farewell to today
夏の終わりに台風がきて、雨と風が暑さの名残と夏休み最後の予定を綺麗に洗い流してしまった。
朝の通学路は、やけに澄んだ空気をしている。自転車を漕ぐと涼しい風が頬をなでた。空を見上げると随分高い。秋の空だと思った。
始業式を終えて、教室のいつもの席に戻る。朝は新学期の始まりでクラスの雰囲気も幾分ふわふわとしていたのに、いつの間にか見慣れた様子に戻っていた。これからまた、昨日も今日も明日も区別がつかない、よく似た毎日が続いていくのだと思うと少しかったるい。
わたしは廊下側の一番後ろの席から、窓際の一番前の席にいる女子生徒を眺めていた。頬杖をついて外を見ている。
ざわめく教室の空気に切り込みを入れるように、わたしのすぐ側のドアが開いた。日本史の先生だ。目が合った。
「ナトリさん、ノート出した?」
彼はわたしに尋ねる。わたしは首を振り、
「わたしはミサキです。ナトリさんはあっち」
窓際の彼女を指さした。彼女がこちらを振り返る。「あ、忘れてた」と呟く声が聞こえた。
クラスメイトのナトリユウコと、見間違えられることが多かった。ナトリも同様だ。わたしと人違いされて困ったように笑いながら、
「ミサキさんはあっち」
と、彼女がわたしを指さす。そんなことがしょっちゅうあった。
自分では、彼女とどこが似ているのかよくわからない。周りに聞けば、長い黒髪と顔の形が似ているのだと言われたけれど今ひとつピンとこなかった。
ナトリと話をすることは滅多にない。
わたしは何となく、彼女を避けている部分があった。嫌いだとか苦手だとかそんなんじゃなくて、何となく何の根拠もなく、一緒にいない方が良いと思っていたのだ。
帰り道、駐輪場でばったりナトリユウコに出くわした。彼女はテニス部に所属しているはずで、だから帰宅部のわたしと帰りが一緒になることなんて今まで一度もなかった。
「……帰り?」
彼女がわたしに聞く。わたしは頷いた。
「ナトリさん、部活は」
「今日は早く帰ってこいって言われてて」
「そう」
ぎこちない会話をしながら、自転車の鍵を差し込みロックを外す。ハンドルに手をかけ、どちらともなく顔を見合わせた。
自転車に乗って「じゃあまたね」と言ってしまえば良かったのかもしれない。けれど、タイミングを見失ってしまった。わたしたちは自転車を押して並んで歩き始める。吹く風が涼しかった。
「高校一年生の秋って、もっと浮ついてるのかと思ったけど、そうでもないね」
「どうかな。学祭の準備が始まったらまた違うかもしれない」
ナトリに応えながら、学祭のことを考えてみるけれど、実際わたしは全く浮ついた気持ちにならなかった。
「ミサキさん学祭楽しみ?」
「正直、そんなに楽しみじゃないなあ」
わたしの言葉にナトリは笑う。彼女の横顔を盗み見た。長い黒髪。尖った顎の形。今まで自分が彼女に似ているとは一度も思わなかったけれど、もしかしたら本当に似ているのかもしれないと、そんな思考が過ぎる。
「ずっと今日が続くみたいだよね」
わたしは言った。
ナトリが少し、首を傾げるのがわかった。
「同じことの繰り返しじゃない?」
同じサイクルでわたしたちは生きる。昨日も今日も明日もない。別に明日が今日でも、明後日が昨日でもそんなに変わらない。見上げた空が朝焼けだか夕焼けだかわからなくなっても、わたしがナトリでも、ナトリがわたしでも構わない。
そう思った瞬間、自分が彼女を避けていた理由がわかった気がした。
恐ろしかったのだ。もうひとり自分がいることが。
「そう?」
ナトリはわたしの顔を見て少し首を傾げた。
「たとえば夏休みがずっと終わらないのは嫌じゃない? 永遠に八月三十一日に取り残される、みたいなのは。授業はもう始まってるのに」
わたしは一度まばたきをする。自分によく似た女の子を見ていた。彼女はわたしの目を覗き込んで、それから口角を上げた。
「今日、あなたと話せて良かった」
え、とわたしは声を漏らす。
「わたしたち、全然似てない。わたしあなたのこと結構好きよ」
彼女はてらいもなくそんなことを言って、視線を前方に戻した。目の前に、曲がり角が近づいていることに気付く。彼女は曲がるのだ。わたしはまだ、通りをまっすぐ進む。
「同じじゃないよ、全然。今日も、明日も、明後日も」
ナトリはそう言って自転車に乗る。スニーカーを履いた彼女の右足が、ペダルを踏み込んだ。
「また明日ね」
彼女は左手を振る。距離が急に離れる。進んでいく。もうすぐ見えなくなる彼女の背中に、
「わたしもあなたのこと結構好きだよ」
わたしは声を投げる。彼女が一度振り返った。風が強く吹いて、彼女の長い髪を揺らす。彼女の笑った顔は確かに、わたしと全然似ていなかった。
「また、明日ね」
手を振り返して、わたしは笑う。
澄んだ空は、夕焼け色に染まっていた。
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