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コロナ後記 1月11日

1月11日。コロナ書記も終わり、あの記事たちが、このご時世に必要じゃなくなればいいなあと思いながら東京に戻ってきた。

また戦場での日々が始まるなあ、とも思いながら、やるしかないので目一杯生きることにする。部屋に着く前に、猫をピックアップする。

部屋に着くなり、ケースから猛スピードで出て行ってはいなくなる。
全然顔を見せてくれない。ベッドの下に潜り込み、闇の住人と化してしまった。ご飯を入れても出てこない。
いつもは、お皿にご飯が盛られる音がしたら、のそっと出てくるのに。
もうこの家は、猫にとっては他人の家になってしまったのだろうか。
猫の記憶が戻るまで、しばしゆっくりさせてやることにする。

なぜ後記を書こうと思ったかというと、正直なところ後遺症がしっかり残っているからだ。噂には聞いていたが、こんなにはっきり残るものか、と言うくらいだ。
後遺症もなくなり、完全復帰まで伝えて、このコロナ書記というものは完成したと言えるのではないかと思ったので、自分の記録としても、感情の処理としても、後記として残しておくことにする。

主な後遺症は、味覚、嗅覚障害だ。味覚から説明すると、酸っぱい、辛いなどの、刺激を伴う感覚はあるため、完全に味がしないというと、そう言うことではない。

しかし、鼻を通す味だったり、複雑な味は分からない。
今日はカニクリームパスタを作って食べたが、カニの風味は感じない。クリームの深みもわからない。
タバスコの辛さは感じるが、ソースとしての味付けはわからない。
と言う具合だ。

まずいか旨いかといえば、味がしないため旨いと答えることはできない。
しかし、初めて食べるものでもないし、自分で作った手前、そんなに味わって食べるものでもないため、そう言う判断には至らない。

退所した当日、実家で焼肉をしてもらったが、それはなんの味もしなかった。肉の甘みもなく、脂が溶けてきても、脂が溶けてきているんだろうなあくらいの感覚で、肉汁の旨味というものは感じられなかった。
塩をつけて食べたが、塩のしょっぱさは感じられたため、それでなんとか雰囲気は味わえたという感じだ。ちなみにタレでは食べていない。

結果、味覚は大きく失われている。水が一番うまい。

嗅覚は、これもつんとする刺激は感じられるが、匂いは一切感じない。

顕著なのが香水で、アルコールの刺激はわかるのだが、香りは本当にわからない。お気に入りの香水をつけても、記憶にある匂いと実際に嗅ぐ匂いのギャップがありすぎる。これは味覚よりショックかもしれない。生活に支障はきたさないものの、感覚としての楽しみが減った事実はある。

とはいえ絶望してるわけもなく、単に香りがしない、程度には収まってはいる。しかし、もしこのまま嗅覚が戻らなかったら、仲間と食事に行った際、香りの楽しみを共有できなくなる可能性はあるなあとは思う。

未来の不安を考えてもしょうがないため、今感じられている刺激だけで目一杯楽しもうと思う。逆に苦手なものに挑戦してみてもいいのかもしれない。

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