「Sは、Nと、カリウムと、すてきな物体」


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 Sは、Nと、カリウムと、
 すてきな物体を手に入れてきた。
 それは海にも、山にも、
 都会の高いところにもないもので、
 手ですくうとキラキラと甘い音をたてた。
「いい」
「ああ」
「これ、すごくいいよ」とNの嘆息、
 またしばしの堪能。
 そこに舌をつけ、耳をつけ、目玉をつけて。
 だけどこんなにも量があったら、
 三人はいつまでこの物体に拘ってなくてはいけないだろう。
 すてきなそれはひびきを残し、
 スーッと温かく肌にしみこむ。
「なくなったらどうする?」
 とでもNが持ちかけたのは、
 およそ五分と、五時間が経過したくらいのときだった。
「どうするって?」と、カリウム、
「いや、どうするってこともないんだけど」
 とこたえるN。
「ただ、どうしよう。って思うんだよ」
 そして三日目の夜が過ぎ去ったあと、
 サブレの空き缶に詰めそれを目印の下に埋めた。
 銀いろのオブジェ、
 が、安らかな微風に吹かれている下に。
 あれ以来オブジェを、
 重要なものとして三人は見遣る。
 すてきな物は、すてきな場所で、
 すてきな時間を悠久に行くのだ。
 三人にもう掘り起こすつもりなど毛ほどもない。

                                  「すてきな物体」

 ▽

 Sは、Nと、カリウムと、
 さば缶に水を入れもう十五分も待っていた。
 待てばそこから力士ができあがるというのだ。
 ただ必要な時間がまちまちなのが困ったところで、
 人生は辛抱強くならなくちゃいけない。
「って、いう話をふと思い出したんだけど」
 なんてNが言い始めたのは、
 三人で起きぬけに歯を磨いているときだった。
 もちろん期待するつもりもないが試してはいる。
「蕪でいいか?」
 カリウムが訊き、
「あ、茗荷があったからそれもおねがい」
 と朝食と力士の出来あがりをながめた。
 すると、
 次第に実体を持ちだしていく、
 弾力のある水。
 淡く、じりじりとさばのゼラチン質は溶けだしており、
 温めるとそれは、
 いい香りを放って食欲がわく。

                                    「豊満さの源」

 ▽

 Sは、Nと、カリウムと、
 かくしてコアラを見る旅にでることになった。
 オーストラリアは月よりも遠く、
 そうまとまったお金があるでもないので、
 しばらくは日々節約をして過ごさなくてはならない。
「でも、来られたよね」
 と満足そうにNがもらし、
「そうだな」
 なんてこたえたカリウムの顔も、
 実に満足そうなものだった。
 安らかな微風、
 赤く燦々と重量のある陽射し。
 そこは白熱に炙り出された大草原で、
 目に見える木の下という下で日がなパーティが開かれていく。
 真水を飲んで、肩を組み歌って、
 紺いろが落ちてきてからは浴びるくらい酔った。
「何日も本当、タフだったよね…」
 などとNは言ったが、
 パスポートを所有した憶えがないので、
 これは一から十までゆめに見た話だ。
 しかし長い夜のさなかを泳ぐほど飲み、
 めがさめると事実頭が痛んだ。
 そういえばコアラはどこにもいないのだった。
 けれど掛け値なくすばらしい旅で、
 男も、女も、
 踊る腰の肌つきが鞣されたように神々しかった。
 いまでもときどき、あの夜のことを思いだす。
 ずどん、ずどん、
 と遠くそらから太鼓のひびきが降り注ぎ、
 そしてか細い新月が、
 青く坊主のお山へと照っている。

                              「コアラを見る旅」

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