休日を満喫する人々を横目に1人でいることを好む人間が抱える代償について考えた
今日の配達エリアは横浜・関内〜桜木町周辺だった。
まだ5月だというのに、まるで夏休み真っ只中のような暑さだったのだが、天気はすごく良くて、休日を満喫する人で街は賑わっていた。
昼間からハメを外し、アルコールを楽しむ若者のグループや幸福感がひしひしと伝わってくる家族連れに〝この暑さもなんのその〟といった感じで体と体を寄せ合い、固く手を繋ぎながら歩く熱々カップル...etc
日本有数の観光地であり、繁華街であり、デートスポットなだけあって、色んな人々がひしめくカオス状態だ。そんな状況を横目に配達しながら、自分は自身の休日に関して、その概念がどんどん曖昧になっているように感じた。
多くの人は平日に仕事をして、週末は友達なり、恋人なり、家族なりと休暇を楽しんでいるのだと思うが、自分は働く日とか休む日とかが定まっていなく、なんとなく働いて、なんとなく休んでといった感じだ。そして休みの日も特に予定は無いし、誰かと会うこともない。
かつて、遊び仲間が何人かいて、週末の夜になると繁華街に繰り出したり、まとまった休みをとっては旅行に出かけたりといったことをしていたが、その頃がはるか遠く昔のようだ。
現時点で別に寂しさのようなものは感じていなく、逆に1人でいる時間の方が快適さが大きく上回っているのだが、そういうのが積み重なって、自分でも気づかぬうちに今や社会問題にもなっている〝孤立化する中高年〟になっていくのだろうか。
そんな風に休日を満喫する人々を横目に、1人でいることを好む人間が抱える代償について考えていたのだが、特に深い事は何も思い浮かばなかったし、楽しそうに見える人々も、もしかすると各々が何かしらの代償を払っているのかもしれないなんて思ったら、急激にどうでもよくなった。
暑さで脳がやられていたのだろうか。今日はとにかく季節外れの酷暑に心底疲れた日であった。