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コロナ後記 1月18日

1月18日。味の感じ方が安定してきた。一口目が遠くにあったものが、だいぶと近所まで戻ってきた。

長い味覚の旅行も、そろそろ終わりが見えてきたのだろうか。
このまま安定的に戻っていってくれたら、一番嬉しいのだが。

特に生活として変えたものはなく、強いて言うなら亜鉛の摂取と、時間経過だろうか。


結局これにお世話になっているが、亜鉛による反応は、目で見えないものなので、はっきりとしたことはわからない。
しかし、実際に味覚の復調が見られていることもあり、効果は出てきているのだと思う。
食事も重ねるにつれ、味を学習していってるような、そんな感じがする。
記憶が補ってくれているのだろうか。

進展の具合で言うと、正直書くことがない、という状態だ。
この感覚の回復は、マラソンのようなもので、初めの体力のあるうちは距離を稼げるし、景色の見え方にも余裕がある。
なので、進んでいる、という感覚の幅が大きくて、新しい。

しかし後半になると失速もするし、体力も削られている。
その中で、同じような進みを体感するのは、かなり難しいことだ。

進展していないわけではないだろうが、自分自身の現状に対するスタミナが無くなってきたと言うか、大きく進んでいたところからの、小さな進展に気付けていないしんどさが、この記事をずっと書いてきて、わかってきている。多分この辺が、めげる境目だろう。

この小さな積み重ねが、絶対大事なのはわかっているのだが、気分的なもので処理しようとすると、きっと難しい。

理屈で理解できればいいのだが、今の自分にそのスキルはない。とは言え、こうやって記事にすることで、毎日の自分の小さな気付きを理解できてはいる。

書くと言うことで気付けるのであれば、おそらく自分のためにも、この書記は続けていった方がいい。
気付いたから書く、と言うものだったが、気付くために書く、と言うフェーズに変わってきているのかもしれない。

個人的には、とてもおもしろい。文章が捗る。

きっと、人間という動物のスタミナの限界に来ているのだろう。
そんなものには負けず、本能を感情で制御する。

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