Labo日記20
本当に久しぶりな更新。俺でなければ見逃しちゃうね。
4年前の更新から生活状況が大きく変わった。本当に大きく変わった。
実は現在アメリカの研究機関で働いている。今でも信じられない。もうすでに薄れつつある当時感じてた事を残すためにツラツラ書いていこうかと。
博士号取得
まず一つ目の大きな事として、2021年3月に博士号を取得しました。
論文の要件に関してはそこまで大変じゃなかったんだけど、執筆はまぁまぁ大変でした。でも良い経験になったな。今までジャーナルに出してた数本の論文を、1つのストーリーとなるように日本語で博士論文として書きなおしました。
最初英語でやろうかと思ったけど、ムリぽと思って早目に日本語に切り替え。今では、自分でも良い参考になるし、後輩指導にも役に立ったので日本語で書いてよかった。
博士審査は、一部リモートって感じでした。自分と審査の先生は現地でやって、観覧する人はリモートって感じで。妻と両親、兄も見てくれたよ。
中間審査でも本審査でもそこまで厳しいこと言われなかったので、そんなに大変でもなかったですわ。
博士論文の内容としては非常満足してるわ。キレイにまとまった。
アイディアとなる問題のメカニズムを解き明かし、それを解決するアイディアの基礎実証。それを使った装置の性能限界実証試験。その実験結果の解析。までやったよ。
自分の論文を肴に酒が飲めるね。
執筆は中々身が入らずに大変だったけど、その当時ハマってたラブライブのお陰で頑張れたことを良く覚えているわ。
27歳にしてやっと学生終えれました。さらば学割。
博士号は、まぁ問題なく終わったんだけど、就職活動の方が精神的にキツかったです。時間軸的には博士号取得より前ですね。
就職活動
まず、結構海外で働いてみた気持ちがあって、イギリスの核融合ベンチャーにインターンできないか、たしか2020年の1-2月らへんに聞いたんだけど、コロナで海外からの応募はクローズしてるらしく、それが叶いませんでした。
そこでもう、コロナ禍で海外挑戦するのは結構大変だろうと思って、日本での就職にシフト。
まずは企業かアカデミアか。企業も、結構興味があったんだけど、企業-->アカデミアは辛いだろうと思ったのと、妻に「あんたに企業は絶対あわない。つぶれる。」と言われたのでアカデミアに絞る。
自分的には企業でもやっていけるだろーと当時思ったけど、今になって思う。企業ムリだな。生意気で無礼な男になって一瞬でつぶれるのが予想できる。妻の慧眼に感謝。
次にアカデミアでどこ行くか。ここで話が舞い込んでくる。
共同研究した事があるつくばの某国研の研究員から電話で呼び出され、つくばで酒の席に。そこでパーマネントポジションに応募しないかと打診が。
今思うと、凄い良い話なのだが、当時の自分はそこまで凄いと思ってなかった。
かなり迷ったが、応募するつもりですと回答。
その後、無邪気にポスドクの先輩に「実はこんな話がきてまして…迷っとります」と相談したら「それ、ぶん殴りたいくらいいい話だよ」と言われ、事の重大さに気づく。
今思うと、ホント無知というか世間知らずというか。ポスドク先輩の気持ちを何も考えずに話してしまったなと反省です(ちなみにポスドク先輩はとてもやさしいので応援してくれました)。
申請書を書こうとするが、困った。書けない。モチベーションが湧かない。
「ぶん殴りたい」と言うまでそのポジションに就きたいポスドク先輩がいるにも関わらず、自分はそこまで就きたいと思っていない。こんな自分がついていいのか。その資格があるのか。本当にそこで働きたいのか。自分はどうなりたいのか。そもそも研究者としてこうなりたいという強い意志がないぞ。
という気持ちになりまして、軽くメンタルブレイク。
その時は丁度、学会とかで研究室外の同じくらいの世代の研究者とも話すようになって、ネットでも他の研究者と繋がりを持って、自分のレベルの低さを知ったのも相まって、こんなんで研究者としてやっていけるのか、もしかして博士いかないで就職した方が良かった?とまで思って激落ち込み。
こんな状態ではムリだと思って、申請を辞退する事に。
本当に、先方の方々には大迷惑をおかけした。今でも仲良く接して下さっているので、感謝しかない。
(その後、ポジションの話は上記のポスドク先輩に行き、その人が無事うかりました。その人も今でも仲良くしてもらってます。)
このメンタルブレイクはとても大きかった。
将来自分がどうなりたいのか見失ってしまった。ので、とりあえずとても居心地が良い現ラボ(R〇KEN)の研究室に残る事に。まぁモラトリアムの延長みたいなもんですわ。やり残してる仕事もあったし、参画してるプロジェクトも中途半端だったし。
運が良かったのは、待遇も立地も上司の人格も最高な事。
ということで、現ラボに残る方法は、給料が高い順で下記。
1. 基礎特研
2. 学振PD
3. 理研ポスドク
申請締切の順番も上記番号の順でした。任期どれも3年(PDは2年だっけ?。
まずは基礎特研。提出する書類は学振と同じようのもの。上司のお助けもあって、モチベーション高くまとめられて、納得がいくものに。無事書類選考は通貨。面接に。
たしか7月頃にリモート面接を実施。この時、学会と準備が微妙にかぶってて辛かったな。
結果は、、、、、補欠!!!!!
これは辛かったなー。でも補欠なのでまだ希望は持てる。
続いての締切は学振PD。
内容は、基礎特研とほとんど同じで学振用フォーマットに直して申請。
結果は、、、、、落ちた!!!!
ウワーつれーーーーーーー。
当時あんまりショックじゃなかったと思うんだけど、今思うとよくメンタル崩壊しなかったな。
最後に残っているのは、ボスの研究費で雇うポスドクなので、ほぼほぼ採用してもらえる。まぁこの命綱があったからメンタル保てましたね。
確か給料は年収500万弱。まぁ、まぁ。
それは卒業ギリギリで良いので、12月ごろまで博士号の研究と執筆をシコシコ進めてたら、
忘れもしない12月25日のクリスマス
基礎特研繰り上げ合格のメールが!
いやーこれは嬉しかった。ナチュラル万歳したもんね。
上司もとても嬉しそうだった。
何より給料は年収600万弱だもんね。さらに年間100万の研究費つき。
あと、一応独立した研究者という肩書なので、自分の仕事時間は自分でコントロールができるという名目。これ以上ない条件。しかも勤務地横浜。
福利厚生もしっかりしてる。家賃補助も6万まででる。
ということで、2021年3月に無事博士号取得して、4月からR〇KEN基礎特研として社会人編スタート。
終わってみれば、3年で博士とって、日本で一番待遇が良いポスドクポジションゲットして、順風満帆な感じだったけど、今振り返るとホント綱渡りだな。
あと、一回メンタルブレイクしたのは結構その後の仕事(今もなのかな?)のモチベーションに大分関わってくる事に。。
長くなったので続きは次回。
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