精神の病では説明のつかない藤圭子の自死について

 宇多田ヒカルは、「彼女(藤圭子)はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」と「精神の病」を明らかにしています。そして病状については、「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」と書かれています。


 また元夫宇多田照實氏は、「出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました」と。

 以上の文章は、2013年8月26日づけの「宇多田ヒカル・オフィシャル・サイト」に掲載されたコメントの一部です。ヒカルは、精神の病の状況を「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」と述べ、照實氏は「出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました」と記しています。

 しかし、 「家族も含め人間に対する不信感は増す一方」と言うことと、「現実と妄想の区別が曖昧」になっていることの間にどのような関係があるのでしょう。また照實氏の「感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました」という記述は、精神の病とどのような関係があるのでしょうか。

 これらの文章から読み取れるのは藤圭子の「 家族も含め人間に対する不信感」の感情が宇多田光が5歳くらいの時から増大し、藤圭子の母親、故竹山澄子氏やヒカルや照實氏への不信感から、特に光(ヒカル)と僕(照實氏)もいつの間にか彼女(藤圭子)にとって攻撃の対象となって、現実と妄想の区別が曖昧となった日々が長い間続いたと述べているのです。

 家族として何かできたのではという疑問については、照實氏は「(藤圭子が)とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕(照實氏)に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人(藤圭子)が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女(藤圭子)の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます」と述べています。

 少なくともヒカルさんが16歳になるまでは家族3人(離婚時を除く)で暮らしているのですから、ヒカルさんが5歳から16歳 までの間、重症化の程度は違うものの、ただの感情の起伏だけでなく精神の病によるものと考えていたことになります。ただの感情の起伏だけなら、30歳すぎて藤圭子がヒカルを生んでいるのですから、更年期障害なども考えられるのに精神の病と理解していることは何か根拠があってのことと思われます。ただ、この点についての説明は、ヒカルさんも照實氏も語ってはいません。

 しかし照實氏は 、2016年11月6日u3music@u3music(宇多田照實氏のツイッター)で「@pinoco1977失礼だったらごめんなさい。お母さんが心の病気でヒカルちゃんに遺伝しないかなとか、心配はありませんでしたか?私は自分がそうで、息子に遺伝しないか不安です posted at 06:04:30」との問いに、明確に「僕の場合は元妻が統合失調症になった原因が解っているから心配してません。teruzane RT」と答えています。つまり、圭子さんの「精神の病」は「統合失調症」で原因も分かっているとしています。

 統合失調症とは、思考、知覚、感情、言語、自己の感覚、および行動における他者との歪みによって特徴付けられる症状を持つ精神障害の一つで、一般に幻聴や幻覚、異常行動が見られる症状を伴い、日本では2002年(平成14年)まで、精神分裂病(せいしんぶんれつびょう)と呼称されていた病気です。

 例えば事例を挙げると、「勤務2年目の公務員で、人事異動で4月に人がかわり、職場が落ち着きを取り戻した6月頃から勤務態度に落ち着きがなくなり、OA機器と自分の席を行きつ戻りつしたり、引き出しを激しく開け閉めして大きな音を立てるようなことが目立つようになってきました。仕事の面でも、単純な確認行為を怠り間違った支出行為を行ったり、計算ミスも増えてきました。課長が本人に確認したところ、「この職場は、とても私語が多く、嫌がらせをする、自分は誰かに監視されているようだ、自分が考えた内容が職場に漏れている、職場は仕事をするところで、冗談や私生活のことを話すのは不謹慎だ」と主張して譲らず、意味不明なことを言ったり、目が離せなくなりました」など特徴的な症状がみられます。もうひとつ具体例を見ていきます。お笑いコンビ「松本ハウス」のハウス加賀谷のケースです。「発症したのは、中学2年生の1学期の終わりごろ。僕は教室の一番前で授業を受けていたのです。すぐ後ろの女子生徒を先生が注意したんですよ。『なんでそんな不貞腐れた態度をとっているんだ』って言ったんですね。僕は何だろうと思って、くるっと振り返りましたら、彼女が下敷きであおいでいるんですよ。それを見て僕が認識したのは、前にいる僕がすごく臭いから下敷きで匂いを飛ばしているんだって、ビビッと思ってしまったのですよ。そうしたら、同じ授業中に後ろのほうから友達の声で『臭い、誰かが臭い』という声がどんどん聞こえてきて。僕もどんどん申し訳ないという気持ちになっちゃって…。」(加賀谷さん)この日から様々な幻聴や幻覚に苦しむようになっていった加賀谷さんですが、現在は毎日、服薬することで寛解状態です。

 果して藤圭子にこのような症状が本当にあったのでしょうか。甚だ疑問です。

 藤圭子は、2006年のインタビューの他でも、旧知の芸能記者に「久しぶりに日本に帰ってきたけど、話す人がいない。寂しい」と孤独感を吐露していたと報じられているし、その記者には「感情を抑えることができない。パニック障害と診断された」と、病名も明かしていたと言います。そこでパニック障害について、あゆみクリニックのHPより引用してみたい。(https://www.ayumiclinic.com)

「 更年期によくみられる症例のなかで、誰でも一度は耳にしたことがある比較的なじみの深い疾患に「パニック障害」がある。発症の「原因」を見極めるのは非常に難しいため、誤った診断を下されることも多い、更年期の代表的な疾患の1つである。
<症例6>ママ仕事でミスをして上司に叱られた。帰りの電車の中で、突然、胸が苦しくなり、心臓がバクバクして呼吸困難に陥ったため、途中下車した。急いで病院へ駆け込んだが、血液検査や心電図検査で異常はみられず、そのまま帰された。しかし、その後も電車に乗ると、いいようもない不安感に襲われ、激しい動悸と息苦しさに、このまま死んでしまうのではないかと思うこともある。先日はエレベーターに乗ったとたんに同様の症状に襲われた。最近は、いつ発作がおきるかと思うと、ひとりで外出するのが怖い。
「パニック発作」と呼ばれる、強い不安感や恐怖感を伴う、突然の激しい動悸や息苦しさに繰り返し襲われる病気を「パニック障害」という。多くの人は急性の心臓発作などを疑って、慌てて病院へ駆け込むが、病院に着く頃には症状はおさまっていて、検査をしても原因となる身体疾患がみつからないのが特徴である。「パニック障害」は、脳内ホルモンであるノルアドレナリンとセロトニンのバランスが崩れるためにおきると考えられているが、詳しいことはわかっていない。日常生活のストレスや過労、睡眠不足などが発作の誘因となることが知られている。「予期不安」(また発作がおこるのではないかという不安)から、次第にひとりで外出したり、電車やエレベーターなどの閉鎖空間に身を置くことが困難になり、人が集まる場所を避けるようになる。これを「広場恐怖(外出恐怖)」という。「パニック発作」「予期不安」「広場恐怖」をパニック障害の3大症状という。これらの症状が悪化すると、やがて人前に出られなくなり、家に閉じこもりがちになって正常な社会生活が送れなくなる。「うつ病」を併発することも多いので注意が必要である。パニック障害の診断は、繰り返すパニック発作と予期不安があるのに、原因となる身体疾患がないことが決め手となる。よって、まず身体疾患を除外するために血液検査、心電図検査などの内科的な諸検査を行ない、心臓血管系の疾患や呼吸器疾患、内分泌疾患などの可能性を除外する必要がある。パニック発作と似た症状をおこす病気としては、過換気症候群、甲状腺機能亢進症、てんかんなどがあるので、これらの病気との鑑別は必須である。パニック障害と診断されたら、受診すべきは心療内科である。  パニック障害の治療法には、薬物療法と認知行動療法がある。薬物療法は、抗不安薬や抗うつ薬を使ってパニック発作がおこらなくなるまで治療を行なう。認知行動療法とは、誤った行動習慣を修正して、正しい行動習慣を身につけさせる治療法である。薬物療法の効果が現われて不安感が軽快した段階で、少しずつ外出したり、乗り物に乗ったりして日常生活に慣らしていき、少々の動悸を、「発作の前触れではないか」などとネガティブに解釈(認知)する思考法を直していく。この段階では、外出に付き添うなど、家族のサポートが治癒に向けた大きな力となる。「パニック障害」は更年期に発症することが非常に多い病気である。くれぐれも「引きこもり」だの「なまけ病」などと誤解しないでいただきたい。治療には長い年月がかかるため、家族がこの病気のことを理解して、しっかりと支えてあげることが大切だ。 (https://www.ayumiclinic.com/column/0107-4.htmlから引用)」。引用終わり。

 このように「パニック障害」は更年期に発症することが非常に多い病気なのである。パニック障害・不安障害の原因は、まだ十分には解明されていません。一説には、大脳辺縁系にある扁桃体を中心とした「恐怖神経回路」の過活動が原因ではないかとあげられています。大脳辺縁系は本能、情動、記憶などに関係するといわれており、扁桃体は喜・怒り、不安、恐怖、などの感情や情動のコントロールや制御としての働きをしているのです。ひとたび感覚刺激によって扁桃体で恐怖が引き起こされると、その興奮が周辺の神経部位へ伝えられ、パニック発作の身体的な諸症状を引き起こしてくると考えられています。この神経回路は主としてセロトニン神経によって制御されていると考えられ、セロトニンの働きを強める抗うつ薬やSSRIがパニック障害の治療に有効であるとされています。

 藤圭子は、旧知の芸能記者に「感情を抑えることができない。パニック障害と診断された」と、病名も明かしているのに、何故照實氏は、藤圭子が「総合失調症」であると言えたのであろうか。そして、マスコミも「総合失調症」を宇多田ヒカルが言う「精神の病」と了解してるのか不思議である。
 おそらく宇多田ヒカルも「総合失調症」を念頭に置いて「現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」と述べたのではないか。

 確かに宇多田光(ヒカル)が5歳くらいのとき起きた藤圭子の精神錯乱事件を根拠にしているのなら、「現実と妄想の区別が曖昧になり」と言うのも頷ける。1988年に藤圭子は、母親がギャラを着服していたこと、母の目が実際には見えていたことを知り、歌手になったことも含めて長年母のために尽くしてきたことが裏切られたことを知って、精神的にひどい危機状態に陥っています。一時は精神科病棟に強制入院されていたこともありました。実母竹山澄子さんの妹で藤圭子にとっては叔母にあたる竹山幸子さんが、その当時の藤圭子の様子を話しています。それによれば、藤圭子は澄子さんを「鬼」とののしり、澄子さんが自分を毒殺しようとしているという妄想まで生じていたといいます。(2013年9月12日発行の週刊文春)しかしまた、叔母にあたる竹山幸子さんは、「照實さんは純ちゃんに、「母親がおまえを毒殺しようとしている」「あいつは鬼だ」とか吹き込んで、精神的 にマインドコントロールしていったんです 」と述べていますから、確かに圭子さんが「鬼」とか「毒殺される」と言っていますが、それは照實氏に信じ込まされて「妄想」と言ったと言う方が真実に近いようです。

  よく考えると、「宇多田光が5歳くらい」のときは、ヒカルが生まれたのは1983年1月であるから1988年ごろにあたる。その頃は藤圭子の実母の間での金銭トラブルを抱えながらも、愛娘のヒカルを預けて「どさ回りしていたのではないだろうか」と石坂氏は推測する時期だ。また、ヒカルが手紙に「ママ、どうしてお仕事に行くの、ヒカル淋しいの」と書いたあの頃です。藤圭子と親交のあるカルーセル麻紀が、「彼女は表に発散するタイプではなかった。悩みがあると内にこもるところがあった。最近ではよく吐いて顔がむくんでいた。」と話していたあの頃なのです。

 本当に、藤圭子は統合失調症たったのでしょうか。YouTubeで見る当時の藤圭子は統合失調症を患いながら歌唱していたのでしょうか。筆者は信じられないのです。

 次に照實氏は「とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました」と述べていますが、電話などではなく、家族として実際に対面しこのアドバイスをしたのだろうか、そしていつそうしたのだろうかと言う疑問がでてきます。
 何故かと言うと藤圭子が「ギャンブルの旅」に出るのは、少なくとも宇多田ヒカルが紀里谷和明氏と結婚した2002年9月以降で、紀里谷氏から藤圭子に「役員を外れてほしい」と申し入れをされ、その後手切れ金として多額のお金を受け取り、ひとり放浪を始めた藤圭子52歳の時以降のことで、2006年3月ニューヨークのJFK国際空港で起きた米司法省麻薬取締局による「現金計約4900万円相当の差押え事件」に関連し、10月のテレビインタービュー後、某ホテルで家族が揃う以外、照實氏もヒカル氏もほとんど藤圭子と家族として実際に対面し話し合われた痕跡が全くないからです。56歳の藤圭子と直接対面して話しているのでしょうか。そして6年後の2013年8月22日に藤圭子は自殺しているのです。

 何故藤圭子は家族の元に帰らず愛娘の宇多田ヒカルにも会いに行かなかったのでしょうか。藤圭子は2006年3月ニューヨークのJFK国際空港で起きた米司法省麻薬取締局による「現金計約4900万円相当の差押え事件」に関連した10月のテレビインタービューで次のように「ギャンブルの旅」の理由を述べています。「今回の件はすべて家族のせいだ」。「旦那も冷たいし、家族とも疎遠になって、ほとんど一緒にいない。寂しいし、ほかにもいろいろあって人間不信になっている。だから現金を持って、好きなギャンブルをして歩いている」と。だから本当は「家族と一緒にいたい」のだが理由があって「ギャンブルの旅」をしているととれるのだ。しかし、宇多田ヒカルによると、「(藤圭子に)話しかけたくても、母親のほうから頑なに没交渉だった」と言っていますが、なぜ藤圭子がこのような態度をとったのかについても何か理由がありそうです。

 藤圭子は、2007年に自殺した新宿のマンションに同居人とともに暮らしはじめます。芸能関係者の話しによると、照實氏は「照實さんもヒカルさんも藤さんを心配していたんですが、彼女の中でふくらんだ被害妄想はとんでもなく大きくなっていて、とても一緒にはいられなかった。それで照實さんは、もともと藤さんのマネージャーをしていた男性にお願いし、6年前から彼女の行動を見ていてもらうようにしたんです。自殺したり、間違いを起こしたりしないための監視役みたいなものでした。藤さんもいい気持ちはしなかったでしょうが、話し相手がいないよりはましと思ったのかもしれません」と話しています。(女性セブン2013年9月12日号から)

 こう考えてくると、藤圭子は本当は「家族と一緒にいたい」と考えていたが、照實氏とヒカルは「彼女(藤圭子)の中でふくらんだ被害妄想はとんでもなく大きくなっていて、とても一緒にはいられなかった」から「マネージャーをしていた男性にお願いし、6年前から彼女の行動を見ていてもらうようにした」と読めます。だとすると、ヒカルさんの言う「現実と妄想の区別が曖昧に」というのは、具体的には「被害妄想」だと考えられるのです。その中身ですが、文脈的には照實氏とヒカルが藤圭子を家族から「追い出した」ということのように思える。事実照實氏はヒカルさんから藤圭子を遠ざけたのは事実であるのに、何故「被害妄想」と考えたのであろうか。そしてそれを「精神の病」、「統合失調症」に合理化するに至った照實氏はヒカルさんの本意はどこにあったのであろうか。

 それを解く鍵はヒカルさんの次の言葉にあるように思えてしょうがない。「一連の記事で母の本名が誤って報道されていました。阿部純子ではなく、宇多田純子です。父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした。夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした。亡くなる直前まで、母は娘である私だけでなく、父とも連絡を取り合っていました。父は、母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人です」(平成25年9月5日 宇多田ヒカル Hikaru Utada Official Website | MESSAGE from Hikki より)。

 2007年に照實氏は藤圭子との離婚を報告しています。しかし、籍は照實氏の籍に置いたままでしたので本名は宇多田純子だったと言うのです。しかし、この言葉は法的に矛盾しています。だから、世間体には「離婚」したように見せていたという意味ではなかったか。だからこそ「亡くなる直前まで、母は娘である私だけでなく、父とも連絡を取り合っていました。父は、母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人」だったのではないか。それならば藤圭子も、ヒカルに迷惑をかけないよう離婚したことにしようと了解したはずである。それなのに「自殺」したのだから「精神の病」にするほか理解できなかったのではあるまいか。

 藤圭子の恩師石坂まさをは、「あいつは才能に溺れて、他人への恩義など忘れてしまったんじゃないのか!」(あるベテラン芸能ジャーナリストが聞いた作詞家の故・石坂まさを氏の晩年の言葉)と言う記事が報道されている。(藤圭子「恩師も呆れた晩年」2013年8月29日Asagei+)そして、「あいつ」呼ばわりされているのは藤圭子で、「結局、石坂氏は寂しかったんだと思います。もとより病弱で、糖尿病で左目を失明し、最後はガンを患っていた。なのに、藤は見舞いに訪れないだけでなく、音信不通になっていた。長い闘病の末、今年3月に亡くなったのですが、晩年の石坂氏は恨み言とはいえ藤のことばかり話していた。これも愛情の裏返しでしょうね」と記事は伝えている。

 藤圭子にとっても「自殺」してしまえば照實氏やヒカルに大変な迷惑をかけることになり、特にヒカルへのダメージははかりしれないことから、「私は誰にも知られずに、消えてゆくように死んで行きたい‥‥」の本意は自然死だったに違いないと考えています。
 では何故自殺したのかと言う問いには、止むに止まれぬ事情が生じたという事しか考えられません。それは、恩師「石坂まさを氏の死」です。このことについて少し述べたいと思います。 藤圭子の恩師石坂まさをは、「あいつは才能に溺れて、他人への恩義など忘れてしまったんじゃないのか!」(あるベテラン芸能ジャーナリストが聞いた作詞家の故・石坂まさを氏の晩年の言葉)と言う記事が報道されている。(藤圭子「恩師も呆れた晩年」2013年8月29日Asagei+)そして、「あいつ」呼ばわりされているのは藤圭子で、結局、石坂氏は寂しかったんだと思います。
 藤圭子もまた恩師石坂まさを忘れたことはなかったのではと考えています。恩師石坂まさをへの恩義は忘れようもなくすぐにも会いに行きたかったに違いありません。ただ身を隠し生きている藤圭子には、照實氏やヒカルへの配慮から恩師の葬儀にも出席できません。葬儀に来ない藤圭子に、恩師石坂まさを氏の友人たちは、2013年8月23日開催の「石坂まさをのお別れの会」への出席を求めます。そして「自然死」を脳裡に描き、藤圭子は「出席をいたします」と答えます。しかしながら、「自然死」は訪れず、やむなく自死を決意したと考えています。 そして、心から愛した照實氏、心から天才と信じたひとり娘の成功を胸に秘め、「お別れの会」の前日22日の朝、新宿の空に散るのです。正に「藤圭子」の名付け親に我が身を捧げるため、「藤圭子」の幕を自ら引いたものと考えています。何故なら、藤圭子復帰時に音楽プロデユーサーを務めた酒井政利は、藤圭子と共通の知人を介して、「藤圭子が8月23日に行われる石坂まさをを偲ぶ会に出席する」と聞いていたと話していたと言う証言があるからです。(2015年8月9日Asagei+)これこそが、藤圭子の恩師石坂まさを氏への誠の表し方だったのです。
 筆者はヒカルさんの気持ちを考えると、この自殺の原因は家族関係ではなく、恩師石坂まさを氏への義理にあることを伝えたい。確かにヒカルさんへの配慮から隠れるように生活していた藤圭子だったのだから、自殺という手段で恩師にメッセージを送ったことを「家族への被害妄想」として片づけるのは早計であり、矮小化というものだ。
 藤圭子はそんな陰湿な性格ではないし恨みを持ち続けるような心の持ち主ではない。同じ世代を生きた人間として、藤圭子が精神の病で自殺したと言う汚名だけは晴らしたいのだ。

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