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ギャロップはクラシックで、マシンガンズはジャズだった――第1回The second決勝について

賞金1000万、賞品高級スーツお仕立券。The second、おもろかった

 これを書いているのは2023年5月21日(日)。なので、昨夜となる5月20日、第1回The secondが行われました。
 M-1グランプリは、芸歴15年目まで、という出場資格の制限がある。そこで、それ以上、つまり芸歴16年を越える中堅からベテランの漫才師にセカンドチャンスを、というコンセプトで始まったトーナメントです。
 高齢社会×1億総クリエイター時代からして、「大人」にスポットを当てる企画はいろいろなジャンルで試みられているんでしょうが、なかなか芳しい成果を知らない。ミステリーの世界でも、島田荘司氏が「引退した団塊世代に埋もれた才能がいるのでは」との仮説のもと、50代以上(だったかな?)限定の新人賞を主宰して、受賞作が出版されたものの、セールスにはあまり結びついていない気配。
 もちろん、普通の文学新人賞で60代の受賞者が出たり、ベテランの無名アーティストが突然ヒット曲を出したり、散発的な例はありますが、組織的に大人世代から才能が続々、という事態にはなっていないと思います。
 そこへ、今回のThe secondです。その結果は……いやあ、面白かったんですよ、これ。

なぜ、審査員は一般人だったのか?

 M-1では、同じ芸人が審査員ですが、The secondは一般のお笑いファン100名が、各自、3点、2点、1点の評価をしていく。そのスコアを競うという方法でした。
 なぜ、プロの審査員を起用しなかったのか?
 恐らく、上下関係の厳しい芸人の世界では、後輩が先輩の芸を審査するなんてとんでもないことだからでしょう。
 M-1のように、出場資格が芸歴15年以内と「上限」が決まっている場合は、芸歴16年以上の芸人を審査員にすればよい。でも、The secondの場合は「下限」を切っています。すると、誰が勝ち上がってくるかわからない以上、審査員が演者の後輩になってしまう可能性が出てきます。
 大体、じゃるじゃるやタイムマシン3号が予選で敗退し、本戦にテンダラー、三四郎、スピードワゴンと、別に賞を取らなくても充分売れてるのでは、と思われるクラスが登場しました。
 すると、昨夜も「アンバサダー」という微妙な立ち位置で登場していた松本人志のような、誰も文句の言えない大御所にするか、ですが、これはこれで何人も入れるとギャラが高くなりすぎたり、あいつと一緒は嫌だの問題があったり、評価が食い違った時にややこしくなったりしそう。
 そこで、一般審査員ということになったのではないか、と藪睨んでいます。
 ただ、その結果、かえって審査の過程は、番組的に面白かったんじゃないかなと思いました。

準決勝で、同点3組のミラクル!

 さて、結果として決勝は本稿のタイトル通り、ギャロップvs.マシンガンズの対決になったわけで、両者の、この賞を戦う戦略が非常に対照的だったため、思わずこの投稿をする気になったんですが、その前に、準決勝についてひと言。
 この一般審査員システムだから起きたミラクルだと思うのですが、まず準決勝第1試合は、マシンガンズvs.三四郎。ここでマシンガンズが予選からの全試合を通じて最高得点をたたき出して、三四郎を下すという番狂わせがありました。
 そしてさらに、第2試合。囲碁将棋vs.ギャロップですが、これがまさかの同点。しかもそれが、マシンガンズとも同点というミラクルが起きたのです。
 同点の場合は3点をつけた人数の多寡で勝敗を決めるというルールだったので、決勝進出はギャロップに決まったのですが、いや、なかなかにドラマチックでした。
 これをもって、「やらせ」疑惑を持つ人もいたかも知れません。
 並行して、ピン芸人の中山功太がYoutubeでこの番組を見ながらコメントする生配信をしていて、スマホとテレビを行ったり来たりで見ていたのですが、そちらのコメントにもそんな発言がありましたし、松本人志もギャグとして「え、これ、やらせだよね」と言ってましたね。
 しかし数人のプロ審査員ならまだしも、100人もの一般人に「やらせ」をさせたら、誰かがリークする可能性が高い。プロ審査員は今後も局とのつきあいがありますが、一般人はしがらみがありませんからね。ガーシー的な暴露文化の昨今、面白がってSNSで真相をつぶやきたくならない方がおかしい。
 そんなリスクをキー局が取るとは、ちょっと思えないんで、自分としてはこれは「ミラクル」と考えています。
 ま、その方がかえって面白いし。

マシンガンズの戦略は「1回性」に賭けたジャズ

 奇跡の準決勝を経て、迎えた決勝戦。先攻はマシンガンズ。
 この二人の芸風は、「自虐ネタのぼやき漫才」と定義できるでしょうか。かつてのぼやき漫才ののんびりした感じに対して、アグレッシブで怒りに満ちたぼやきであるところが、現代風にアップデートされたポイントでしょう。
 内容も、売れない芸人ならではの悲哀へ徹敵的にフォーカスしていて、なぜか自動車教習所で営業させられた話とか、ヤフー知恵袋で悪口を投稿された話とか。そして二人が揃って腕を上に振り上げ、「ふざけんな」と怒る。そのセットを繰り返していきます。
 もうひとつ、伝統的な漫才との違いは、「ボケ」と「ツッコミ」の役割分担がないこと。共にボケ、共にツッコム。声を揃えて自らの不遇を嘆き、その自虐性で笑いを取るところが個性なんでしょう。
 今回の賞では、決勝まで進んだ場合、3回ネタを披露することになります。その3回の組み立て方を、ここでは「戦略」と呼んでいるのですが、マシンガンズの場合、同じスタイルを貫いているので、戦略はないようにも見えます。
 しかし、やはり勝ち残るだけあって、そこにはやはり戦略性があった。それが「即時性」というか、いま、この時だから成立するネタ、というものだったのです。
 例えば第1試合、金属バットを制した後、第2試合までの間に彼らはエゴサーチした。その結果、「金属バットの方がよかった」とか「なんでマシンガンズが勝つ?」など、自分達をディスる投稿を取り上げて、第2試合のネタにしていくのです。ネット時代でなければ不可能な方法と言えるでしょう。
 第3試合では、「まさか決勝に行けるとは思ってもみなかった」「もうネタがない」と公言し、追い詰められた状況を設定して、テンションをヒートアップさせていきます。もちろんそれは演出であって、実際には考え抜いた戦略として「ネタを用意していない」と言っているのでしょうが、これもまた、この決勝だから成立するアイデアであって、他の時には使えません。
 つまり、極めて「即時性」が高く、1回限りのライブ感、生もの感に賭けた戦略だった。これは音楽で言えば、ジャズに近い。即興を何よりも重んじて、その夜限りの音楽を身上とするジャズ。だから、「マシンガンズはジャズ」と結論づけた由縁です。

ギャロップの第1試合は「勇気」第2試合は「ラッキー」

 対して、決して古くさい、という意味ではなく、マシンガンズの「即興」に対して、逆に練り上げられたスキルをぶつけてきたのがギャロップの戦略だと思うので、これをクラシックに当てはめてみたのです。
 芸風においても、ギャロップは伝統的な「ボケ」と「ツッコミ」の役割分担をしっかり守っています。第1試合では、「ボケ」の禿頭をネタに、ただそれだけをひたすらいじり倒すという冒険に出て、これが見事に成功しました。
 持ち時間は5分~6分、とかなり長めです。これをたったひとつの、それもまあトレンディエンジェルの先行例もあり、割に平凡な「禿げネタ」だけで突っ走るのは相当な勇気ではないでしょうか。
 ただ、そこに「カツラを100個つくって、徐々に髪を増やしていく」というシュールなアイデアを組み込むことで、爆笑に次ぐ爆笑を実現したのが勝因でした。
 第2試合は、電車の中でいかに座るかがテーマで、正直、「カツラ100個」に当たる極端なアイデアがなく、「あるある」系に留まっていた印象。最後の、「離れたところに立っているお年寄りに席を譲ろうと声をかけるが、なかなか声が届かないので、罵倒になる」くだりのエスカレーションが面白かったものの、正直、ちょっと厳しいかな、と思いました。
 しかし、後攻の三四郎。多分、あまり間を置かずに2本目に入ったせいでしょうか。漫才は普通のトーンで始め、次第にヒートアップして最後にテンションがマックスになるのに、割と早い段階でツッコミのテンションがピークに達してしまった。そのため、蓄積した疲労もあって、最後まで維持することができず、微妙な間が空いたり、言葉が空回りしたりして、失速しました。
 なので、これはギャロップの手柄というより、三四郎の自爆という感じですね。
 ただ、勝負ごとにおいて、この手のラッキーというのはやはり実力の内。
 かくて決勝に進み、見事栄冠を勝ち取ったわけです。

ギャロップ、決勝の戦略は、いぶし銀のクラシック

 ここまでのギャロップの組み立て=戦略を整理すると、第1試合はマシンガンズに近い「禿げの自虐ネタ+カツラ100個のシュールなアイデア」、第2試合は「あるある系+テンションブチ切れ」。
 そして迎えた決勝では、「猛烈な早口の一人芝居」という手に出ます。
 まずツッコミが「フレンチの似合う男になりたい」と言い、ボケが「日本人にフレンチなんかわからない」と真っ向否定。
 日本人がフレンチを食べるのは、結婚式の披露宴くらいで、しかも全部食べ終わった後に「パンが一番おいしかった」と言うレベルだ。
 これをシェフが聞いたら、泣く、というところから、このシェフの一代記が始まるのです。
 フレンチのシェフを志した若者が、単身フランスに渡り、有名シェフに弟子入りを頼むが断られ、それでも諦めず掃除係で潜り込み、皿洗い係になると、皿についたソースを舐めて味を研究、ついにはシェフの右腕となって、支店を任せたいと言われるが、出来れば国に帰って日本で本格フレンチを広めたいと申し出、快く許されて、さて日本で店を出すものの、地代が高く、立地が悪いが、めげずに頑張り、ついにはホテルの支配人がウチの総料理長になってくれとオファー、かくして一流シェフに昇りつめた彼の料理を食べた客が、一番おいしかったのは外注してるパン! これが泣かずにいらりょうか! で最初の話題に戻るまでの長丁場が、なんと一人芝居なのです。
 もの凄いスピードでシェフの人生を辿っているのに、一度も噛まないそのスキル。
 またツッコミもその間、ずっと裏でむにゃむにゃと相槌のような、いい加減にせんかい、のようなことを呟きながら、時折ボケとアクションを揃えたりして、話が中だるみしそうなところを巧みに救って笑いを取っていく、いぶし銀の仕事をしている!
 これはまさに、ビルトゥオーゾと称される名演奏家が、厳しい練習によって培った技術と、音楽や歴史を深く研究した成果としての解釈で、難解な曲を感動的に弾きこなすクラシックによく似ています。
 このように、ギャロップは3回のネタを、それぞれ変えていき、自分達のスキルを余すところなく見せられるように戦略構築したのだと思います。
 見事。

対照的な2つの戦略だが、賞のコンセプトに合うのはどっちか

 つまり、ギャロップのネタは、The secondの決勝だけでしか成立しないものではなく、1回性に賭けたマシンガンズとは真逆だったわけですね。
 対照的なふたつの戦略。それだけを見れば甲乙つけがたい。
 しかし、The secondという、中堅からベテランを対象にした賞のコンセプトを考えた時、やはり相応しいのはギャロップだろう、と思うのです。
 特に初めての優勝者には、その後の賞の性格を明確にする役割もあります。
 その場限りのライブ感の魅力か、はたまた長い芸歴の中で培ってきたスキルの魅力か、と比較してみれば、中堅ベテランならではの味は、やはり後者にあると言えるでしょう。
 だからこそ一般審査員の軍配も、ギャロップに上がったんではないでしょうか。
 昨夜の3回のステージには、ギャロップのお二人が出会ってから、今日に至るまでの、長い時間のすべてが詰まっていた。そのことが、大笑いした後、泣きそうになるような感動を与えてくれました。

クリエイティブ領域でのシニアの時代はこれからか?

 芸人や小説家、ミュージシャンなど、クリエイティブな領域では、高齢社会になっても相変わらず「若い才能の出現」が歓迎されます。
 最年少での受賞と、最高齢での受賞では、やはりまだまだ若い方がニュースバリューがあるでしょう。
 しかし、今回のThe secondのように、「大人の才能」に目を向ける企画がもっといろんなジャンルで出てくれば、状況は変わっていくかも知れません。
 人生100年時代。定年が70歳まで延びるにしても、まだその先30年。
 生活が懸かっていた頃には出来なかったチャレンジに、引退してから取り組むことは、老後を豊かにし、生き甲斐をもたらすはずです。
 自分も充分「大人」の年代。
 さあ、みんな、一緒にがんばろうぜ、というエールを持って、本稿を終わりたいと思います。

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