あと三機

 今までに二回ほど死んだことがある、と、彼女は言った。

 肺炎をこじらせて入院することになった。もともと喘息持ちだったことも手伝って夜中に酷い発作を起こして救急車で運ばれた。一晩経てば随分楽になったが、三日は入院していくようにと医者に言われてしまった。二日目に彼女が見舞いにきた。彼女は白いベッドに顔をうずめて、散々、
「死んだら嫌だよう」
 と泣きじゃくったあと、ぱっと顔を上げると平然とした表情で、泣いたらお腹がすいた。りんごを食べる、と言ってナイフと赤いりんごを取り出した。僕はあっけに取られながらも、たどたどしい手つきでりんごの皮をむく彼女の手元を見つめていた。
「入院するのって初めて?」
 彼女は難しい顔でナイフを動かしながら尋ねた。口を開くとナイフさばきが一層危なっかしくなる。僕は恐々としながら首を振った。
「小さいころは喘息の発作で結構頻繁に入院してたよ。特に冬場が酷かったんだ。空気が乾燥するからだろうね。インフルエンザと一緒になったときが一番つらかったな。死ぬんじゃないかって思った。今回も久しぶりに死ぬかもしれんと思ったけど」
 彼女が喋ると手元を狂うのではないかと思い、僕は饒舌になる。一気に喋ると少し胸が苦しかった。彼女は僕の言葉にうんうんと頷きながら、ようやく皮をむききって、八等分にし、種を除いた。僕の方に皿を差し出しながら、ナイフを置いて自分も一口かじる。
「きみは? 入院したことある?」
 僕は安堵して彼女に尋ねる。しゃくしゃくと小気味良い音を立てながら彼女は首を振った。
「ない。でも死んだことならあるよ」
 彼女は二つ目のりんごに手を伸ばす。やわらかいジョナゴールドの果肉をかじりながら、僕は顔を上げる。彼女の言葉があんまりに自然だから、危うく聞き流すところだった。
「なんて?」
 彼女は僕の顔を見て可笑しそうに笑うと、
「今までにわたし二回死んだんだよ」
 と、言った。
「最初は10歳のときだった。台風の翌日に川で溺れて死んだ。二回目は大学生のとき。雨の日に夜道を歩いてたら曲がってきたトラックにはねられて死んだ。死ぬときってね、ああもうだめだわってわかるの。身体が痛くて、異様に寒くて、なのに汗が止まらないの。視界がざーって砂嵐になって、何かいろんなこと一瞬で思い出すんだけど全然それに頭がついていかなくって、ぶつっときれてはいおしまい。あっけないものよ。でもね、生き返るの、わたしは。気付いたら、元の川岸にいたりするの。間違いなく死んだのにね。ずぶ濡れで突っ立ってた。車にはねられたときは気付いたら無傷で歩道に転がってた。そんな風に二回死んで二回生き帰ったの。凄いでしょ?」
 彼女はにやっとしてみせる。嘘を言っているのかもしれないし、本当のことのようにも聞こえた。僕はどう応えるか困って眉を下げ、
「自分は二回も死んでるのに、僕が死ぬのは嫌なんだね」
 と言った。え、と彼女は目を丸くする。
「だって、あなたには一機しかないんでしょ。一回死んだらおしまいじゃん。だから絶対死んじゃ駄目」
 最後の一切れを、当たり前のように彼女はかじる。気付けば八切れ中六切れを彼女が食べていた。僕へのお見舞いじゃなかったのか、それは。
「じゃあ君はどうなの。あと何機残ってるの」
 彼女はもぐもぐしていたりんごを飲みこんで、
「あと三機あるよ」
 と、朗らかに笑って見せた。


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