フリーペーパーが好きな話

駅やお店に置いてある無料配布のフリーペーパーが好き。

お気に入りのフリーペーパーがあったとか、別に好きなライターさんがいたとか、好みのコラム連載があったとかじゃなくて、フリーペーパーの気軽さが好き。

R-25とか読み応えがあって好きだった。駅構内に陳列されてたR-25を手に取って電車に乗って、乗ってる間にパラパラ眺めて、用事を済ませてお茶する時にまた続きをパラパラして、読み終わったら駅のゴミ箱に捨てれば荷物も増えない。持ち歩いててもかさばらないし、気楽で丁度いい読み物だったのに、気付いたらR-25は無くなっていて、ゴミ箱自体も大分少なくなった。

タリーズにも昔フリーペーパーがあった気がする。サブカルっぽいコラムや対談が中心の。やっぱりコーヒー片手に気軽に読めて、お店を出る時にマグカップと一緒に片付けてお終いの読み物。とにかくサブカルっぽかった事だけよく覚えている。いや記憶補正かも。

最近そういう読み物が少なくて寂しい。

読んですぐ捨てるなんて作り手に失礼とか、そんな簡単にゴミを増やすなとか、フリーペーパーは名前の通り無料配布で作り手の儲けにならないから減って当然とか、今は電子書籍で無尽蔵に文章が読めるとか、喫茶店にはまだ雑誌も新聞紙も置いてあるとか、そういう話じゃなくて。

フリーペーパーの気軽さがいいんじゃん。

「さて今から文章を読むぞ」とKindleを起動させるんじゃなくて、わざわざ新聞や雑誌や電子書籍を開くんじゃなくて、私が好きそうなオススメトピックじゃなくて、急上昇でも人気アカウントでもなくて、最速のネットニュースでもしょうもないゴシップでもない、もっと気軽で、手軽で、「そこにあるから、読んでみようか」くらいのさりげない読み物がいい。丁度良い暇つぶしみたいな。それ以下でもそれ以上でもないものが最近、パッと手が届くところに少なくて寂しい。

雑貨やインテリアのお店には、カタログのフリーペーパーがまだまだある。でもそれはあくまでカタログであって、ほとんど商品の写真と値段しか載ってない。昔はもっと『このブランドが作る世界観に住む人たちの日常』みたいな文章があったと思う。『こんな格好いい人達が愛用しているブランドですよ』みたいなインタビュー記事とか。これも記憶補正?

アフタヌーンティーリビングのフリーペーパーなんか、昔はコラムもあって新商品や季節限定品にまつわる取材記事もあって楽しかったのに、最近はなんか寂しい。でもカレンダーが可愛いから毎月手に取っている。学生時代から私の部屋のカレンダーはずっとこれ。復活してくれて本当に嬉しい。

そういえばフリーペーパーだけじゃなくて、漫画の単行本の「柱」も最近全然見ない。「柱」って、雑誌連載時に広告が入る部分で見開き左ページの外側1/4であることが多いと思うんだけど伝わるだろうか。雑誌連載が単行本化すると、そのスペースが余るから作者の小話っぽいのが手書きで載ってたりする。あとページ数調節の為の白紙とか、単行本最後の後書きとか。

書き下ろしイラスト描く人、大きな字でツイッターの呟きみたいな事ポツポツ書く人、細かい字でエッセイみたいに振り返りを書く人、制作秘話や参考資料について書く人、、、作者とおしゃべりしてるみたいで読むのが楽しみだったのに、最近めっきり見ない。電子書籍から単行本化するパターンが増えたからかな。私が雑誌連載の漫画を読まなくなったからかもしれない。

信じられる?前書きも後書きも余白も柱もなくて、どこにも作者の筆跡がないから、ははーん☆と思って表紙カバー取るじゃん。表紙カバーの裏も、単行本の表紙も裏表紙も確認するじゃん。本当にどこにも何にも書いてないことがあるんだよ。『ははーん☆』とかしたり顔で意気揚々とカバー取った自分めっちゃ恥ずかしい。恥ずかしいし、なんか寂しい。かくれんぼで、私はガチで鬼役をやって必死に相手を探しているのに、相手は鬼ごっこなんかそもそもしてなかったっていう。これはなかなか辛い。あとコマとコマの間の隙間もいつのまにか少なくなってる気がする。

昔読んだ、廊下のない家はお互いのパーソナルスペースが侵されて家族がギスギスするっていう記事を思い出す。

『余白』も『行間』も『これは主題じゃないんだけど、まぁ書いとく程度の文章』も、あると嬉しいな、と思う。無くても困らないし、むしろ無駄と経費が削減されて喜ばしいんだろうけど、ないと寂しい。私にとってそれは、気軽に手に取れるフリーペーパーだったり、単行本の後書きだったり、漫画のコマの隙間だったりする。


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