誰かに愛されるということ.
お久しぶりです.9月ごろから、更新できていませんでした….
寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今日は、タイトルにある通り、「誰かに愛されるということ.」について.
皆さんは、愛されたいと思いますか?愛したいと思いますか?
その考えを固めてから読み進めていただけると幸いです.
そもそもこのテーマで文を書こうとなったのは、とある本を読んだ、
そこから始まります.
そこを根源として、今回はお話したいと思います.
そもそも、”愛されたい”とは、「依存心」.これは、紛れもなく事実.
赤の他人を自分に固着させているようなものだと.
しかし、残念ながら人間というのは、誰かに、想われたいと、
守られたいと、そう感じる我儘な生き物です.
現に、私もそう思っていましたし、愛されている人は幸せそうでいいなと.
そんなふうに感じていた時もありました.
でも、それは大きな誤解なのです. 間違いなのです.
無条件に愛を注がれていそうな人.客観的にはそう見える.
しかしながら、そういう幸せを掴み取った方というのは、
その分、相手に同等、もしくは、それ以上に相手を愛してきた人です.
辛いことも、苦しいことも、全て、自分を糧にして、”愛”という形で
相手に与え続けてきた人だからです.
つまり、”誰かから無条件の愛が欲しい”というのは、人間の愚かさ.
我儘に過ぎない、というわけです.
人から愛を受け取りたいなら、それよりも誰かを死ぬ気で愛すことが
もっとも重要であり、それができないのなら、誰かから愛を受け取ることは
おそらくできない、と.
なにが正しいかは、明確にならない世の中でも、誰かを愛せることは
とても幸せなことであると思う.
ペースが遅くてもいいし、早くてもいい.
でもその中に、純な”愛”を忘れないで欲しいと思っている。
僻んだ愛は、毒になるから.
どうか、読んでくれている貴方が、幸せでいられますように.
読んでくれて、ありがとうございます.
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