからは3名が100kmオープンに出場。軽量級になりきれなかったドスコイ・イシバシ、韓国からオーチャン、遠藤。3人とも平坦系(非クライマー)。20分の坂はキツイかもしれないけど、5分以内なら勝負できるかもしれない。学校坂までとにかく生き残り、そこから短い坂で勝負していこう(ゾンビのごとく生き残ろう)!という認識合わせをしていた、、、と記憶しているのだが。
クライマー達が楽しくなる展開だけは絶対に避けたいと思っていた。

想定どおり寒い雨と想定外の奥の坂

2006年に初めて出場して以来、雨が強かったのは2008年。昨年も雨が降ったが蒸し暑い状態であったと記憶している。それが今回は寒い雨、メーターには17度と記録されていて、寒いのが苦手になってしまった身体には辛い天候。
レインジェル、撥水インナー、お腹にビニール袋という準備で臨んだ。シードを貰えたので、直前まで雨を避けるために屋根の下にいて、前列からスタート。そこでシード選手内ではスタート直後の坂で雨も強いので、淡々と行きましょうという話をしていた。

そのような展開を打ち破るかのようにスタート直後からかっ飛んでいく選手がいた。チームメイトのオーチャン。。。
かなり強めの引きで、スタート前の打ち合わせとは真逆だ。「無理するなよ!」と強めに声をかけたものの、返ってきた言葉は「レースは本能で走らないと!調子が良さそうで楽しい!!韓国では、、、」最後は方は堪らずミュート。チーム内で戦っても仕方がない。奥の坂は(集団としては)全クラス最速だったらしいが、ほぼ先頭でクリア。後ろを振り返ると集団はかなり割れていた。

海岸線から普久川で切れるまで

下って海岸線、スムースに回らず後ろから追いつかれるのは想定どおりだったが、身体の異変を感じ始める。3つのトンネル区間を抜けるあたりで寒気やサドルの高さ、右側に腰が落ちているかのような感覚、それに両足が攣りそう。なんとかしなければと焦るも、ローテーションでチームメイトが上げて、後ろが回れず下げてを繰り返す。上りで身体が暖まれば少しは回復するかもしれないという期待を抱き、普久川(ヨナ)の坂へ。
先頭付近で入って貯金を使いながら、集団に食らいついていく。この坂は勾配キツめ・ユルメを繰り返しながら標高を稼いで行くので、勾配がきついところ我慢!少し我慢すれば学校坂以降が楽しめると思うも、木曜日の試走とは打って変わって身体が動かず、頂上まで残り1.5kmを残してドロップ。KOMでは集団の後ろから約30〜40秒だったようだが、ウェット下りのスキルを鑑みて、安全に下る方を選択。
先頭集団にチームメイトは誰も乗っていないようだ。序盤上げるだけ上げたチームが中盤以降、誰一人として優勝争いに加われていない現実。個人としてもチームとしても何のために沖縄で走っているのだろうか。
失意と寒さに震えながら坂を下り補給地点へ。サポートとして来てくれたCUBさんとヤマケンの前を『イイ顔』で通り過ぎることはなかった。

学校坂を超えてゴールまで

学校坂を超えるまでは記憶が曖昧で、気がつけば5名位のパックで走っていた。優勝争いには加われなかったので、できる限り上位で安全にゴールを目指す。
下りや平地では足が攣りそうだか、上り坂途中からは気持ちよく走れるようになるのを繰り返して残り距離を減らしていく。
羽地の上りもペースアップはなかったが、周りも辛かったようでオーチャンを含む3人だけに。市民200kmの先頭2名には抜かれたが、3位の選手(中里選手)に抜かれた直後、目を疑う光景を見てしまい、メンタル的にドロップアウト。安全に下り、26位でゴールとなった。

羽地の上り坂 photo YOSUKE SUGA

ゴールをしてから

ゴールして震えが止まらず、写真のために笑顔を作るのが精一杯。
負けたのは寒さのせいではなく、想定外の展開になったわけでもない。単純に自分が弱かっただけなのはわかっている。来年は40歳で大会を迎えることとなる。これから先のパフォーマンス低下が心配ではあるが、レースレポートを書いて来年も走りたいという思いが強くなっている。
来年も頑張りますと気安く書くつもりはないが、レースを楽しめる準備をして沖縄に戻ってきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?