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「Sは、Nと、カリウムと、象印な日々」


 Sは、Nと、カリウムと、

 1、むらさき
 2、えーっと、肌いろ
 3、みどり
 4、黒

 と彼女にそう訊かれ、肌いろ…?
 なんて恐るおそるこたえる。

          「ママは何いろが好きでしょー?」

 ▽

 Sは、Nと、カリウムと、
 キッチンで揺らぐ鍋のふたを長いこと見せられていた。
「ちょっと」とN、
「ん?」とカリウム。
「そんなに食べないでよ」
「ああ」
「雑炊はつくって、一時間後がうまいんだから」
 と、Nはたびたびそう主張する。
 豆腐にしらす、芯までよく煮込まれた大根とにんじん。
 実のところ彼にとって、
 雑炊はほとんど常備食といっていいくらいのものなのだけど、
 その度にこう待たされるのは酷なものだ。
「ちょっとビールでも飲んどけば」
「どれくらい?」
「あと一時間くらい」
「なあ、腹へったよ。パスタ茹でていいか?」
「冗談でしょ」
「ああ」
 と、ふたりはおとなしくチーズをかじる。
 だけれど結果的には、
 シードルを飲むのにそれはちょうどいい時間だった。
 大家さんに箱でいただいたものだ。
「ぼくはお酒しか飲まないからさ」
 辛口で、さわやかで、ゆっくり飲むのにはぴったりとくる食前酒。
 二十四本、横積みにされたそのパッケージには、
『ボーン イン フランス、ボトル イン トーキョー』
 とみどりの文字で書きこまれていた。

 ▽

 Sは、Nと、カリウムと、
 恐るおそる区民センターの門戸を潜った。
 回文倶楽部に参加するためである。
「……人、いなくない?」
 どうしてそんな運びになったのだったか。
「いるだろ。広告に書いてあったんだから」
 気が迷ったか、呑んだ夜の勢いのせいか、
 この日、回文を嗜むことは誰からともなく決まっていた。
 無機質な矩形の一室だった。
 先生がいて、白板にきれいな字があった。
 長机があり、イスがいくつも並んでいる。
 そこで、四十センチもある太筆を握って、
「…旅、のび太、くん。いや…」
 ピンク、旅のび太くん、ピ。
 と、先生が苦悶をやわらげていく。



 Sは、Nと、カリウムと、
 迎い火を焚いて霊を待っていた。
 きょろきょろと周囲を見まわしながら、
 他のキャンプ客たちの手順にならって。
「……煙いな」
「みんな、どうして平気なんだろ」
 と目をこすりNはこたえた。
 もうもうと辺りは変にあかるい。
 旺盛な星ぼしがかがやいているのだ。
 これはミステリー・ツアーの催しであり、
 淡く、騒がしく、
 薪が爆ぜながら白濁を足していく。
 わたしたちの天国では、
 それを目印に馬を走らせる。
 馬たち用の特別な天国では、
 ただうっとりと、一夜を過ごす。

                              「馬たち用の天国」

 ▽

 Sは、Nと、カリウムと、
 ミステリー・ツアーで夕飯のBBQを楽しんでいた。
 とても不人気な企画であるらしい。
 メンバーは彼らとあとひとり、
 三十過ぎのキテレツな男がいるだけで、
 山となった野菜を焼き過ぎているうちに、
 ついウィスキーを一本飲み切ってしまった。
 新しいボトルの封を切り、
「んんっ」と彼らは吐く息を飲みこむ。
 時刻は午後八時四十分。
 そろそろお開きにする頃合いで、
 肉のトレイはドリップで満たされており、
 紺いろにぬれたキャンプ場のそらには、
 プラムの種によく似ている月。
 にしてもキテレツな男もいたものなのだ。
 見事に退色したスワローズのキャップを目深に被り、
「ピッチャー、振りかぶって、
 投げました。
 スローカーブを投げました。もう一球です」
 と何度も、何度も三人を見て彼はいった。

                  「テイク ユア スワローズ」

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