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徒然草 「こういうコミュニケーションは、頻繁にしたいほうです。」

『花束みたいな恋をした』という映画を、1か月前ぐらいに独りで観たのだけれど、予告編とはもっと前から出会っていた(シネマトゥディのYoutubeで公開2日目とかで見た記憶がある)。
予告編で、わたしの心はしてやられていたので、番宣などでテレビやネット記事が乱発する前に、耳馴染みがあった。

してやられていた、と書いたが、なににしてやられていたのか、というと、有村架純が菅田将暉に、少し俯きながら一生懸命に伝える、”ある台詞”だった。

「こういうコミュニケーションは、頻繁にしたいほうです。」

これを観て、絶対観ようとリストに入れたのを覚えている。そして、この台詞を勇気をもって彼に伝えたことをここに暴露する。


予告で羨望した。なんと真っ直ぐな言葉と、どかんと胸を打たれた。もしも、「こういうコミュニケーションは、頻繁にしたいほうです。」と言われたら、私はどう思うのだろうか、と、なぜか菅田将暉の気持ちにも憑依した。もう、この台詞をわたしが言うことが決まっているかのように。


ところで、まっすぐな感情表現って、難しくないですか。恋愛だけでなく、家族への想いだったり、友情だったりも入る。思いのまま書いているけれど、そしてなんでこの話を書くのかもよくわからないまま書いてるけれど、このテーマで誰かとしたいのかもしれない。

わたしがまっすぐに人に思いのままを伝えることがそんなに得意ではないからこそ、他人からのそういうコミュニケーションを求めてしまったり身を委ねてしまう節はあるんだと思う。

例えば、弟。弟はシンプルな人間だ。「姉ちゃんのおかげ。」「ありがとう。」とシンプルに感謝できる。「こういうのは要らない。けれど、こういうことをしてほしい。」とシンプルに要望できる。そんな弟の言葉で、きゅんとすることさえあるのだ。いい男だ、こいつはモテる、と一瞬勘違いする。

例えば、地元のある男子。同時期に東京に来たこともあって、まだ新卒のころはよく遊んだ。ある時、下北沢の小劇場に突然誘われて、意外な誘い(その当時、その子が演劇とは程遠い存在だった)だったから、なんでだろうと思いながらも誘いに乗った。そして観たが、内容が全く、本当に全くよくわからなかった。もやもやした。
とはいえ、誘ってくれたこと自体が楽しかったので、「楽しかったね」と言ってみたが、「よくわからなかったね!」とあっけらかんと返ってきた。そして「ありがとう、一緒に観れて良かったよ。」と続けざまに言ってきたのだ。素直で良い人だと思った。地元では仲良くなかった(というか知ってるけど深くは知らない人だった)のも相まって、ふり幅にしてやられた。胸がきゅんとした。


「こういうコミュニケーションは、頻繁に取りたいほうです。」

言えたらいいな、と憧れていた。言えたときに、小さくヨシッって思える気がした。ここ最近、勇気をもって何かをやってみたりすることが無かったから、その時がきたら果敢に言ってやろうと、意気込んでた。

そして偶々言ってみたら、あっちもまっすぐな人なんだな、とわかりました。

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