藤圭子の「海」について

 藤圭子がこの世を去って早11年目を迎えようとしている。藤圭子の「海」と言えば、火葬後海に散骨されたことは良く知られている。散骨した娘は、2013年9月18日、圭子さんの実兄の藤三郎(本名阿部博)氏に届いた…手紙には、「母の意志に沿い通夜葬儀納骨は行わず なお且つ母の強い指示で遺骨は散骨させて頂きました」とあったと言う。

 さて、藤圭子にとって「海」は何を意味していたのだろうか。また、どこの「海」をイメージしていたのか、いつしか私は思索の中にいた。

 参考になるのは、1994年4月の「酒に酔うほど」と1997年10月に「男と女」で、Ra Uが作詞・作曲をしたものだ。「Ra U」とは藤圭子の別名である。

 「酒に酔うほど」には
 「 海をながめて 一日を過ごす 横にはお前がいると」と書かれている。

 また、「男と女」には
  「人の心の 裏側に 深くて青い 海がある もしも死んだら 海に帰して 海に帰って また結ばれる」と書 かれている。

 そう言えば、藤圭子は若いときにこんなことを言っていたのが思い出される。「私は旭川で育ったけれど、不思議と旭川の街の記憶はうすい。むしろ、原生花園が私の北海道での思い出として今でもハッキリと記憶している。」、「釧網本線の北浜と斜里の間に広がるこの原生花園は、青緑色のオホーツク海に面し、春の訪れとともにハマナスやエゾキスゲなど、さまざまな原生の花が咲きほこるんです。紅紫、黄と色も色とりどりで、見渡すかぎりの花園は北海道ならではの風景です。」、「なかでも「新宿の女」でデビューする直前に、母と二人っきりで訪ねたことを覚えています。そのときは、凍てつくような寒い日で、知床の山々もすっぽりと雪に覆われていました。北海道の話になると、いつも原生花園のことになるんです。」と述べている。(「原生花園の思い出」より)

 藤圭子が生まれてまもなく母親の実家のある北海道名寄市(なよろし)へ渡道し、2,3歳の頃、旭川市に引っ越して15歳初めまでそこで生活したと言っているので、恐らく名寄市にいたときのことで、藤圭子の言う「海」は、「釧網本線の北浜と斜里の間に広がる青緑色のオホーツク海」なのであろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?