恩師の死

もう山さんが死んでから2週間以上経った。
今日も山さんと練習してきた。
昔は山さんにいつも練習をみてもらってたけど、指導者として教えてもらってたっていうより一緒に夢を追いかけていたような感じだった。
山さんは僕にサッカーを教えてくれた恩師で、僕は山さんが大好きだった。
普通は学年が変わればコーチも変わるんだけど、ありがたいことに僕らの代は小学1年生から中学3年生までずっとみてもらっていた。
山さんとの思い出を書いたらキリがないからここでは書かないけど、本当にたくさんのものを与えてもらった。
結局山さんは死ぬまで何にも教えてくれなかったけど、大切なものを全て教えてくれた。
山さんは指導者であり教育者であり、偉大な人だ。
俺からしたら「山様神様仏様」
神様より仏様より偉大な存在だ。
そんな山さんが死んでしまった。
もちろん最初はとてもショックだった。
正直サッカーをやっている意味がなくなったと思った。
おれは中学卒業してから、山さんにいい報告ができるように、サッカーで活躍して山さんに恩返しできるように、と思って必死でやっていた。
でももうできない。彼の喜ぶ顔は見れない。
それでも、と思ってボールを蹴ってみても涙が溢れてきてそれどころじゃなかった。
でも昔を思い返せば思い返すほど山さんが命をかけてきたサッカーから離れることはできないと思った。
あれだけ時間をかけて魂をかけて命をかけて山さんが教えてくれたサッカーをやめたいと思えるわけがなかった。
だってサッカーが大好きだから。
サッカー選手であれば1番大切である「サッカーの楽しさ」を教えてくれたやまさんのせいでおれはサッカーから離れられなかった。
そしておれは新たに決意をした。
山さんが追求していたサッカーをおれが体現する。
山さんが求めていたものが間違いじゃなかったことを証明する。
山さんという存在のでかさを証明する。
これはおれにしかできないことだ。
小1から中3まで付きっきりでみてもらっていたおれにしかできない。
山さんは世界で通用する選手を育てたいと言った。南アルプス市から日本代表を出したいと言った。
山さんの目標はおれじゃなくても叶えられるかもしれない。
今ヴァンフォーレ甲府で戦っている今津の方が全然可能性がある。
でも彼にはきっと山さんが探し求めていた世界は表現できない。
山さんが追い求めていた世界をサッカーを表現するのはおれにしかできないはずだ。
これはおれの使命だと思った。
おれが山さんを世界中に証明する。
おれが山さんの求めていたサッカーを体現する。
山さんはいつも日本のサッカーを変えてと言っていた。日本のサッカーに革新を与えてと言っていた。
まかせとけ。おれがやってやる。
そのためにおれは絶対日本代表になる。
山さんみててくれ。
貧弱なおれたちの胸を叩き続けてくれ。

https://ameblo.jp/dribbleclub/
これは僕が小学生の時山さんが一時期書いていたブログです。是非読んでください。

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