【刀剣乱舞】謎解きで明かされる山姥切国広の雅力と、所有者の歴史とゲームから見るその背景

明けましておめでとうございます。新年一発目は何を書こうかってこれを書かないわけにはいかない。

■謎解き「迷刀からの脱出」概要と山姥切国広の見せた雅力

2021年、ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』6周年企画のひとつ「現世遠征 都結び」。東京では9月1日~10月17日、京都では11月19日~12月28日に謎解き街歩きゲーム「迷刀物語からの脱出」が開催されました。

内容としてはこんな感じ。

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始まりの5振り+1振り(およそ任意)が江戸/京都に出陣しようとしたところ、時間遡行軍により2021年の東京/京都に転移してしまう。それも各男士バラバラ。

男士たちは「緊急脱出の手引き」に従い現在位置と移動経路を記しながら、然るべき場所に痕跡を残す。プレイヤーはその記述と痕跡の謎を解き明かして男士たちと合流し、遡行軍と戦いながら男士たちを本丸に送り届ける。

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“現世”に馴染みのない始まりの5振りが何を見て感じるかが辿れてすんごい楽しかったのですが、そんなことより山姥切国広の残した痕跡ですよ。

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歌仙兼定を差し置いてまさかの和歌2首。(なお歌仙は茶器だった)

しかも1首目は強烈にわかりやすい恋歌と来た。2首目もチョイスが鮮烈に過ぎるのですが、京都だとこの痕跡のそばに川と紅葉があってセンスが良すぎる。なんだこいつ。

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どちらの歌も百人一首なので坊主めくりなどで遊んでるうちに覚えた説も提唱できそうなもんですが、鮮やかに否定したのが合流後の歌仙とのやり取りですよ。

曰く本歌取りの歌ですが、遊んでるだけだとそんな知識を身に着けようがありません。さらに山姥切国広の反応は「……別にいいだろ」。根は素直な山姥切国広がもし意図していなかったなら、この反応にはなりません。

つまり。これが本歌取りだとわかった上で。写しの自分がここにいるという痕跡を。和歌を引用して残したと。そういう教養や文化的素養が備わっているのが山姥切国広だと。公式からの監修があるだろう謎解きゲームで。

動揺しまくって私は竜田川の紅葉を観に行った。綺麗でした。

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■そりゃそうだ1:山姥切国広の所持銘主・長尾顕長はどう考えても文化人

なんでこんな動揺したって、まさか数年をかけて培った山姥切国広の解釈と見事に合ったからだよ。まじかよ。まじだよ。

だってですね。

所持銘主の長尾顕長は、室町時代において関東管領・上杉氏の家宰・長尾氏の末裔です。上杉は上野国(群馬県)を筆頭に西関東(埼玉、東京、一部神奈川)の支配者(と言い切るのも問題がある気がしますが便宜上)でしたが、実務は長尾が行っていました。そのため西関東に強く実態的な権力を持っていたのが長尾氏です。

さらに顕長は本家筋(≠惣領)と言っても良い足利(館林)長尾氏です。ちなみに上杉謙信こと長尾景虎さとは親戚ですが、景虎の方の越後長尾氏は早くに分かれたいわば分家筋です。

つまり足利長尾氏は関東のド名門。教養があって当然です。ちなみに2022年2~3月に足利市立美術館で開催予定の企画展「戦国武将 足利長尾の武と美―その命脈は永遠に―」では正にこの足利長尾氏の育んだ文化とその素養がメインテーマになっています。

とは言え顕長は養子筋。足利長尾氏のそうした気質をどこまで受け継いでいるか……と思うでしょう? ところがどっこい実家の横瀬(由良)氏も足利一門や新田義貞に連なる新田惣領岩松氏の家宰であり、というか血の繋がった先祖である横瀬国繁は『新撰菟玖波集』に歌が採録されてるん。です。よ。

養子先も実家も文化人。そんな長尾顕長の所持銘が入った山姥切国広に、教養や文化的素養がないはずない。

■そりゃそうだ2:ゲーム等でも山姥切国広は文化力をちらちら見せていた

歴史を繙かなくても山姥切国広自身が持った文化力をちらほら見せていました。特に歌に関してはその片鱗を見せていた。花見景趣の台詞を確認しましょう。

通常「花見はひとり静かな方がいい」
 極「花見は今日のこれぐらいが丁度いい」

どちらも五七五なんですよ。素朴かつ率直な言葉運びに歌としては拙いともみなせますが、私は万葉集などの「ますらをぶり」をそこに見た。だって山姥切国広の日頃の簡潔な言葉運び綺麗だもんなぁ! その良さそのままに語調を整えたこの言葉は「歌」と見て良いと思うんですよ。

下の句がないので俳句の可能性もあるけど、何にせよ言葉の芸術への感性があると見える。私は見ていた。『新撰菟玖波集』が連歌集ならむしろこれは連歌で、下の句は誰かが引き継ぐべき説まである。

花や自然を愛でる感性があるのは枚挙にいとまがなく、極めつけは宴奏会(刀オケ)ですかね。

■初宴(※メモ紛失によりうろ覚え)
「写しの俺にまともな感想を期待されてもな。
 ……ただ、美しい音楽だと思った。
 あんたと聴けて、良かった。
 ……何だその目は」
■再宴
「写しの俺にまともな感想を期待されてもな。
 ……ただ、雅というものが少し分かった気がする。
 あんたのおかげ、だな。
 次の東京公演は歌仙兼定が隊長だ。
 俺なりに感じた雅とやらを、伝えておこう」

音楽を美しいと思う感性、雅を解する素養、それをあの歌仙に伝えようという意思。これは文化力が高い。

■結論:そりゃ山姥切国広は和歌くらい引用する

山姥切国広と歌仙兼定、絶対会話が成立するじゃん……歌仙が文系(脳筋)なら山姥切国広は脳筋(文系)じゃん……! と重ねた妄想に確固たる裏付けをくれたのが今回の謎解きにおける和歌引用でした本当にありがとうございます。しかも引用の仕方が巧い。巧すぎて気が狂う。7年目にして衝撃を与えてくれる刀剣乱舞なんなんだ怖い。

そんなわけで、次の記事で引用和歌2種の歌意と引用の意図を解釈していきます。

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