愛だとか恋だとか。
「もう恋愛とか、そんなのいいでしょ?」
お客様から突然そう聞かれた。
そんな事ありません、と答えた。
そんな枯れた様に見えたのかしら?と
なんだか腑に落ちない質問。
しかしたしかに、最近の恋愛ドラマを見ていると他人事のように感じる自分がいる。
ほんの少し前ならば、もっと自分に重ねて感じられたはずなのに
別次元の話を観ているかのようなのだ。
たとえば、ドラマの中でのヒロインが一人暮らしの彼の家に遊びに行って朝を迎える。
好きな人に「好きだ」と言ってもらえて、きゅん!とする。
2人で旅行の計画をしてワクワクする。
そんな今までの自分に当たり前の様なシチュエーションが、今の自分とは一寸も重ならずに絵空事のような感覚で冷静にテレビの中の世界として観ているのだ。
へぇ〜、と。
一生懸命思い出してみても、そんな場面は少しずつ色あせてきているみたいだ。
しかし「恋愛とか、そんなのいいでしょ?」にはノーなのだ。
常に何かに熱っぽくありたいし、お勉強なり、仕事の一部なり、人で無くとも恋している状態でありたい。
しかし、対人に関しては年々と自信を失くし
好きでも好きって言えない!とか
心配なのに聴けない!とか
そんな事が増してくる、そんな30代後半の乙女なだけでは生きていけない子持ちの独身女。
めんどくさい女になりたくなくて
ただただ、奥歯噛み締めてガマンをする。
傷付く事が怖くて生きてきたあたしだが
それが更に顕著に剥き出しになってきている。
人の言葉に敏感で、こちらから握った手を熱っぽく握り返してくれないだけで
悲しく心が折れる。
なんなら、もう、あたしのこたぁ
生爪剥がれた様に扱って欲しい。
そんな風に色んな事に敏感に疲れていても、
常に恋する対象を求めている。全力で愛情を注がせてくれる対象に飢えている。
(人で無くとも。)
叶わないならばいっそ、尼にでもなろうか。
いや。なれないから、欲深くしぶとくモヤモヤとするんであろう。
セクシャルな関係だけの追求は、必ず痛い目を見る。なので痛い目に合う最悪の事態をいつも想定する。
安心して寄りかかれる関係を追求する。するとたいがいは、本当に全力で寄りかかれる様な関係は存在しないと、思い知らされる。
なので時に絶望的な気持ちに陥る。
期待と欲望を望んではいけない。
誠実な心で、そこにある大木の様に自然に任せて在るべきなのだ。
ああ。
雨が降っている。
桜が散ってしまう。
大好きな桜に恋をしに、お花見に行かなくてはいけないのに。
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