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アフター・ヤン

ずっと観たかったアフターヤンを観た。
頭に浮かんでは消える、言葉にすることが難しいなにかを感じた映画だった。
そのなにかを考え、リリイ・シュシュと坂本龍一を聴きながら、次の駅まで歩いた。
観て1日経った今日も、ずっとこの映画のことを考えている。

自分の歩んできた道のり・人生は他の人にはわからない。逆も同じで、私は自分以外の人の全てを理解することはできないと思っている。

家族や友達の過去の記憶や記録を動画で振り返ることができるとする。
その時、その人はなにを感じてなにを考えていたか。
想像をすることはできても、正確な答えを出すことはできない。失ってしまったいま、話を聞くこともできない。

いつかは終わり、なにかを失う。そういったことを考えるのは悲しい。
だけど私たちは、いまこの瞬間も誰かに感謝の気持ちを伝えたり、言葉を残し伝えることができる。そのことを少しでも覚えていられたらいいと思う。
また観たい。

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