サラリーマン高給取りの家の子

批判を覚悟で記しておく。
ここ最近の疑問で、裕福なお宅のお子様が医療系の進学を目指すケースを多く目にする。
それで、これが「本人の目標」であれば何も気にならない。
この「本人」は、
・身内に医療関係者が多い
・身内で医療に大変世話になっている
などが本気の動機の芽だと思う。
今感じているのは、偏差値やスコアを上げ続けた先の出口としての医療系。
収入や社会的地位の高い職業としての価値。
教育に投資を続けた先の完成形。
もしかしたら安易な大人が金や知恵を搾った安泰の形。
食いっぱぐれない。
そんな印象を強く感じる。

でも、そんな事が何になる?
話を聞いていてとてもつまらない。

塾の先生(先生と言う呼称が合わないな?)
(ビジネスで学習指導要領を先回りや質的量的に効率的・多角的にこどもに詰め込ませる職業の人)
も、高く積み上がった学力のジェンガの先に示す人参が「医療」界 に感じる。

他方で、日本が世界と渡り歩くのに必要な科学技術は?
大学合格や新卒ブランドを使う為の打算での五教科の取捨では、個人の持つ強烈な興味や個性を伸ばすことはできないのだろう。
何になるか分からない要素に掛けるのは博打になるから。
でも、医療機器や新薬の研究や新薬の原料など科学や化学に由来するものも多いのではないのか??
純粋培養の教育(真の意とは異なる)の積算の先が、
社会的地位と収入の担保、尊敬されやすい、そんな意味での医療の選択は、ウンザリしてきた。

違った見方で言うと、医療不信の対となるのがスピリチュアルだと思う。
広義ではあるので一概には言えないけど、心のケアにはスピリチュアル系と括られた観念がある。
案外、18~25,6歳まで医療畑を直走っていた人がハマるのも多く散見する。

ここまでの想像を繋げて考察すると、
歪んだ愛情で、将来の地位と安定を担保するために安易に医療系の進学を後押しするための教育への投資と純粋培養で、多感な10代を囲い込み積み上げていった価値観で育った人は、心に隙間が生じやすく拠り所に自然・森羅万象や宇宙へ行くケースが多いのでは?と言う仮説。

情操教育とはかけ離れた
勉強の行き先。
想像性や拡張性を育まずに、目に見えるスコアの積み上げの先の職業の選択。
QOLの低い日本の稚拙な連想の先。
真新しいものの創造を捨てて、今ある最良を選ぶ。
この先に待ってる超高齢社会に歪みが出ないことを祈ろう。
(心が折れる可能性が高いから)
まずまず自分が人生を謳歌するのには、体が健康であることが第一だな。


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