交錯夏祭

 彼がわたしの地元へ遊びに来たのは、二年間付き合ってきて初めてのことだった。大学二年生の夏休みだ。前期の期末テストが終わってすぐ、わたしは彼を引き連れて帰省した。
 まだ昼の名残をとどめる夕方六時。わたしは歩きなれた道を行きながら、ずっと話をしている。
「あっち側にいくと町の中心に出るんだけどね、こっち側には何にもないの。バイパスのトンネルの向こうにあるのは、この市で一番頭がいい子が通う高校と、浄水場と、火葬場くらい」
 湿気をはらんだぬるい風が頬を撫でていった。彼はわたしの話を聞いているのかいないのかわからない様子で田んぼの用水路に流れる水を見て、
「ここは水の町だねえ」
 と呑気に呟く。わたしも彼の言葉に構うことなく話を続けた。
「トンネルの向こうには、昔広いグラウンドがあってね、毎年この時期に夏祭りがあったの」
 わたしたちはそのトンネルの中に足を踏み入れる。
「櫓があって、その上で和太鼓を叩く男の人がいて、お盆でもないのに盆踊りを踊るの。周りには露店がたくさん出てたよ。なんとね、その露店はみんなタダだったの」
 それはすごい。彼はようやくわたしの話を真面目に聞く気になってそう言った。
「君は毎回食べ過ぎてお腹を壊したんだろう」
 わたしは彼に応えずに口先を尖らせ、話を続けた。
「でも、そのお祭りも七年前に終わっちゃった。グラウンドが買い取られて住宅地になっちゃって。かわいいおもちゃみたいな家がたくさん並んでるんだよね、今は」
 トンネルの向こうから西日が差し込む。まぶしい。わたしは目を細めた。そのときふと、どこかで太鼓の音が鳴ったような気がした。顔を上げると音楽が聞こえはじめる。すぐにこの町で昔から踊られている音頭の拍子だと気付いた。わたしは怪訝な顔をする。どこかで夏祭りがあるのだろうか。

 トンネルを抜けたとき、わたしは目を見開いた。

「君が言っていたお祭りってあれ?」
 可愛らしい形の家が並んだ新しい住宅街は姿を消し、七年前に終わったはずのあの夏祭りの風景が、目の前に広がっていた。わたしは驚いて棒立ちになった。
「うん」
 わたしは呆然としながらも、彼の問いかけに頷く。
「じゃあ、行こうか」
 愕然としているわたしの手を取って、彼はそう言った。わたしは彼の顔を見る。彼は悪戯っ子のように、にいと笑って見せた。まるで最初っから、ここでお祭りがあったのを知っていたように見えた。
 懐かしい音頭の節が空気に流れ、たそがれ時の藍色の空気に赤い提灯のあかりが揺れる。わたしたちは露店の列に並んで、ビールと枝豆とフランクフルトを手に入れた。もちろんタダだった。皮がぱりぱりに焦げたフランクフルトをかじると気分も落ち着いて、わたしは愉快にビールを飲んだ。
「このお祭りであなたと一緒にビールが飲めるなんて夢のよう」
 わたしは真剣な顔で彼に言う。彼は美味しそうにビールを飲みながら、
「それは良かったね」
 と言った。それから彼は視線を移し、可笑しそうに口端を上げた。
「あれ、君だろう」
 彼が示した先を見やる。そこには、浅葱色の浴衣を着た五歳くらいの女の子がいた。彼女は右手にフランクフルトを、左手にりんご飴を持ち、なおかつ両手で焼きそばの入ったパックを支えて、何も食べることができずに途方に暮れている。
「……なんて食い意地の張った子なんだ」
 わたしは呟いたが、あの浴衣は確かにわたしが幼稚園に通っていた頃愛用していたものだった。丸い顔も、肩口で跳ねる髪の毛も何も変わっていない。かつての自分がそこにいる驚きは不思議と湧いてこなかった。ただ、何だか情けない気持ちになってしまう。彼はわたし顔を見るとひとしきり笑って、小さなわたしの方へ向かい、焼きそばのパックを自分の枝豆の袋に入れて彼女の右腕に通してやる。
「ほら、これで食べられるでしょ」
 彼女はぱっと笑い、ありがとう、と言った。
「お腹を壊さないようにね」
 と、彼はいつものように言って、こちらへ戻ってくる。
「今と変わらず食い意地は張ってるけど、素直な良い子だったんだねえ」
 彼の言葉に、わたしは口先を尖らせて何も言わなかった。彼はわたしの反応にまたおかしそうに笑ってから、自分の腕時計に視線を移し、おや、と言った。
「急ごう」
「え?」
 唐突な彼の言葉に、わたしは首を傾げる。
「時間がない」
 彼はわたしの手を引いて、ずんずんとトンネルの方へ向かい始めた。何だかよくわからないがわたしは彼に引っ張られていく。もう帰っちゃうのか、と後ろを振り向くと、何年か前のわたしが嬉しそうに林檎飴とフランクフルトを食べているのが見えた。
 真っ暗なトンネルを抜けると、空が開けた。夏の大三角形が見える。綺麗な夜空だった。わたしが目を凝らして天の川を見ようとしていると、
「ほら、もうすぐだよ」
 と彼が言った。わたしは彼の顔を見て、彼の視線の先を見る。その時、ひゅう、と音が聞こえ、夜空いっぱいに色とりどりの光が開いた。花火。わたしは呟いた。
「今日、花火大会だろう。ちゃんと調べてきたんだ」
 彼はそう言って、また悪戯っぽく笑った。わたしは彼の方を見て、
「よくご存知で」
 と言う。わたしは知らなかった。この人はわたしの知らないことをよく知っているなあ、と思った。
 トンネルの出口で、空に弾ける花火を見上げる。このトンネルの向こうの祭り会場にも、この光は届いているだろうか。あの日のわたしはそろそろ、お腹を壊しているんじゃないだろうか。
 そんなことを思いながら、わたしは彼の手を握った。


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