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繊細で物腰柔らかで可愛らしい女の子

…になりた〜〜〜〜い!!!!

私の思う可愛いって、線が細くて落ち着いていていつもにこにこしててちょっと強く引っ張ったら折れちゃいそうででもどこ触っても柔らかくて髪が細くてサラサラで少し色が明るめで肌が白くて物腰が柔らかくてワンピースが似合って…みたいな、幻想抱きまくりのキモオタが考えた最強の女の子!みたいなやつなんですよ。

あまりにもどこもかしこも自分と違いすぎる。悲しい。

まず線が細くて、の時点で違う。なにも不健康かな?ってくらいの細さを求めてるわけじゃないけど、欲をいえばもう少し痩せたい。別に今だってめちゃめちゃ健康体重ですけど!

落ち着いてもないし、物腰も柔らかじゃない。いつもばたばたしててうるさいし、口も悪い。髪が細くて…はただの理想だけど私の髪は一本一本が太めで量が多いから気を付けてあげないとすぐにバサバサになっちゃう。

自分の容姿に特別悲観的になったことはないけれど、自分の中に昔からあるステレオタイプな女の子らしさをかわいさだと思う考えが、今の自分はその理想とは違うなぁと突きつけてくるわけです。せつないね。

世間の話

近年は”あなたらしさ”を尊重されることが美徳になっていると思います。それはとてもいいことだと思うと同時に、私のような没個性の人間は”私らしさ”を尊重されても困ってしまうこともあります。
ステレオタイプの押し付けはもちろん良くないことですが、選んでステレオタイプであろうとすることまで悪としなくてもいいのではないか?と思います。

私は自分で選んでステレオタイプの女性らしくありたいと思っているけれど、たまに「そうじゃなくていいんだよ」「無理しないで」と声をかけられることもある。それは”あなたらしさ”という言葉の押し付けではないですか?

私は『尊重』という言葉の中には適切な無視が含まれていると思っています。この場合の無視はスルーということ。自分とは異なる意見を見たときに分かり合えるまで討論を重ねることもひとつの向き合い方かもしれないけれど、無理に受け入れようとしたり否定しようとするのではなくてスルーすることが尊重に繋がると。

つまり「放っといてよ」ってことだよね。

私は”私らしさ”について言及して欲しくない。それを話題にした瞬間にその私らしさは批判されて消費されるものになってしまう気がするから。一過性の思考実験の題材になって本当に大切なことに触れられないまま終わってしまう気がするから。

尊重するって難しい。受け入れてもらうって難しい。

だからまずは私が”自分を好きでいられる姿”を目指す姿をなんとなしに主張するところから始めてみようかな。

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