「木の達磨」
およそ一年振りに母の実家に行ってみると、折わるくみんな出掛けていた。
クリスマスの飾りを手伝って欲しいといわれていたのに。連絡すると、全員で買いものに出たのだそうだ。ひどいな、とつぶやいて居間でぼんやりしていたところに、寝惚け顔をしたミツキがとぼとぼとやって来た。
「…お姉ちゃん。来てたの?」
いって狼狽したようにその場で身姿を整えた。
わたしは彼女の背後にまわると、よれたサスペンダースカートの肩紐を直し、柔らかな髪にさっと指を入れてあげる。
「寝てたんだ」
ぬれたような目でしずかにうなづく。
「みんな、行っちゃったんだね」
ミツキは親戚の女の子である。来年から小学生になるという。母をのぞいてその兄妹はみな晩婚だったので、いとこの子たちは十から十五もわたしより幼い。ようやく身なりが整ってから満足し、ミツキはわたしの膝に坐った。
「そう。いつの間にか」
とでもうれしそうに目のまえで振りむき、
「追いてくなんてひどいよね」
「ううん。べつに平気」
そのひとみには温かいビー玉みたいなまたたきがあった。
彼女と逢うのも、一年振りだ。そのときよりも大きくなって、血縁であるのでいくらかはわたしに似ていたが、ミツキはとてもきれいな娘だった。
美しいといっていいくらいだとおもう。
近くでささやかれる声からは甘い匂いがし、ことばが確かになっている様にはおどろきを憶える。表は天も寿ぐような日曜日である。そして、ツヤツヤのお肌や、髪やをながめながらそこでお茶菓子を摘んでいると、
「ねえ。これあげるね」
と唐突に握った手のひらを差し出された。
「宝ものなんだよ」
そこには木の達磨さんが入っていた。いいの、と訊くまえに押し出され、わたしはそれを受けとった。土産ものだろうか。すごく滑らかな木の塊りで、その達磨からはミツキのぬくもりがわたしに移った。
「これをわたしだとおもって、大切にしてね」
実はというと、彼女は仏壇に神さまがいると考えており、ちいさく悪態をつくときや、企みごとがあるときと同様にそこから顔を背けたのだが…。
母たちはなかなか戻って来なかった。
どうせ寄り道にアトレでお茶しているのに違いない。ジュースを注ぎ、テレビを見たり、ちいさな画面でいっしょに踊りを見たりして過ごした。二時間くらい経った頃、ミツキはうとうとしていたのだけれど、立ちあがってポケットのなかをさぐると、さきほどの達磨がどこにもなかった。
おしりのポケットに膨らみがあり、狭い内側に手を差し入れてみても、そこにあるのはべつの木の塊りである。
「…なに、これ」
そこで数発、柱時計がぽぉーんと時刻を打った。
「どうしたの?」
と寝惚け顔をした彼女は訊く。
寒くなってわたしはコートを羽織り、そういえばさっきも寒かったよな、とひとつ目のポケットをまさぐってみると、そこからもべつの塊りが出てきた。目もなく、鼻もなく、輪郭さえも描かれていないが、シルエットとしてはこれも達磨だろうか。
「…ん。べつに。なんでもないよ」
それ以降は手当たり次第に抽斗をあけた。
ざっくばらんに筆記用具が詰め込まれた箱には、その奥底の方に達磨があった。紅茶の缶にも、祖母が大事にしているお茶器の棚にもそれはあったし、念のために猫のトイレを掘り起こしてみると、四、五個もの達磨が転がり出てきた。
けれど、やはりすべては元のとはべつの木の塊りである。
だから死んだ猫のトイレなど片づければいいのに…、と段々わたしは苛立ってしまった。靴箱の靴にも、花瓶のなかにもそれはあったし、玄関に吊るされたじょうろのなかにも、逆さになった銀のマグにも、確かめればあったに違いない。
「…あのね、神さま」
わたしの異変をミツキが見逃してくれるはずもなかった。
「好きな人にさ、貰ったものなら絶対なくしたりしないよね?」
仏壇にいる神さまを掴まえてそう尋ね、
「絶対、絶対、大切にしてくれていないからなくしちゃったりするんだよね」
和畳のうえに、いくつも、いくつも、大粒の涙がぽろりと落ちた。
そのときにはわたしもまいってしまった。錯乱しておなじポケットをまさぐってみても、その隅に潜んだ小ポケットからは、新しい木の塊りが出てきた。どれもこれもが元のとはべつの達磨さんである。
わたしはそれをテーブルに並べ、ため息をついた。
しかしなぜ、こんなにもすごく滑らかな、木の塊りがたくさんある家なのだろう。彼女の後ろに坐りこみ、謝ろうとしてもあきらめ切れない。わたしはミツキを、もう手離してはならないと悟っていたのだ。やがてあつくなってティシャツ姿になり、目についたものから順にひっくり返していくと、お風呂場の片隅で待ちくたびれ、湿ったお洗濯ものカゴの奥の方から、見憶えのある小箱がそっと出てきた。
それはちょうど去年、わたしがミツキにクリスマスの贈りものとしてあげたアクセサリー入れであった。
「…ようやく、見つけたんだね」
なんて背後でそういってくれたらよかったのだが。
わたしはごくりと生唾を飲み、用心深く肺を充たした。
これを見つけるために今日という一日はあったのだろう。依然として家はがらんどうのままだが、致し方ない。日曜日はやがて月曜日へとなっていくのだ。そして、彼女が見下ろしているとなりで小箱をあけると、まるく、お懐紙に包まれたスペシャルなモノがそこにはあって、どきまぎとしながら開いてみれば、やはりなかには元のとはべつの木の達磨さんがある。
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