日記2024年8月⑥

8月19日
今日も嘘みたいに晴れている。子供を幼稚園に送る。またプールに入らないと言う、というか「そうだんって書いておいて」と言う。しかも幼稚園が近づくと咳き込んだりしながら「ぐあいわるいからはやくむかえにきて」などと言う。どうしたものやら。
妻の妊婦健診。コロナ禍以降私は産科クリニックに入れないので近くのミスドで待った。老人しかいない中、店内放送で80年代の音楽が特集されていて、ウィーアーザワールドが流れて太陽が眩しかった。逆子はなおっていなかった。鼻とほっぺがデカく写ったエコー画像を見せてもらった。逆子だと破水してしまったときに羊水の流出が多くてリスクがあるとか緊急カイザーになるとか、妻は心配している。
妻とお昼ご飯を食べた。子供がいないと話が弾む。小学校に上がって学校に行きたくないと言ったらどうしようと話した。妻は学校に行きたくないと思った経験がほとんどない人で、私はずっと行きたくなかったのだが無理矢理行かされていた人である。学校に行かなくても安心して何かを学んで生きていくことができると思える環境を作りたいと思う。結局今と同じでその日その日で行くの行かないのと聞いて毎日やっていくのだろうと思う。最終的には自分の力でなんとかするだろうと信じるのも大切である。
大学院のときの教官に論文作成を進めてほしいと言われているのだがまったくモチベーションがわかず不義理を続けている。なんとメールを返そうか今頭を抱えている。
来年度の人事について医局長と相談する機会を作ってもらうためにメールをした。こういうのは早めに動いたほうがいい。うつ病再発は嫌だなあと思う。
ファミレスでうつ病について執筆を進めた。どういう切り口で書くのかをもう一度考え直した。うつ病の生活から治療を捉える。そういうものになるといい。網羅的にならなくてもいいのだと何度も自分に言い聞かせて、その代わりに脱線や回り道をたくさん許す。そういうことをしたらいいかもしれない。隣のテーブルのおばさまがたが温暖化について話していて、「このままじゃ地球に住めなくなる」と言っていてSFだった。このファミレスは冷房の効きが悪いので今年の夏は少し敬遠気味である。
子供のお迎えをした。幼稚園の玄関で年少の子が遅い動きでいつまでも靴を履いて帰れる状態に至らないのでお母さんが怒っていたけれど、子供は全く聞いていなかった。どこの家も同じような感じである。子供と来週も別の神社で小さなお祭りがあることを確認したら「ちいせえ、たのしくねえ」と言うので、楽しいと思うよ、と伝えた。
夕方に妻のお迎えもして、長谷川あかりさんのレシピでイワシ缶とじゃがいものレモン蒸しを作った。これは美味しい。うちでは長谷川あかりさんの料理本を2冊買い、普段のレパートリーにするレシピを夫婦で共有している。このやりかたをすると互いに手伝えるのでとてもいい。今回のレシピはイワシ缶とじゃがいもとレモンとニンニクを白ワインで蒸すだけなのだが、レモンから甘味が出てイワシとあわさりとてもいい味になる。今日は子供の機嫌もよく、文句を言いながらも食べてくれた。なんとなくお迎えの時に私が子供と楽しくお話しできると夕方まで機嫌がいいような気がする。たぶんかなりバイアスがかかっている見方だと思うけれど。
家でさっとご飯を作った日はお風呂も楽に入れる。その後ちゃっちゃと洗い物をしてご飯を冷凍した。洗濯物は今日は妻が畳んでくれた。夜少しだけ執筆を進めて布団に入り、寝るまで詩について考えていた。

8月20日
曇り。歩きやすい天気。職場に着いて財布を忘れてきたことに気がついた。病院内のコンビニでSuicaを使えたので助かった。精神科のカンファに緩和の先生が来てくれるようになり、盛り上がったのはいいのだが、難しいケースについて私にも意見を求めるものだから緊張して疲れた。一生懸命答えたがあまりいい反応は得られなかった。
お迎えに行くと幼稚園の玄関にスズメバチが飛んでいた。先生に伝えたら電流の流れるハエ叩きを持ってきて「さよなら」と言いながらバチンと殺していた。
スーパーでだし(山形のやつ)の材料を買った。かつお節と醤油だけで、長谷川あかりさんのレシピで作る。
なんとなく不調である。
尾久守侑先生のイベント動画を見た。精神分析にオリエンテーションがあること、ふつう/パーソナリティ障害/病気という三層と適応障害、大学病院の教育、というあたりについてもっと聞きたいと思った。病態水準という発想は精神分析的知識がないと使いきれないところがあるけれど、パーソナリティ障害への心理療法的介入は認知行動療法の系譜で進歩して明確化されてきた歴史があり、やや遅れて精神分析からメンタライゼーションの概念化が登場してきたと捉えているのだが、そもそもこのあたりの俯瞰的な視野を臨床的に教える場所も人もいないと思われ、大学病院でこういうことを言うと嫌な顔をされたりする。尾久先生はどのようにやっているのだろうかと色々と想像する。
同期からご飯に誘われていいよと言ったけど直後からめんどいなあと思っている。

8月21日
やや曇りで歩きやすい天気。なんとなくの不調感を引きずっている。子供が寝坊した上に準備が遅くて家を出るのが遅れた。妻も疲れていて今日は早退することにしていた。
他科からのコンサルテーションが私宛に来ていたのだけれど雑な内容だったために上司が怒っていて、上司が代わりにやっておきましょうかと言ってくれたのでお願いした。罪悪感があるのだが少し調子が悪いのでそれでよかったのだとがんばって思うようにした。
午前の勤務後子供のお迎えまで少し外来に残って書き物をしようと思ったのだが、急遽外来ブースが足りなくなって追い出されてしまった。ドトールで続きをした。
時間になったので先に妻をピックアップしてから子供の迎えをした。同じクラスの子がきつまでも手を振っていてかわいかった。
小腹が空いたので残り物を食べたらお腹がいっぱいになって眠かったのだが中途半端にしか眠れず、そのうちに気持ち悪くなってきてよくなかった。なぜか調子が悪化した。
本を読むこともできなくて、家の中をウロウロしたあとヨーヨーマのピアソラを聴いて過ごした。

8月22日
ひどく心窩部が痛くなりのたうちまわっていた。胸骨の裏側から咽頭後壁まで放散痛がビリビリと走りかなり痛い。心筋梗塞の主訴で喉や奥歯の放散痛があるよというのは結構有名だけれど、たぶん胃食道逆流症である。こんなに痛くなったのは久しぶりだけれど、一番古い記憶では小学5年生か6年生の一番不登校をこじらせていた頃に同じくのたうち回るくらい痛くなったことがあった。とにかく調子が悪いときによく痛む場所である。
パヴァロッティを聴いて過ごした。超一流の声楽は楽器にはない特別な感動がある。子供の頃3大テノールとしてカレーラス、ドミンゴと並んでいたけれど、やっぱりパヴァロッティが一番好きである。
本屋lighthouseに行った。注文していた本を2ヶ月近く取りに行けずにいて申し訳なかった。だからというわけではないが、岡真理さんの『ガザに地下鉄が走る日』や柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』なども買った。
夕方はまた胃が痛くなってダウンした。妻が出汁カレー(長谷川あかりさん)を作ってくれて少し食べた。
以前勤務した病院に来年度戻りたいと思っていて今度医局長と話そうと思っていたところに、その病院の先生から久々に連絡が来てよかったら詳しい労働条件などを話さないかと言ってくれた。来週はその先生と会い、次の日は大学の同期と会い、その後医局長と会うことになり、今から吐きそうである。
詩の講座のための詩作がなかなか進まないし、なんだか重いテーマ性のある感じになってしまって持て余している感じもあるのだが、今まで先生からもらった指摘やアドバイスを思い出しながら少しずつ書いている。仕事でもなく、趣味というでもなく、なんだか大事だと思うから書いている、そういうなんだかよくわからない領域が生活にあってなぜかしっくりくる。

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