黄昏心中

 彼女と旅行に出る時、僕は大抵服の選択を誤った。あなたはいつも薄着過ぎるのよ、と年下の彼女は姉のように笑う。
「大学生の頃、春先に温泉旅行に行った時も、五月の阿蘇山に登った時もそうだった」
 彼女はそう言って、僕の右側にぴったりと寄り添った。彼女の体温は高い。万年末端冷え性の僕は、指先まで血の行き届いた彼女の小さな手の温かさにいつも驚かされる。

 せっかくの新婚旅行だが、お互い時間もお金もなく、海沿いの小さな温泉街に行くのが精いっぱいだった。
 温泉につかった後、彼女が海が見たいと言った。もう黄昏時と言っていい時間だったが、僕たちは日本海を見るために、海岸まで歩く。空はどんよりと曇ってやけに寒い。日本海側の気候を甘く見ていた。
 遠くから海鳴りが聞こえ、仄暗い波が絶えず寄せては返す。僕たちは寄り添って、息がつまりそうなほど低い空を見上げた。その終わりまで目で追うと、黒い水平線に行きあたる。ひと際強く風が吹いた。彼女の髪が揺れ、僕らは寒さに耐えるように寄り添う。彼女も相当寒いらしい。思い詰めたような青褪めた表情をしている。多分僕も、同じ顔をしているのだろう。まるで心中でもしに来たみたいだ、と、不穏なことを思った。彼女は海を見ていたが、ゆっくりと僕の顔を見て、それから少し笑った。
「ねえ、心中でもしに来たみたいだね」
 その言葉に、僕は苦笑して、
「全く同じことを考えてた」
 と、返す。彼女はおかしそうに笑って、凄いね、と言った。新婚旅行なのにね。
 僕は彼女の穏やかな笑い声を聞きながら、黒く染まる海へと視線を移した。冗談を言って笑っているが、僕は知っているのだ。彼女が以前、僕ではない誰かと心中しようとしていたことを。

 心中の相手は、女の子だった。僕もよく知っている、彼女の親友だ。彼女達は、お互いの手首についた自傷跡を見て仲良くなった。友好関係は中学、高校、大学まで続き、大学を出る時、彼女達は一緒に死のうとした。今まで自分にしかつけたことのなかった切り傷を、お互いの腕や足や首に刻んでいった。自分の身体を切るように、二人は赤い血で滑る剃刀を白い肌にあてていった。
 けれど、とうとう死ぬことはできなかった。二人は出血過多で蒼い顔をしたまま、抱き合って泣いた。僕はその頃遠い街の職場にいて、彼女の身に起きたことなど、知る由もなかった。

 あれからもう四年経つ。彼女の肌にはまだ、無数のあざが残っている。これから一生残るあざだ。彼女の親友が、彼女の肌に刻んだ痕跡だった。
 僕は、彼女と一緒に死ねるだろうか、と、時々考える。その重さに耐えきれるだろうか。この傷跡を僕が消してやれないように、それはできないように思った。
「帰ってご飯食べようか」
 僕は彼女の手を取った。彼女は子どものような顔で頷く。
「でも、ご飯の前にもう一回お風呂に行こう。風邪ひいちゃうよ」
 僕は笑った。そうだね、と言った。指先まで血の通った手は温かかった。僕の隣にいる彼女はいつだって驚くほどに温かい。それを重く冷やすことは、多分僕にはできない。
 一緒に死んでやることはできないのだ。僕にできることは、この手を握って一緒に生きてやることくらいだ。



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