【刀剣乱舞】「笑う」と「笑顔」の用例から始める“神剣”にっかり青江の一解釈

全国的に緊急事態宣言が解除された状態での「ニッカリ青江プレミアムマンス」開催、おめでとうございます。昨年の展示中止には誇張でなく泣いてしまったので、心より喜ばしく思います。

せっかくなので、『刀剣乱舞-ONLINE-』にっかり青江(と実物ニッカリ青江)についてずっと温めていたことを書くことにしました。

青江は「笑う」と「笑顔」という言葉を使い分けているのではないか?
使い分けている場合、その分け方から青江の解釈を深められるのではないか?

そうした思考実験の結果を記録したものです。

もちろんこれは私個人の解釈であり、他の本丸におけるにっかり青江の在り方や、異なる解釈の是非を問う意図は一切ありません。
通常/極の破壊台詞まで含む台詞のネタバレがあります。

以上を踏まえて、大丈夫な方のみお読みください。

古く日本では笑いを3種類に分けていて、それぞれ別の言葉で表したそうです。

・わらう(ワラフ)

敵対、分断、攻撃を意図する、声をともなう嘲笑が「わらう」という言葉の元々の意味でした。戦で敵軍を威圧するときは「わらう」と表現されています。現代語だと「あざわらう」が近いかと。

・えむ(ヱム)

人を惹き寄せて親和を生む、声を発さず表情のみで笑うことは「えむ」と言いました。恋愛などのシーンでの用例が多いです。現代語では「ほほえむ」「笑顔」という形で残っています。

・えらく(ヱラク)

声をともなう親和の笑いが「えらく」。宴会で盛り上がり皆でどっと笑う時にこの言葉が使われましたが、後に「わらう」で表すようになったようです。

3種類の「笑う」を確認したところで、にっかり青江の「笑う」「笑顔」が含まれる台詞を確認しつつ、通常と極を比較します。

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……まとめてみると意外と少ない。当本丸ではよく出陣してもらうので、会心の一撃や真剣必殺、勝利MVPを聞く機会が多くて印象深いのかもしれません。それはさておき。

刀帳説明、会心の一撃、豆まきでは敵対や嘲笑の「わらう」と同じ意味で「笑う」という言葉を使っています。また、勝利MVPでは親和の「えむ」と同じ意味で「笑顔」という言葉を使っていると解釈できます。

ですが極の真剣必殺では敵に「笑顔」を、破壊時は主に「笑い」を求めています。上記の種類分けに従うと、敵に親和を、主に分断を求めていることになってしまう。

それはおかしいのではないか。やはり青江は「笑う」を敵対の笑い、「笑顔」を親和の笑いとして使い分けていはいないのではないか。

私はこう考えます。青江は使い分けている。そして敵に「笑顔」を、主に「笑い」を求めるこの発言にこそ、彼の本質が隠されていると。

改めて青江の真剣必殺台詞を確認します。

通常:「石灯籠みたいに斬ってやろうかなぁっ……!」
極:「せめて、笑顔を浮かべて死んでいったらどうだい」

多くの男士は真剣必殺時に本質というか本性が現れるのに対し、青江が「にっかり」「笑う」と自身の名の由来を言葉にするのは会心の一撃。真剣必殺ではどちらも出してきません。「にっかり笑った女の幽霊を斬った伝説が自分の本質ではない」と主張しているかのようです。

青江の怪異退治譚はバリエーションが豊富ですが、大半は「夜に怪異を斬り、翌朝現場に戻って確認したら両断された石灯籠(石造物)が転がっていた」という筋書きです。通常時の真剣必殺はこれを踏まえて「自分が斬ったのは幽霊じゃなくて石灯籠」としたいように取れます。

ならば、極の真剣必殺で敵に要求する「笑顔」もにっかり笑った幽霊の「笑い」とは別のもの――親和の「笑み」を求めていると考えるべきです。やはり青江は明確に「敵対の笑い」「親和の笑顔」という使い分けをしていると考えられます。

名(号)と物語は男士にとって存在の基盤であり力の源です。本領発揮すべき真剣必殺で自身の名の由来を否定、控えめに言っても黙殺するのはなぜなのか。問うまでもなく答えはこの辺りでしょう。

「いくら幽霊とはいえ近寄ってきた幼子を斬り捨てるなんて、どんな気持ちなのかな」
「僕はなんで神剣になれないんだろう」
「霊とはいえ、幼子を斬った」
「やっぱりそれかぁ」

青江が自身の逸話に否定的なのはもちろん彼の優しさによるものですが、それ以上に「なぜにっかりと笑っただけの幽霊を斬る必要があったのか」が人々の意識から失われかけているからでしょう。

説話好きとして言っておきますが、ニッカリ青江とその所持者の幽霊退治は“凶行”などでは断じてありません。昔話では「道行く男が女の怪異ににっこり笑いかけられるとたちまち病を得て死んでしまう」「女の怪異を退けるには刃物が有効」というセオリーが存在しています。にっかり笑われた瞬間に幽霊を斬り無事に生還したのは判断力と実行力と剣技のすべてが冴え渡っていたからで、武勇の誉れと考えるべきです。

さらに言えばニッカリ青江の逸話の主旨は「怪異に苦しめられる領民や旅人を守るためにニッカリ青江が振るわれ、平和な暮らしと旅路をもたらした」といういわば英雄譚です。そして2021年現在、縁深い丸亀市が所有しているためニッカリ青江は英雄譚と地続きにある。昔も今も、ニッカリ青江は変わらず“神剣”なんです。

けれど多くの人は「所詮作り話」と粗雑に向き合い、「女子供を斬る血に飢えた凶刀」と貶めた。結果青江は“呪い”を受け、血に飢えた戦闘狂の顔を持つに至りました。

けどね。本当にただの凶刀なら、神剣になれないことを気にしないんだよ。幽霊とはいえ幼子を斬ったからだという言葉に納得しないし、幼子を斬った人間の気持ちなんて気にならないんだよ。気にするのは彼の本質が「人に寄り添い人を守るため敵を斬る刀」だからなんだよ。

それを見事に表してくれたのが修行でした。

人に害為す悪霊や、いくさの相手ならともかく、
迷い出てきただけの幽霊まで斬りたがるようじゃ、それは人斬り狂いとどう違うんだい?

1通目の手紙を見る限り、青江はちゃんと自分が斬ったものも、なぜ斬ったのかも、自分がただの凶刀じゃないことも、ちゃんと分かってるんですよ。

いつまでもぶらぶら彷徨っているようじゃ修行にならないんでね。
元の主のところを修行先と決めて、そこに厄介になっているよ。

2通目の手紙からは、自分の本質を、自分が強化すべき力を理解していることが伺えます。なら本質とは何か。3通目の手紙でちゃんと答えをくれます。

にっかり青江とは、苦難にあった京極家と共にあり、再興の助けとなり、そして平和への祈りを託された重宝であり神剣です。

にっかりという名も、それにまつわる幽霊退治譚も、付属であって本質じゃない。それをちゃんと表明しているのが会心の一撃と真剣必殺の台詞なのでしょう。彼は日々の言葉で、私達にちゃんと教えてくれていたのです。

さて話を戻しましょう。人に寄り添い人を守る刀であるにっかり青江が、なぜ必殺の剣撃を繰り出すに当たって敵に親和の「笑顔」を求めたのか。

「せめて、笑顔を浮かべて死んでいったらどうだい」

私はこう解釈しました。「恨みを抱えて笑う幽霊になって彷徨うよりも、あたたかな気持ちを抱えて安らかに眠った方がいいよ」と。

あるいは親和の「笑顔」を浮かべてくれるなら、自身が背負っても良いとすら考えているのかも。「どうせもう幽霊がついてるんだ、どれだけ増えても変わらないさ」みたいな。

極めた青江は主が斬るべき敵とみなしたものは斬ると宣言しています。そんな敵を斬る際になぜ慈悲を示すのか。たぶん、「人に仇なす幽霊も元は守るべき人」であり、「敵対する刀も人に愛された刀」だからじゃないかな。

“神剣”であるからこそ、彼は敵対者を斬ることにも痛みを覚える。だからもう彷徨わぬよう、今度は守れるよう、気にかけてくれる。それが真剣必殺の言葉だと解釈したい。

次の台詞を考えます。敵にも慈悲を見せる(と解釈し得る)青江が破壊されたとき、主には「笑顔」でなく「笑い」を求めるのはなぜなのか。まずは青江が主に向ける笑いの種類を確認します。

■通常
ッフフ、待ってたよ(ログイン/ゲームスタート)
・福はー内。鬼はー外。……ッフフ、童心とはこういうものかな?(豆まき)
・鬼はー外。福はー内。……ッフフ、童心とはこういうものかな?(豆まき)
ッフフ、慌てないことさ(つつきすぎ/通常)
ッハハ、そういう趣味かい?(つつきすぎ/中傷以上)
■極
・数々の主たちが手を入れて、その結果が今の僕さ。……ッフフ、何を考えているんだい?(本丸)
・いいのかい? 幽霊の心配をせずに出歩けるのかい? ッフフ(本丸放置)
・かわいい子だといいねえ。 ……ッフフ、妬いてるのかな?(鍛刀)
・侍らせるなら無傷の刀、ってことなのかい。ッフフ(手入れ/軽傷以下)
ッフフ……早くなおして戻らないと、君が心配するからねぇ……(手入れ/中傷以上)
・へぇ、こうなってたんだ……フフ(戦績)
・僕に何か買ってくれるのかい? フフ(万屋)

明確に笑い声を含んでるものだけ抜粋しました。

冒頭で「『笑う』は声をともなう敵対の笑い」と説明しましたが、『刀剣乱舞-ONLINE-』では表情の変わらないイラストしか表示されないため、音声で「笑顔」を表して感情表現を補完していることも多いと考えられます。

恐らく分断の「笑い」に相当するのは通常時の「ッハハ」のみで、「フフ」は親和の「笑み」なんじゃないかな。という仮説に基づくと、それぞれの解釈はこう。

■通常
・ログイン(ゲームスタート): 歓迎
・豆まき: 豆まき楽しい or 僕まで鬼として追い払わないでくれるかい?
・つつきすぎ(通常): 嫌がってない
・つつきすぎ(中傷): 嫌がってる(傷ついた相手をさらに痛がらせることへの批判も感じる)

■極
主のこと好きすぎ親和を示しすぎ魅了しようとしすぎ。

本丸放置、鍛刀、万屋と、主が自分以外のものに気を取られると笑むのは、自分に意識を戻させるための「親和の笑み」なんだろうなぁ。

そのくせ遠征という分断を命じられると笑みも笑いもこぼさないのは、実は結構寂しいというかショックというか、そんなふうに感じてて笑む余裕もないのかも。

主に親和を示しまくり遠ざけられれば寂しがるのが青江と解釈したところで、破壊台詞を考えます。

これも……戦の習いさ……せめて君くらいは、笑っていてほしいね

主に惹かれる自分が幽霊となって彷徨い出ないように引導を渡してほしいということなのかな。それは主を苦しめたくないという優しさであり、幽霊になりたくないという願いでもあるのかもしれません。

男士は斬ったものを名(号)とされ、斬ったものと結び付けられる“呪い”を得る。しつこいようですがにっかり青江の本質は人を守る“神剣”である一方、名と人々の持つイメージから「にっかり笑う幽霊」と強く結び付けられている。死して幽霊になってしまっては、“呪い”に引きずられ本質を決定的に損ねてしまう。だから主にとっての“神剣”のままでいられるよう、主くらいは笑って、自身を拒絶してほしいと、そういうことなんじゃないかな。

さらに言うなら、最期に「にっかり笑った女子供(人間なんて100歳以上生きたとしても何百年と在る刀にとっては「子供」でしょう)を斬らなかった」という実績を得て“呪い”を克服したいのかもしれない。

蛇足ながら、「せめて君くらいは笑って」という言葉から「他の誰が泣いても君だけは泣かないでほしい」という意図も感じます。

死者を悼んで泣くのは招魂の行為です。いかないで、死なないで、生き返ってまたそばにいてという思いを泣く行為に託す。たしか近隣の国では今もそういう風習が残っていて、葬式で泣くことを仕事としている人もいるのだとか。

他の男士が泣いても優しい青江は後ろ髪を引かれる思いになるでしょうが、大好きな主が泣いて自分を呼んだら絶対に戻って笑顔にしたくなっちゃう。でもそうすると自分は幽霊になってしまう。だから、せめて主である君くらいは、ちゃんと「笑って」送り出してほしい。そういう破壊台詞なんじゃないでしょうか。

就任当初から青江に頼り切ってる当本丸では「笑顔が一番だよ、最終的にはね」という言葉をたくさん聞いてきました。それは青江から「ちゃんと笑顔でいるんだよ」と諭されているようでした。

次に印象的なのが、実は就任周年祝い台詞です。毎年彼は「強くなった」と褒めてくれる。それは審神者に「強さ」を求めているということです。

「笑顔でいるんだよ」「強くなるんだよ」。このふたつを同義とする考えが、かつて日本にはありました。

身内を失って心が弱った時。横暴な上司や客に厳しく叱責、殴打されて恥辱を受けた時。苦難にあった時こそ心の平衡を保つために微笑を浮かべる。そうして心の弱りを人に知られないよう、心配させないようにした。それが「克己」という強さだという考え方です。

青江が要求しているのはまさにこの「克己」なのでしょう。そうして得た強さで「笑み」を浮かべ、その強さ/笑顔を周りにも分け与えて、皆で幸運を分かち合ってほしい。その思いが正月の台詞でもあるんだと思います。

大吉。にっかりと、笑う門には福来る、だよ

「門」は家族とかそういう意味なので、「笑う門には福来る」の「笑う」は敵対の「わらう」ではなく和気藹々と盛り上がった時の笑いである「えらく」のことだと考えられます。

自身の名の由来である「にっかりと笑う」を五七五のリズムに乗せて“分断”し、「笑う」を皆の親和と幸福を表すものに変換する。それは青江の在り方そのものですし、青江の願いでもあるのでしょう。

ゲームでは本丸の、現実では丸亀市と丸亀に訪れる皆が、自分を介して楽しく笑顔で交わり、幸福でありますように。

そして幸福になった皆が他の人に笑顔を届けて、幸福の和を広げてくれますように。それをできる「強さ」を持つ人が、どうか増えてくれますように。

2020年から始まる疫禍は、苦難の時代です。その中でどれだけ笑顔でいられたでしょう。人のことを思いやれたでしょう。

終わりが見えない中でもふと苦難が和らいだこのタイミングで、ニッカリ青江とじっくり向き合い自己を見つめ直せるのは、少なくとも私にとって、とても意義深くありがたいことです。

願わくはプレミアムマンスの期間中、ひとつでも多くの笑顔が生まれますように。それはニッカリ/にっかり青江が人を和す優しく強い刀なのだという何よりの証となり、彼の“神剣”としての実績にも繋がると、そう信じています。

■参考文献

刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ) Wiki*
・三浦佑之『神話と歴史叙述[改訂版]』
・柳田国男「女の咲顔」『不幸なる芸術/笑の本願』
・小松和彦『憑霊信仰論』
・御厨義道「名物刀剣と大名ー高松松平家の「切刃貞宗」と丸亀京極家の「ニッカリ青江」」『ミュージアム調査研究報告第8号』
・羽皐隠史『詳註刀剣名物帳』
・博文館編輯局編『武将感状記』
・福永酔剣『日本刀大百科事典 4』
・福永酔剣『日本刀おもしろ話』
・新渡戸稲造『武士道』
・小泉八雲著/上田和夫訳「日本人の微笑」『小泉八雲集』
・石川真理子『いまも生きる「武士道」』
・石川真理子『女子の武士道』
など

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