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大切なモノがあるって必ずしも喜ぶべき状態じゃないかもしれない。「書く習慣」DAY17

無人島にもっていくものは何ですか?

大抵の人は自分の大切なものを答えるんじゃないだろうか。
便利グッズやトンチめいたものを答える人もいるかもしれない。

私だったら何だろう。
今日のお題「あなたの1番大切なモノ」に即して考えてみる。

大切なもの


大切なもの。
もっているもの、全部大切な気がする。
引っ越しなんかしたらほとんど持っていくと思う。

父からもらったマグカップ、子供の頃から大好きな本、20歳の誕生日に叔母からもらったアクセサリー、就職祝いにもらった時計…
どれもそれなりに思い入れがあるし、私からしたらちょっとお高いものもある。
でも、唯一無二かと言われるとそうでもない気がする。

無人島にもっていくかと言われたら、きっと邪魔になるからもっていかないだろうな。
逆にもし無人島に電気が通っているなら、全部タブレットで写真を撮るなり、ダウンロードするなりして満足しそうだ。

持っていてとても喜びを感じるし、見ていると嬉しくなる。でも私はこういうものは「使ってこそ」と思っている節がある。プレゼントしてくれた人も、使うことを第一に考えていると思う。就職祝いとかだし。
大切に使いたいとは思う。
ただ唯一無二ではないと思う。
きっとまだ私には、「一生もの」がないんだと気づいた。

大切になってしまったモノ

たまにテレビで、「大切なので使わずにとっておいています」という人を見かける。年代物で、複製不可能で、もう二度と手に入らなくて、買い替えなんかできないくらい高額なものが多い。
それらは単に「所有する喜び」以上に、「失うことの恐怖」がある気がする。

大切な人を思い出すよすが、資産として自分の心の支えになっているもの、使いたくても失う恐怖から使えないモノたち。
思い出を傷つけることも怖いし、高額なものは盗まれたりとか、資産価値が下がったりとか、そういうことが気になってしまいそう。
よく考えてみたら、そういうのって、そういう状態って…「私も欲しい!」とは正直思いえないなあ。

きっと所有している人たちも、大切で大切で、傷一つつけられないような守るものが欲しい!って最初から思っていたわけではないんじゃないかな。
意図せず、やむをえず、そういうモノになったんじゃないかな。

世の中にはコレクターと呼ばれる人たちがいて、そういう人たちは自ら欲しくて集めて唯一無二の大切なモノがあるのだと思う。

でもそうではない、一生に1つや2つ大切なものができた、という人たち。そういう人たちは、生きていく中で、時には傷跡みたいに、時にはたんこぶみたいに、ふいに大切なものになってしまっていったんじゃないだろうか。
その人の人生の一部、心の一角でいつも存在感を主張している、時にはちょっと負担にさえなりうるもの。

青二才の私にはまだそんな大切なモノはない。
そんな高額なものも、誰かの思い出として一生残しておきたいなんて思うモノもまだない。
気にすることがないから、喜ぶべきことなのかもしれない。

ただ、生きていくうちでそういうモノが、どこかでできるのかもしれない。
やむを得ず、「これだけは、大切にしなければ」と思うモノができるのかもしれない。
ちょっと厄介でも、四の五の言っていられない状況になるのかもしれない。

あんまりうまく想像できないけど、その時は「私にも守るべきものができたんだな」って受け入れられるといい。

おわりに


上手く想像できない話題だったので、なんだか抽象的な話になってしまった。
「大切なモノ」の度合いもいろいろあると思う。私がイメージしたのは、「人生で最も価値のある」レベルの話。

最近しっとりモノを考える話題が多いので、そろそろ明るい話を書きたい気もする。

おやすみなさい。


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