子犬から教わる、優しさと強さ。
今日は犬の日だという。
そんな今日、半年前に来た一匹の子犬の話をしたい。
よく晴れたゴールデンウィーク後半の土曜日、四人家族の我が家に子犬が来た。
茶色い小さな、生後2ヶ月過ぎのトイプードルの男の子。
きっと家族間の「連携」「連帯」の上に花を咲かせてくれる存在になるであろう、その先立つ感謝を込めて「蓮」という字を想定しながら「レン」と名付けた。
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事の発端は自分だった。
春先のある頃、近所のペットショップで実際に迎え入れた子と異なる、可愛いミニチュアシュナウザーの男の子の虜となった。約1ヶ月通い詰め、成長を見守る傍ら、家族を説得し、やっと次の日お店に行き飼おうかとなったその晩、ミニチュアシュナウザーのその子は他の家族に引き取られてしまった。
踏ん切りがつかなくなり、いくつかの近くのお店やブリーダーを周った中で、あるブリーダーにて出会ったレンと縁があり、我が家に迎え入れることになった。
よく友人の写真で見るような、犬と添い寝をしたり、優雅な散歩をしたり…楽しみが少なくなったコロナ禍、そんな新たな生活を夢見ながらレンを連れて帰路についた。
しかし、夢見ていた優雅な生活とは一変、犬との生活が定着するのは時間がかかった。
事前に確認していた、犬の飼い方を説いた本や記事にて、「初日は構いすぎず、ゲージ等に入れてゆっくりとさせましょう」と書いてあったため、その通りにしたところ、この世の終わりのように泣き叫び続けた。
その後も、お留守番の時にサークルから脱走してしまったり、お留守番がなかなかできなかったり、ご飯をあまり食べなかったり…こちらの勉強不足の一点だが、なかなか思うようにならずハードな期間が続いた。何度も自分のエゴで迎え入れてしまったことが正しかったのか、悶々とする日々が続いた。
暫くして、近所に非常に信頼のできるドッグトレーナーを見つけ、定期的に預けたりトレーニングをしてもらったりして、やっと半年経って、犬のいる生活にも馴染んできた。この上ないかわいさを日々享受し、彼との生活に非常に幸せを感じているところである。
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しかし、現在も当初想定していた生活とはまた一味違う生活を送っている。
信頼のおけるドッグトレーナーの指導のもと、(しっかりと散歩や遊びを入れた上で)クレートでの就寝の徹底や、クレートでのお留守番、毛布や洋服を与えすぎないこと等、どこか少し厳しい暮らしぶりを送っている。
本当は冬には人間と一緒に寝かせたいし、ふかふかの彼専用のベッドも用意したい。なるべく広いところで留守番もさせたいし、冬には暖かい洋服も着せてあげたい。
しかし、トレーナーの「それらができなくなった時に犬がかわいそう」だと言う言葉に共鳴して、ある程度ストレスのかかる中で乗り越えてもらう練習をしている。例えば避難しなければならなくなった時や、寒くてもタオル程度で寒さを凌がなければいけない時。人間の生活で、いつ何が起こるかわからないからこそ、今すぐに与えられる優しさではなく、後々を考えた優しさを与えている。その難しさ、持つべき強さ、そしてそれらが本当に優しいのであるということを感じている。
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犬を迎え入れたのは、究極のところ自分のエゴでしかない。広い庭を与えられるわけでもなく、都心近郊の喧騒の中で共に生きなければいけない苦労を押し付けてもしまっている。
しかし、そのような中でも、どうにか彼なりに、苦難をのりこえながら短い犬生を幸せに生きていって欲しいと、それをそばで見守らせて欲しいと今は心から思っている。
「個体と個体同士で生きていくこと」
この前のトレーニングでトレーナーさんが言った言葉だ。
どうしても人間も犬も、かわいさや温もりのあまり共依存状態に引き込まれそうになるが、お互いにふたりでひとりなのではなく、ふたりがふたりであるように生きることのできる強さがやはり必要なのだと思う。そして、その上でひとりのときもふたりでいるような心強さや安心感を抱けること、そのような関係性が理想なのではないか。これは犬と人間の関係性だけではなく、人間同士にも十分に言えることなのではないかとも思うのだった。
犬も、人間も、健やかに共に生き続けるための強さを今共に身につけている。
ふたりがふたりであるように。そして、ひとりがふたりであるように。そんな優しく強く心地よい距離感を教えてくれたのは、子犬だった。
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