無駄を愛する

スティーブ・ジョブズをご存知だろうか。
彼は、毎日同じ服を着る(あの有名な黒ハイニットとデニムのスタイル)。
その理由が

“服を選ぶのに時間と労力をかけると、仕事へ割ける集中力とエネルギーに支障が出るから”

である。
人は、毎日とんでもない数の選択をしていて、それに脳のスペックをかなり使っているらしい。
そうなると、いざというときに集中して判断を下せなくなるから、なるべく無駄な迷いと選択は排除しよう、ということだ。

ビジネスマンでも、これを真似している人はわりかしいる気がする。ミニマリストじゃないが、必要最低限の物だけを、決まった順序でローテーションすることで、日常生活を、いわば「自動運転」化するのである。
習慣になれば、考えなくても勝手に身体は動いてくれるようになるので、仕事のことだけに集中できる。非常に合理的な考え方である。

ただ、僕はあまり好きではない。
だって、僕は服が好きだからだ。
これは価値観の相違であって、否定や批判をしているのではない。そういう人間もいる、ということを言いたいだけ。

もしかすると、ほかの部分で何かを「自動運転」化しているのかもしれないし、それはなんだろう?と考えてみるのも面白いが、ここでは割愛する。

そして、ここからが本題。
いわく、僕はきっと、無駄が好きなのだ。
いや、愛していると言ってもいい。

日常に不必要なもの、あってもなくてもいいもの。
今ではいくらでも効率的に、かつ合理的にできる世の中で、あえて非効率に、手間をかけたい。無駄なことに時間を割きたい。そんな気持ちがある。

他にも挙げたい。
漫画、小説、映画、音楽、洋服。
食洗機があるのにわざわざお皿を一枚ずつ丁寧に洗いたいし、お気に入りの洗剤で洋服のシワを一枚ずつ伸ばしたい。
掃除機をかけた後は好きな香りのアロマオイルを混ぜた水で床を拭いたり、好きな香りで部屋を満たしたい。浅煎りのコーヒーで食べる和菓子なんて最高過ぎる。

これらは、必ずしも生活に必要ないものたちだ。省こうと思えばいくらでも省ける。

しかし、これらの無駄なものたちは、心を豊かにしてくれる。想像の世界へと連れて行ってくれるし、誰かの人生を追体験することもできる。共感して涙を流しもすれば、出掛けるのが楽しみになったり、自分が表現者側に回って楽しむこともできる。
ただそこにいるだけの時間が、リフレッシュにもなるし、癒されたり、スッキリしたりもする。

人によっては、これらは全く必要のないものだろう。だって、仕事には関係ないからだ。

でも、僕は無駄を愛している。
働くとはなんだろうか?仕事って?
僕は、生き方を体現することだと思う。
僕にとって、生きることは、生活と切り離して考えられない。

先ほども述べたように、僕は誰かの生き方を否定も批判もしたくない。
その人が、自分の生き方と繋がった上でそうしているのであれば、それがその人にとって生きることだし、それがその人の仕事で、大事な価値観を反映していることになるわけだから、むしろとても素晴らしいと思うし、素直にすごいと思う。

反対に、ただ生活をするだけでいい、毎日起きて、好きなことして、疲れて寝る。それが自分にとって生きることで、どうやってそれを実現しようか?と考えて生きていくことも素晴らしい。

いわゆる、仕事や働く、労働することと、
日常や生活、生きること。
これらは決して切り離せない。
ここを分けると自分がしんどくなる。
気がする。

なんだか、言いたいことがズレてきた気もするが、そういうツッコミはされたくないので、赴くままに書いているっていうことでご容赦ください。

無駄って、いいよね。

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