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ことば

今思っていること、昔の自分も同じ様に感じていてちょっと驚きというか、感心した。いや、同じ自分なんだけど。

noteやブログって、どうしても意味のある文章ばかり書かなくちゃいけない気がして、窮屈だというのはやや感じています。自分が見たくてフォローしている人がそういう文章ばかり書くのか、母集団全体でそういう傾向があるかわかりません。ただ、内容がある文章とか、含蓄に富む文章が目に入るたびに、自分の言葉の存在価値を疑います。

その点、Twitterは楽です。なんの考えもなしに、どうでも良いことを言葉にして、つぶやくことができる。心持ち、こんなに気楽なことはありません。

noteや自分の書くSS、最近はTwitterをしている時でさえ、なんのために言葉を紡ぐのかを常に考えます。それは自分の頭の整理だったり、なんとなく雰囲気の良い言葉を使ってみたかったり、様々でした。

昔、中学生か、あるいは高校生の頃かもしれません。「間隙」という言葉を知って、すごく面白いと思ったことがあります。
まずは、「間隙」と書いて「かんげき」と読む意外性に驚きました。「隙」を「げき」と読むなんて、当時は思いもしませんでした。
その言葉の意味が、「隙間」を意味することを知った時は、確かになと思いました。漢字の見た目からして、確かに隙間を意味しそうです。
一番驚いたのは、間隙と、感激が同じ読み方をすると気づいたときでした。

人は、物事の微妙な間にえらく感動するような気がします。例えば、友人に抱くような親愛と、圧倒的才能に対する嫉妬の間隙で揺れ動く人の感情をまじまじと見せられた時とか。
このようなことを考えていると、間隙と感激が、かんげきという読みでつながるのは偶然のようで必然な気がします。

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