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私には2万人近い大切な先輩がいる

15年以上前の話である。

あるハウスメーカーの街並み提案のコンペがあり、うちの会社では社内コンペをした後、そのうちの2案を提出することになった。
社内のコンペでは私の案と社長の案の2つが選ばれて、ハウスメーカーに提出した。

2週間ほどして出た審査結果でなんと私の案が優勝してしまった!

嬉しかった! 街並みという形で自分の思い描いたアイディアが実現するというのは、一軒ずつの提案とは違ったダイナミックな夢がある。
周りの社員からも祝福され、多分鼻の穴を膨らませていたことだろう。

しかし社長からは何も言われなかった。どころか会社で目を合わせてもらえない。

最初のうちは「忙しいのかな」くらいに思っていた。

社長は社員を誘って飲みに行くのが好きだったので、大抵夕方5時くらいになると、比較的暇そうなスタッフは声をかけられるのが日課だった。私も飲むのは嫌いではないので、多少うっとおしいと思いながらもお誘いがあれば参加するようにしていた。

ところがそのコンペの結果発表を境に社長から飲みのお誘いが一切かからなくなっていた。
忙しかったので最初のうちは気にしていなかったのだが、流石にある日、私以外の女子社員が全員いなくなった職場で残業をする羽目になって「もしかして、社長に避けられてる?」と気づいた。

でもどうして? 理由が全くわからなかった。

「仕事はちゃんとしてるし、ていうかこないだコンペに優勝して結構貢献してると思うんだけどな」
翌日、腹を割った付き合いの後輩に聞いてみた。

「社長、私のこと何か言ってた?」

後輩の話を聞いてビックリ仰天!

なんとその日の飲み会の社長発言は、ほぼオール私の悪口大会だったそうだ。
曰く、「コンペで成績が良かったからといって調子に乗ってる」的な。

「要は社長の嫉妬ですよ。 社長○○の穴がちっちゃいんですよね」

寝耳に水、青天の霹靂だった! 私は会社の人間である。私の功績は社長にとっての利益でもあるはずだ。それが何で?
てか嫉妬って何??

私はその時になって初めて「他人の才能に対して嫉妬する」という感情があることを知ったのだった!
私だって恋人が綺麗な女性に心を動かしていれば「メラメラ、ドロドロ」とした汚い感情が沸き起こる。それを抑えるのに苦労したことだってある。人並みに嫉妬する方だと思ってきた。
でも、それ以外のことで自分が「叶わない」「負けた」と思うことがあったとしても、尊敬こそすれ、嫉妬するという感情が湧いたことがそれまでの人生でなかったのだ。
もしかすると嫉妬するのはみっともないことだと思って、自然に抑える感情が沸き起こっているのかもしれないが、少なくともその後輩の発言を聞くまで、自分が誰かに何かの能力で「嫉妬される」ようなことが起きるなんて想像もしていなかった。

正直かなり驚いた。

なぜ私は他人の才能に嫉妬しないのか? それほど一生懸命に生きていないからなのか?
それは違う。どちらかというと熱い人間だ。

どうも「私は私の分野」「あの人はあの人の分野」で戦っていると思っているようなのだ。

陸上競技などではタイムが如実に勝ち負けを表すが、デザインの分野では「その人らしさ」でそれぞれが戦っていると思っている。似たような感性の人はいるけれど、全く同じという人はいない。
街並みのコンペを例にとると、今回の順位は私が良かったけれど、それは「私らしさ」がそのコンペの趣旨に合っていたというだけのこと。

つまりライバルはいつも「自分」なのだ。究極には特に仕事の分野ではライバルは「自分」しかいないのだと思っている。

もちろん優れた誰かの作品に触れることは大きな学びになる。でもそれを学ぶことはその人に「勝ちたい」と思うこととは、私の中では全く別の話なのだ。

と、ここまで書いてきて気づいた。

「過去の私」は私の最大のライバルであり、かつ「最高の先輩」なのではないか?!

365日×53年=19345日

3月には54歳になるので実際にはもっと多くの日数を生きてきた。
人は寝ている間にいろんな記憶をリセットするというから、少し乱暴な言い方をすれば昨日の私は今日の私とは違う。

つまり過去の私はみんな、よくも悪くも「私の先輩」なのだ。

記憶には残っていないけれど、一番古い先輩は生まれて数週間の私。彼女は一番偉い。「裏のない満面の笑顔」は周りの人を幸せにするという人生で一番大切なことを教えてくれる。
生後10ヶ月くらいの私は、毎日苦労して「歩き方」を覚えた。その技術は継続して今も私は引き継いでいる。幼稚園に入る頃になるとちょっとずるい知恵を身につけた、「女の涙」は武器になることを教えてくれる。仕事面で言えば、浪人生のある日「建築学科」を受けようと決めてくれた先輩には大感謝しなくては行けない。施主との打ち合わせに遅刻していった先輩もいた。見積もりのミスをした先輩もいる。つい最近には、忘年会で二日酔いして翌日の仕事に影響した先輩もいた。

私の場合ほとんどの「先輩」が「反面教師」的なロクでもないヤツばかりのようだが、それでも今の私に何らかの影響を与えてくれているかけがえのない先輩たちだ。

他人との比較の中で生きるというのはどうやらこの世の常のようだ。私のような考え方の人は案外少ないのかもしれない。
かつてたかだか一回のコンペの結果で部下の私に嫉妬した社長はきっとすごく苦しかったと思う。苦しかった上にその感情を他の人間に吐き出したために部下に「○○の穴が小さい」とまで言われてしまった。嫉妬され仲間外れにされた私よりもご本人の方がずっと苦しかったのに、その結果得られたものはほとんどないのではないか。

何かにつまずいた時、苦しい時「偉い誰かの意見」が的確に得られればそれに越したことはない。
でもちょっと待って! 大切な「先輩」たちを忘れていませんか?

みんな生きてきた日数分の「過去の自分」という先輩がいる。これは皆平等だ。

まずはその先輩たちに聞いてみてはどうだろう?

「今、どうしたらいい?」って。
他人の才能に嫉妬するよりずっと有益なはずだ。

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