愛娘から「彼女」と呼ばれた藤圭子の悲しみについて


 キュービック・ユーを立ち上げたころの藤圭子は、それまでの「演歌歌手」ではなく、「ロックもポップスも歌える歌手」としての藤圭子として新しく再起したいと考えていたものと思われます。ですがその前途に大きな障害が立ち塞がります。それがヒカルの大ブレークです。

 ヒカル人気があまりにも過熱しすぎたため、ヒカルのライバル勢力(音楽事務所やレコード会社など)は、なんとしてもスキャンダルなどで、ヒカル人気に水を指したいと考えていたはずです。
 また藤圭子など演歌歌手の興行で影響力のあった暴力団が、藤圭子の再起にかこつけて莫大な金額を稼ぐ宇多田ヒカルの利権に食い込みたいと考えていたとしても不思議ではありません。このような周囲の状況で、藤圭子が再び歌を歌うことになれば、昔から付き合いのあった暴力団から声がかかり、断りきれずに暴力団の収入源に利用される結果となれば、それこそ大スキャンダルです。

 もちろん、それは宇多田ヒカルにとっても大スキャンダルになるもので、そうしたことから藤圭子は新しく再起する夢を捨てて、宇多田ヒカルを守る道を選んだと思われます。

 藤圭子の言葉によれば、藤圭子を自ら歌手を「封印」したと言っています。そのことで藤圭子は「歌手」という数少ない自らの重要なアイデンティティを失うことになりました。歌手でなくなった藤圭子には、外に確かなアイデンティティは残されていませんでした。ヒカルの母と言っても、ヒカルの音楽活動に参加もできず、遠くから見ているほかはありませんでした。

 藤圭子の自死についての娘である宇多田ヒカルのコメントにこだわりますが、自分の母親を「彼女」と書き、「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」と書いています。(2013年8月26日の宇多田ヒカルのコメントより)
 
 多分藤圭子は確実に精神を病んでいただろうと思います。しかし、なぜ家族である宇多田照實氏やヒカルさんはそれがわかっていながら放置したのか、全力で治療を受けさせなかったのでしょうか。
 沢木耕太郎著の「流星ひとつ」に書かれた28歳の藤圭子はいくぶん変わり者ではあるがすさまじく潔癖で、強い精神の持主であることがよくわかります。
 だからこそ歌を奪われ家族と孤立した環境に精神に異常をきたしたのだろうと推測しています。それなのになぜヒカルさんは、「純真だからこそ病んでしまった」一人の家族、それも母親を三人称で呼び、他人事にしてしまったのか、責めるつもりはありませんが、ひどく悔いが残るの結果だったと考えます。

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