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dreamless wanderer

 自分が死ねないのだということに気付いたのは生まれて百年くらいが経ってからだった。

おかしいとは思っていたのだ。いくら年を取っても僕は二十歳くらいの見た目を保っていた。住む場所を転々としていたから訝しまれることはなかったけれど、だんだん自分の年齢がわからなくなった。老けにくいにもほどがあるとは思った。でも、自分がいつの間にやら不老不死になっていたなんて可能性はさすがに考えなかった。

 生きるのに不自由はない。
これもしばらく全く気付いていなかったのだけれど、僕は何も食べなくても生きていけるみたいだった。死ねない身体であるということに気付いてから、はて、それではものを食べなかったらどうなるのだろうと思って食べるのをやめてみたら何ともなかった。それでは寝るのをやめてみたらどうなのだろうと思って眠らずにいたらいつまでも起きていられた。
 生命活動に必要と思われる行動を一切やめてみたら、汗を掻くことも、排泄することもなくなった。食欲も睡眠欲も、性欲なんてものも消えてしまった。いつまでも年を取らずに生き続けている時点でかなり人間離れしていたのだけれど、生理現象さえ失ったらもう完全に人間ではない、と、僕は思う。このあたりに関しては少し後悔している。不必要でも続けておくべきだった。記憶力はもともとすこぶる悪い方だったから、人間だった頃のことがあんまり思い出せない。

 それでも思い出すという行為を忘れるのが何だか怖くて、僕は自分の中にある記憶をたびたび呼び起こす。
 彼女のことだ。
 容量の少ない僕の頭の中の「忘れてはいけません箱」みたいなものには大体彼女に関する記憶ばかりが詰め込まれている。

 二十歳の頃(見た目だけじゃなくて中身も本当に二十歳だった頃)、僕には恋人がいた。ほっそりとした、色白の女の子だった。細い黒髪には軽いウェーブがかかっていて、彼女はそれを嫌いだと言ったけれど僕はとても好きだった。
 彼女の部屋を訪ねると、彼女は大体眠っていた。僕はベッドで丸くなっている彼女を起こすことなく、何時間でもその寝顔を見ていた。
 彼女は寝起きが良い。何かのきっかけ――たとえば小さな物音だとか――で急にぱちりと目を開けると、もう完全に覚醒している。あくびのひとつもしないし瞼をこすったりもしない。目の前に僕がいることに別段驚くこともなく、
「夢を見てたわ」
 と、紅茶色の瞳を僕に向けてはっきりした声で言う。
「どんな?」
「あなたと一緒にいた」
 彼女に夢の内容を聞けば、いつもそんな答えが返ってきた。夢の中で彼女は常に僕と一緒にいる。こちら側の僕はひとりで彼女の目覚めを待っているというのに、それは幾分、不公平ではないか。僕がそう言うと、彼女は可笑しそうに目を細め、
「あなたも夢の中にわたしを呼んでくれたらいいんだわ」
 そう言った。
「夢、あんまり見ないんだよ、僕は。だから君が来てくれたって気づけない」
「忘れるからよ」
 ちゃんと見ているのに、忘れるからよ。彼女は涼やかに笑っていた。

 彼女が姿を消したのは、秋だったと記憶している。

夕暮れ時になると透き通った風が吹き、飴色の空はびっしりと鱗雲で埋まっていた。世界の終わりが来るのだとしたら多分秋の夕暮れだ。そんなことを思いながらいつものように彼女の部屋に行けば、そこに彼女はいなかった。
 ふと視線を落とすとベッドの真ん中に窪みができている。手を触れたらまだあたたかかった。起きて外出しているのかもしれない。すぐに帰ってくるだろうと思って僕は待った。待ったけれど、夜になっても翌日になっても一週間経っても一ヶ月経っても一年経っても、彼女は帰ってこなかった。
 そして僕は、旅に出たのだ。
 彼女を探すために。

 百年も二百年も生きて世界をぐるぐる回って、それでも彼女は見つからなかった。もう死んでしまっていると思う。それくらい、僕にも現実は見えている。
 しかし、あるいはと、仮定することもある。
 あるいはあの日、彼女は完全に夢の中に行ってしまったのかもしれない。そこには僕の知らない僕がいて、彼女はそいつと手を繋いで、いつまでも末永く幸せに暮らしたのかもしれない。そう仮定して、そんなのはやっぱり不公平だと僕は思った。
「忘れるからよ」
 朽ち果てた記憶の中で彼女が涼やかに笑う。

「そうだね、でももう、僕は本当に夢を見ないんだ」

 僕は眠ることがない。このまま永遠に世界を彷徨う。彼女が見つからないことはわかっているから、だから、あとは失くすだけだなと、思ったりなんかする。ひたすら生きて、生きて、生きて、時を重ねて、人間であることを捨てて、彼女の涼やかな声も白い肌もウェーブのかかった黒髪も紅茶色の目も、忘れてはいけないと大事に仕舞った箱の中身が朽ちてただの砂になるのを、僕は待ち続けているのかもしれない。
完全に失って、それから――、
 その果てに僕は何を見るだろう。
 飴色の空を埋める鱗雲ならば良い。そんな風に思う。
 



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