#34 わたしはHSPのふどうさんやさん 〜HSS型HSP 生きづらさを軽くするための格闘記〜

■「苦」っていったい何?
何となく過ごしてしまうと
余計なモノが入り込んできてしまい、それが苦しい一因になることも・・・

入りづらくすることも“自分を護る”手段だと思います。
人のせいにしても何ら解決しませんから・・・

「苦」とは、仏教としての言葉にもあります。聞いたことがあると思いますが、「四苦八苦(しくはっく)」というのは仏教由来の言葉なのです。
四苦のひとつ。人間が免れることのできない死の苦しみのことをいいます。

四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類としています。生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦とし、
生苦-生まれることに起因する苦しみ。
老苦-老いていくことに起因する苦しみ。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
病苦-様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる仏教問題。
死苦-死ぬことへの恐怖、その先の不安などの自覚。

根本的な四つの苦に加え、
愛別離苦(あいべつりく)―愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく)―怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく)―求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく)― 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦を合わせて八苦と呼びます。
これに限らず、意外と生活になじんでいる仏教由来の言葉って意外と結構多いのです。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)、五蘊苦(ごうんく)とは、仏教の説く四苦八苦のひとつです。釈迦は初転法輪にて五比丘に五蘊苦を説いています。
五つの要素(五蘊)、つまり色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)のそれぞれに執着することが苦しみと説いているのであり、この五つの要素そのものが苦だと説いているわけではないようです。自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで苦しみが次から次へと湧き上がってくることであり、五蘊とは以下の五つを指します。

色(しき)=すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であるために起こる苦しみ
受(しゅ)=物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
想(そう)=見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
行(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
識(しき)=外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「認識作用」の機能

HSPキャリアのわたし自身が実際に感じているのは、感受性が強いこのなかの「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の苦しさに敏感なのでは?

また、いろいろなところで紹介されている「マインドフルネス」も実は仏教の“禅”にあたるのです。なにがどう良いのかはいろいろな方が「マインドフルネス」について書いていると思いますのでそちらをご覧になった方がよいですね。

えっ!宗教なの?

「宗教」という言葉自体に抵抗感を示される方、結構多いと思います。
実はわたし、一時期お寺に通っていた時期もありました。
誘っていただいた方には本当に申し訳なかったのですが、わたしの中のHSPの気質により、途中からオーバーフローしてしまいました。その方にはこのわたしの気質について理解されないままで終わってしまっていますが・・・

自分自身が良いのでは?という一部分だけ試してみることで良いのではないでしょうか?

取り組むことについて、今までピンとこなかったものが入り口を替えることでピンときて覚醒することがあります。
“なんとなく”ではなく、なんでもいいと思うのですが取り組む前に自分自身の中でコレ!!っていう目的や目標、希望を明確にしておかないと、何かのタイミングで覚醒しそうなところが気づかずにスルーしてしまうこともあります。

他の人にどういわれようが構わない。ちっちゃいことでも。一歩踏み出したいと思っていることでも。堅苦しく考えないで・・・

ひとつずつ。

あれもこれもとなってしまうと、どうしても頭の中がいっぱいいっぱいになってしまうから・・・


「大変(かも)知れないけれど、苦にならないもの」
を探すことかな?

他人の感覚ではなくて自分の感覚で。

まずひとつでも、その感覚になれるものを見つけていく。

すぐにそれが出てくることはないかもしれません。

“探していく”というテーマを持っていること、意識していくことは、HSPの嫌なことも入り込んでしまう感受性が、少しでも緩和されていくオアシスになっていくのではないかと、わたしは信じています。

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