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「いまいる場所から離れて働きたい」と言う人対して研修講師のぼくが思うこと。

「研修がきっかけで、人生を考えなおして、会社を辞めることにしました。」
「一年後を描いてみたり、同期の話を聞いたら、やっぱりこのままやっていけるか不安になりました。」

キャリアに関する研修をしていると
受講者の数人から
こういったことをぼくに直接報告してきたり、
人づてで聞き付けることがあります。

それを聞くタイミングは
研修のすぐ後だったり
少し時間が経ってからだったり。

今日は、そんなことが
立て続けにありました。

ぼくが研修を行いたいと思うのは、
「会社の中での未来を描いてほしい」のではなく

「仕事も仕事以外も含めて、未来を描いてほしい」
会社という枠組みにとらわれることなく
思い切り自由に考えをひろげて

その上で
「この会社の中でどんな未来を描くのか?」を
考えてほしい。


そんな想いから行っています。

▼考え抜いたという証拠



「会社から離れて、別のところで活躍したい」
「いまの職場から離れて別の仕事をしたい」

彼らがその声を発するまでには、きっと、
考え、迷い、葛藤し、悩みぬき、
時には人に相談し
出した言葉なのだろうと思う。

それだけ
自分と向き合い
自問自答してきた証拠にも見える。

だから、
研修としては、もしかすると
成功と言えば成功なのかも知れない。

ただ、
「企業で研修を行っている」から
その会社の意向としては


研修に予算と時間を使ったのに
人材が外へ流れてしまうことは
喜ばしいことではないとも言えます。


ぼくはここに葛藤を覚えます。

だからといって、ぼくは
「どんな人生を歩みたいか?」を問わずに
「会社の中でどんなキャリアを描きたいか?」だけを問うのは
本当の意味での相手のためになっていないようにも思う。

▼本当の本当に向き合ったのだろうか?


「会社から離れて、別のところで活躍したい」
「いまの職場から離れて別の仕事をしたい」

この答えを出すまでに
「本当の本当に向き合った答えなのだろうか」と

それはもう、
「余計なお世話」でしかないのだけれど
どうしてもそれをぼくは思ってしまう 。

「置かれた場所で咲きなさい」

という言葉があるけれど
それを押し付けるつもりもない。

自分が活きる場所でないと判断したのなら
それはそれでいいのだけれど


けれど本当に、

「いまの環境を自分で変えていくことは、いくつか試したのか?」

「自分が活きる環境というものが、体感していて自分自身で分かっているのか?」

「どんな時に、自分らしく働けていると感じるか自分で理解しているのか?」

これらのことを考えたのかどうか、
行動におこしてみたのだろうか、
ぼくは気になってしまう。

これらのことを考えていないと
もしかすると新しい環境でも
「思ってたのと違う」ということは起きる。

そうなると、
また同じことを繰り返すのかもしれない。

でも、

それはもう、
余計なお世話なんですけどね。。。


▼彼らに問いを置いてこれたのだろうか?


2つの人生を同時に選ぶことはできない。


新しい環境で働くという決断が
正解かどうかもわからない

けれども
「自分がだした答えを信じる」と
彼ら自身がおもえたのなら

それでいいと思うし
それがいいと思う。


ぼくが、ぼくのやれることとして


彼らの中に
「彼らにとって必要な問い」を置くことなのだろうと


こんな出来事がある度に、、

このことを、
常に意識していきたいと、


ぼくは強く思う。



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