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#46 世界遺産訪問記(マカオの歴史地区)(2023/11/7)(1)

記事投稿の頻度がかなり下がってしまっており、2023年の訪問記が全然すすんでいません、申し訳ないです

というわけで、2023年11月にマカオ訪問したときの記録になります
先日掲載の百舌鳥・古市古墳群は翌日に関西空港から香港に飛ぶ前日の記録になり、今回のマカオは出張の予定をやりくりして半日時間をつくっての訪問になっております

かなり無茶なスケジュールなのですが、1日でマカオの構成資産を全件踏破してやろうと歩き回った記録です


1.媽閣廟、バラ広場

15世紀創建の霊廟で、マカオの名称の由来となったとも伝わっています
儒教・道教・仏教や複数の民間信仰の影響を受けた中国文化の典型的な例とされています
訪問した際にも霊廟ということでお参りをしようと思ったのですが、そもそもどの宗教のお堂かもよく分からず、お参りの作法も分からなかったので、とりあえず合掌だけしてきました

媽閣廟の前の広場も構成資産の一つとなっています
港を望む場所でポルトガル式の石畳が敷かれています
この模様は近くを流れる川のさざ波を思わせる形状で、水の動きと海添いの街であることを象徴しているとされています

2.港務局

マカオの警察部隊を補強するためにインド・ゴアから派遣された連隊の宿泊施設として建築された建物です
現在は海事水務局として使用されています
ムガール帝国の建築要素を反映した新古典洋式の建築となっています

3.鄭家屋敷

1869年以前に建てられたと考えられている屋敷で、中国の文豪、鄭観應の伝統的な中国式住居であったものです
複数の建物と中庭で構成されており、中国と西洋の洋式が混在しています
中にはWorld Heritage Youth Education Baseという一角が設けられており修復の様子などが展示されています

4.リラウ広場

鄭家屋敷の近くにある広場で、マカオの中でポルトガル人が最初に住み始めた地域の一つです
その昔、リラウの地下水がマカオの天然水の供給源で、ポルトガルの言い伝えに「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない」というものがあるそうです
残念ながらこの井戸は現在塞がれてているそうですが

5.聖ローレンソ教会

16世紀中頃にイエズス会によって建てられた、マカオで最も古い教会の一つです(現在の外観は1846年に再建されたもの)
元は浜辺に面しておりポルトガル人の船乗りの家族がこの教会の階段で航海の無事を祈ったことから「風順堂」の別名もあります

6.聖ヨゼフ神学院と聖堂

神学院は1728年にイエズス会によって創設され、中国、日本および近隣における宣教活動の主要拠点でした
神学院隣の聖堂は1758年に建築されたもので、ユネスコ年発行の「Atlas mundial de la arquitectura barroca」で中国のバロック建築の代表作として紹介されています

聖堂の中には、フランシスコ・ザビエルの前腕骨が収められています

7.ドン・ペドロ5世聖堂

1860年に建築された中国で初めての西洋式劇場で、その名称はポルトガル国王ドン・ペドロ5世(在位1853-1861)に由来します
建物は新古典主義洋式で、前面にロビーがあり、観客席は円形になっています
当時のマカオ在住のポルトガル人の重要な社交場でした

8.聖オーガスティン広場

聖オーガスティン教会、ドン・ペドロ5世劇場、聖ヨセフ神学院、ロバート・ホー・トン図書館などの構成資産に囲まれた広場です
広場周辺は石畳が敷き詰められており、ポルトガルの伝統的な街並みを映し出しています

続きます

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