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徒然草 苦手な食べものは、雰囲気で。

彼とは食の好みが合うなと思い、「彼」になった。(もちろんそれだけではないけれど) 食事もそうだけどお酒も飲めるし、休日の昼からお酒を飲みたいと言っても毛嫌いされないから、勝手に安心しきって一緒にビールや熱燗を飲むから、今のご時世は世知辛い。

あまり知り合ってから時間は長くないけれど、それなりにパーソナルが見えてきたなかで、おもしろいひとだなーと思う節は数多くあるのだけれど、その中の一つで「苦手な食べものが多すぎる」というのがある。
「イチゴが嫌いでショートケーキの中のカットイチゴさえも誰かに寄越す」
「プチトマトは中が嫌い(熱したら食べれるらしい)」
「数の子やイクラとか雲丹とか小粒集団が無理」
「納豆は腐った豆であるゆえに無理」
「マヨネーズが嫌い(ポテトサラダはいける)」
「カップラーメン類は親に止められていたから嫌いになった」
・・・など、苦手な理由も添えてくれるから、覚えやすかった。(そうやって日本史も覚えていたなあ)

逆にこれまでよく食の好み合ってたな、なんなら今まで外食したお店でプチトマトも出てきていたし、マヨネーズ類も食べた(ような居酒屋に行った記憶は幾度とあるし)はずだ。
なんで嫌いなのに食べれてたの?と自分から聞く前に自分で答えを見つけてしまったので、彼に「もしかして“店の雰囲気”次第で、苦手なモノが食べれるようになる?」と聞いたら頷いた。
薄暗い雰囲気のあるお店や、わいわいがやがやする居酒屋の雰囲気、それが彼の苦手を帳消しにするらしい。彼は空間にもしっかり代金を払っていたのだな、とそれなりの金額の店々に思いを馳せる。

子どもの頃、わたしも苦手な食べものが結構多かった。それこそ果物はミカン以外は嫌いだった、だから実は、彼同様イチゴも嫌いだった。
ふと、イチゴの苦手を克服したのは何故か?と思い返すと、確かに雰囲気だった、とぶち当たった。この世の高校生の御用達「スイーツパラダイス」だ。名通り、スイーツのパラダイスだった夢の国で、イチゴと向き合い、雰囲気に飲み込まれ、友達と「イチゴ美味しいね」の会話を成し、いま、私はイチゴが好きだ。

雰囲気に飲み込まれる、と、意思無くなったりや思考が停止したりと、あまり良くない気がしていたけれど、案外、身を任してみても悪くないのかもしれない。あの頃のスイーツパラダイスがあるからこそ、ショートケーキがおいしいんだもの。

「今度、何かイチゴのつくるね!」と言ったら、彼は笑顔のまま黙り込んだので、わたしには雰囲気は作れないことがわかりました。


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