春はあけぼの

今日は、庭の話は小休止です。

先日noteの中のワタナベアニさんというカメラマンの記事があまりに格好良かったのでフェイスブックにシェアした時のこと。

その記事には「天文学者が新星を発見できるのは他の星を全て知っているから」と書かれていたのです。ワタナベさんはインテリジェンスについて語っていらっしゃいました。

シェアした私のタイムラインに高校時代の友人がその話は「春は揚げ物」ってキャッチコピーでクスッと笑えるかどうかに似ているね。

ってさらっとコメントをくれたのです。まあこれはダジャレと言えばダジャレなのですが、「枕草子」を知ってるよね?! っていうのが前提としてあるわけで。こんなこと説明するとヤボになりますが。なんとも機知に富んでいること! なんかほっこり嬉しくなりました。

(noteの会員の方はクリエイター系の方が多いのでこの手の受け答えって当たり前かもしれませんが)


中学の頃、古文の授業の宿題でイヤイヤ覚えた「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際……」も数十年経って役に立ったというわけです。

よく子供達は「こんなこと、大人になって役に立つの?」って言いますね。

実質的な意味で大人になって役に立つことって義務教育で習うことの中でもほんの一部だと思います。極端な話、四則演算と漢字とひらがな以外は大人になって「使う」ことはないかもしれません。

でも、もし中学の時「枕草子」を覚えなかったら、友人のコメントに答えられなかったでしょう。というかちんぷんかんぷんです。

学生時代に習ったいわば「無駄なこと」は人生の潤いになっているのだと思います。学生時代に限りません。大人になってから学ぶことも、読書も。一見役に立たないことこそ「教養」でそれは人生を豊かにしてくれるのです。

でも、案外この話をして「そうそう、そうだよね!」って答える人って少ない気がします。実は。そして「教養」は必ずしも「学歴」とは正比例しないのも事実です。

東大を出ていても「教養のない」人はいっぱいいます。知識として教育はもちろん受けてきたのでしょうが、とてもそれが豊かさに繋がっているわけではないのです。

高校中退でも「教養の高い」方もいっぱいいます。

「そういうお前はどうなんだよ」って言われると思います。正直私は歴史系教養はかなり低く、「ベルばら」を読んでフランス革命の時代に強くなったの!っていう世代のくせに、ベルばらさえ読んでいないので、歴史的教養はかなり低いです。でも西洋建築史を学んでから建築的なことから派生して少しは歴史がわかるようになりました。

決して「教養が高い」って部類に入れる人間ではありません。でも生きている限り少しずつ教養を高めて生きたいって本気で思っています。

人生で死ぬまで高められることってたくさんあると思いますが、教養もその一つで、教養が高まるごとに人生はほんわり、豊かになっていくのだと思っています。

noteを始めて50日がすぎました。ここには教養が溢れているnoteがたくさん転がっています。だから、自分もできるだけ質を落とさないで毎日書こうと思います。

春になったので思いついたことを書いてみました。


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